自由になることを許せなかったのは孤独になる恐れがあったから

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。

「流れに身を任せて自由になることを許せないのはそこに「孤独になる怖れ」を見ていたから。」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということでですね、今日5月12日は清流出版っていうところから発売なります、「ふと感じる寂しさ・孤独感を癒す本」っていう、寂しさ・孤独感と向き合っていこうじゃないかという本の発売日なんですけども。

もともとはその本の宣伝をかねてちょっとお話ししようかなと思ってたんですけども、そこと結局繋がるんですが、僕個人の話になるんですけども、ある気づきを得ましてですね、それを皆さんにシェアしていきたいなと思っておりますのでよかったら最後までお聞き下さい。

今日いつもの鍼灸で、僕定期的にメンテナンスで通ってるんですけども、ちょっと先週ぐらいから、先々週かな?ちょっと腰をですね、少しいわしましてですね。(いわす=壊す、痛める)

あんまりそういうことがなかったので、ちょっとその治療もかねて針に行ってるんですけども。

その帰り道ですね、だいぶちょっと緩んだと。

まぁ針に行くとけっこうインスピレーションが降りやすいっていうことはよくあったんですけども、今日ふと車を運転してる時に、「もっと流れに身をまかせていいんじゃない?」っていうようなね、そんな言葉が降ってくる、降りてきまして。

そういうことってよくあるんですけども、今回はその言葉に「あぁ、なるほどな~。そうだなぁ」っていうふうにちょっと深く自分の中で腑に落ちたっていうかね、「そっかそっか」っていうことを感じるっていうことがあって。

で、もっと流れに身をまかせていいんじゃないか、あるいはもっと自由になっていいんじゃないのかっていう気づきだったんですけども。

そもそも僕は数年前からですね、もっと自由になるぞ!とか、自由だ!っていうことをテーマにですね、仕事なりプライベートなりっていうのをかなりその自由を意識してやってきたつもりだったんですね。

それがですね、けっこう実はうまいこといってたっていうか、けっこう好き勝手といいますか、ある程度好きにやっていた部分や、好きにできるようになったんですが。

そのおかげなんですけども、けっこう仕事をいただく、本とかいろんな企画ですね、なんかムック本だったりとか、それから通信教育だったりとか、いろんな依頼をいただくことっていうのがすごく増えてですね。

かつですね、自由になった分アイデアが浮かんだんですかね、いろんなことに対してのインスピレーションとかも、アイデアも浮かぶようになって。

「これやりたい!あれやりたい!」っていうことがすごく増えた時期があるんですね。ちょうど今から数年前、3、4年ぐらい前になりますかね。

で、そうやって自分をもっと自由に、それこそ流れに身をまかせてやっていこうじゃないかみたいなふうに思ってたらけっこうそういう依頼をいただいて、当然ながらやりたくない仕事はお断りするんですけども、やりたい仕事とか好きなことっていうのをけっこう引き受けてですね、「やります!」みたいな感じで「チャンスをありがとうございます!」みたいな感じで明るく前向きにやってたんですね。

そうこうするうちにですね、特に2019年とかはもうすごかったんですけども、ものすごく忙しくなってしまったんですよ。

つねになにかを抱えている、つねに締め切りがあったりとかやらなきゃいけないことが増えてしまうということで、実はお弟子さん制度というのもそのアイデアの中から広がってですね、「あ、これやってみたいな、そろそろやる時期かな」と思って取り組んでテーマなんですよね。

で、やりたいことをやって好きなことをやってる、自由にやってる、だけども、そのやりたいこととか好きなことが多すぎちゃってですね、逆にそれで自分の首をしめるっていう本末転倒の状況になってたんですね。

加えてですね、もちろんコロナの影響みたいなもので仕事を変えたりとか、それからやり方、オンラインを中心にするとか、いろいろ方針を変えたりとか変更があったりとかして、それもけっこう僕はストレスに感じるタイプなんですけども。

その中でも「自由に好きなようなことやってるわ」っていうふうに思ってたんですね。

で、かつけっこう僕は家にいる時、今日も家で撮ってるんですけども、家にいる時っていうのは家事をけっこうやったりとか、奥さんのお手伝いをしたりとかっていうこともよくあったりするので、家のこともけっこうやっていこうということになって、けっこうパツンパツンになってたんです。

好きなこと・やりたいことをやってるから楽しいはずなのに、なんかこう余裕がなくなってきて楽しめなくなってきて、だんだんだんだん精神的にどんどん負荷がかかっていくような状態に実はなってたんですね。

それで、たとえばやりたいこととか好きなことをやってるのでそこでの充実感もあるんですけども、一方で締め切りもそうなんですけど、「ちゃんとやりたい」とか「ちゃんとやってあげたい」みたいな気持ちもあって、一方でカツカツキツキツっていう部分で余裕がなくなっていくっていうことも実は同時に起きてたんですね。

それに気付いてたので、なにか対処しようとかうまくガス抜きしようみたいなことをけっこうやってたんですけども、それがけっこうストレスで祟ったのかですね、ちょっとそんなひどい状態ではないんですけども、体調に少し異変を感じるようになったというか。

たとえばですね、腰を痛めるっていうこともそうですし、胃腸の調子とかもそうですし、精神的なものもそうだし、なんか不調とも言えないんだけども、「なんか調子がイマイチだなぁ」っていうことが増えてきて、「これはちょっとなんとかせなイカンなぁ」みたいなことをけっこう漠然と、でもなんかしなきゃいけないなぁっていうふうに思ってて。

で、けっこうですね、その中で試行錯誤していたつもりなんですが、あんまり状況は変わってなかったんですよね。

それで、数週間前にちょっと腰に違和感を感じる、右腰ね。

僕腰って今まで痛めたことがほとんどなかったのですごくびっくりしたと同時にですね、これはなんかもう最後通牒っていうわけじゃないんですけども、こりゃなんとかせなアカンなぁみたいな感じで漠然と思ってたんですね。

それでちょっと福岡に行ってて、福岡で「すごい良いなぁ、楽しいなぁ」って思いをしたことも大きいですし、けっこう出張先は時間に余裕があるので、余裕があるという言い方はちょっと違うんですけども、比較的自由時間っていうかフリータイムが多いので、好きなように振る舞ってたらですね、今日そんな「もっと流れに身をまかせたらいいんじゃない?」みたいな気づきが降りてきて。

「もっと自由になりなよ」みたいな、「自由を自分に許しなよ」っていうことを気付かされることになったんですね。

で、そこで「じゃあ自由ってなんだろう」とか、なんでそうわかってるのに、何年前から取り組んできてけっこううまいこといったつもりだったのになんでこんなパツンパツンになるんだろうなぁとか、精神的に余裕がないとか、しかももう体調までちょっと崩しがちになるってなんでなんだろうな、精神的にもなんか余裕がないよなってなんでなんだろうなぁっていうことを運転しながらですけども、ぼーっと考えていて、「あぁ・・・!そういうことか」って気づいたのはですね、

実は自由になりたいとかもっと流れに身を任せようっていうことをテーマにするぐらいなので、僕はそこに自由とかね、その流れに身をまかせてしまうことの“怖れ”っていうのを実は持っていたと。

じゃあどんなを怖れなのかっていうと、暴走してしまうとか自分勝手に振る舞いすぎて周りの人に迷惑をかけるとか、自分がもっと自由になったらなんか大事な物を捨ててしまう・傷つけてしまうんじゃないかとか。

結果ですね、なんでそういうことが怖いのかっていうと、暴走したり好き勝手やって自由になったらですね、孤独になってしまう、一人ぼっちになってしまうっていう、そういう気づきっていうものが実はそこにあったんですね。

そっかぁと。自由になりたいとか好き勝手やりたいなぁっていうふうに思いながらもどこかでそうなることを怖れていて、なにが怖かったっていうと、

“本当に一人ぼっちになってしまう”

っていう怖れがあったと。

で、この暴走したり好き勝手やったら一人ぼっちになってしまうっていうのはけっこう心当たりがあって、学生時代とかちょっとそういう時期っていう孤立した時期もあったんですけど、たとえば自分のおやじですね。

父親がですね、けっこう自分勝手というか自由な人でですね、あっちゃこっちゃいろんなことを勝手に決めてきて、時にはお母さんを泣かせてるとかですね、家族が振り回されるっていうところまではなかったんですけども、そこでやっぱりお父さんが暴走とまでは言わないですけど自分勝手にあれこれ決めてきたみたいな話があって。

よくね、セミナーとかでもたまに話すんですけども、ある日突然うちの親父がですね、旅館を買ってきたんですよね。

旅館ですよ?(笑)そんな簡単に買えるもん?と思ったんですけど。

それで結局ですね、それがきっかけになって両親が不仲になって離婚していくって流れになってですね、結局お父さんはそうやって好きなようにやってるように見えながらですね、大切なものを失い、家族というものを失い、そして孤独になっていったっていうですね、そういう見方っていうのがあるんですね。

結局僕は中学生以降は親父とはほとんど会ったことがなくて、最終的には僕が20代の時に亡くなったんですけども。

その時もですね、なんか親父の人生をあんまり僕の中でまだ肯定しきれてないなぁっていうふうに、もうさんざんですね、これはもうセラピーの中でうちの師匠やいろんな人に扱ってもらったので、この辺はですね、感情の奥とか「やっぱりここに着いたか」っていうような感じでですね、「また親父か」みたいな感じが正直したんですけども。

そういった親父っていうのがあって、僕はその自由に振る舞ったりとか好き勝手やることに対してブレーキがかかってるんだなぁっていうことに気づいたと。

これが一つ目のお話でございます。

二つ目はですね、信じる人・信じない人いるかもしれませんけど、僕は昔、昔っていうか今もそうですけど、占いとかけっこう好きだったりとか、怪しげな治療家っていう人が大好きでいろんなとこにセッションを受けに行ったりとかですね、占ってもらったり診てもらったりっていうことを昔してたんですけども。

今でも好きでちょいちょい行くんですけどね。

その時に別々のタイミングで、別々の違う霊能者に「根本君は昔ね、過去世で暴君になって好き放題やって暴走してたくさんの人を困らせて、最後はひとりぼっちで亡くなっていった」みたいな話っていうのをちょっと聞かされたことがあるんですね。

あんまりピンとくる話では当時なかったんですけども、なんかずっと引っかかって、なんか腑に落ちた感みたいなのが逆にあってね。

で、なんか自分が自由に振る舞うとか好き勝手やると誰かを困らせるんじゃないかとか、誰かにとって迷惑になるんじゃないかとか、結果的にそうすることでひとりぼっちになるっていうことを怖れてたっていうのは、父親の体験っていうか僕が息子として父親を見てた姿とですね、その霊能者たちに言われた過去世の話っていうのがけっこうぴったり合ってしまうわけですね。

なので、自由に振る舞うとか好き勝手やるっていうことに対してですね、どこか僕は孤独になることへの怖れっていうのを抱えていたっていうことがそこで分かったわけですね。

で、こういった内面的な内観っていうか自分を見つめ直すっていうことはずっと昔からやってるので、この辺の話ってけっこう瞬時にパンパンパンパンって通じてですね、「あぁそっかぁ」ということで、おそらくですね、わずか数分以内にこういう気づきが得れたんですよね。

ちょっとですね、ここからカウンセラーという立場な見方になるんですけども、そういう流れの中でこの気づき「もっと流れに身を任せればいいじゃん」っていうインスピレーションが降りてきたっていうことは、「あぁもう準備ができたんだなぁ」っていうことを現わしてるっていうふうに見たんですね。

つまりですね、「暴走を怖れなくていいよ、好き勝手やってもいいよ」と。

たとえば自分が好きなように自由に振る舞ったって、そういった父親とか過去世のように孤独になることはないし、誰かに迷惑をかけたり気をつけたりするってことも実はないんだよって。

そういうメッセージと一緒にそのセリフが降りてきたっていうような気がしたんですね。

それですごいなんか楽になって、心の深いところがすごいガッと緩んだような、そんな気がして僕は第二京阪から近畿道を走ってたんですけども。

そうしてですね、よくよく考えてみると、丁度今日は本の発売日じゃないですか。

今日このあとですね、講演会に行くんですけども、その講演会の中でも、今日は自分の話をしようかなぁっていうことを漠然と思っていて。

前もね、動画とかVoicyの中で自分の話とか孤独についてのお話を少しさせていただいているんですけども、今日はそんな話をたくさんできたらいいなぁなんて思ってるところに、こういう気づきっていうのが降りてきて。

「あぁそっか」と。

じゃあ本当になんか大きな存在ね、大いなる存在っていうのがもしあるんだとするならば、こうやって僕にこの寂しさとか孤独感っていうテーマで本を書かせた力があるとするならば、こうやっていろんなものが寄り合ってね、流れが出て、そして今日のこの気づきであったり、今日のこの本の発売っていうところに繋がってんのかなぁっていうふうにも思えてきたんですよ。

そうすると「いやなんか俺って愛されてるな」と。「神様に愛されてるな」みたいな感じもちょっとするんですけど。

その一方で、ちゃんと流れは完璧なんだなぁと。

自分のいわゆるきちっとカチッととか、ちゃんとするとかっていうことに捉われることなくですね、「もっと流れに任せて自由でいいんじゃないの」っていうことをですね、この流れの中で気づかせてくれたなと。

で、よくよく見ればですね、うちの奥さんとか娘とか息子とかもですね、僕よりもはるかにやつらは自由な生き方というか自由な生活っていうのをしてまして。

だから彼ら彼女たちが自由な人生を、生活をしているからこそ、バランスを取るように僕が自分の中にタスクをいっぱい積み上げちゃってね、自分で自分を追い詰めることになったのかなぁっていうこともですね、漠然とわかってきまして。

その辺がですね、家庭の中でも仕事においてもですね、精神的なバランスっていうものを崩しやすかったりとか、自分で自分を追い詰める、「自由になるぞー!」って言っときながら仕事をいっぱい引き受ける、家のことを色々やってみるっていうことで、自由になるぞー!って言いながら自分の首を絞めて不自由にするっていうことをやってると。

でもその中にはですね、その孤独になることへの怖れだったりとか、みんなを傷つけるとかみんなを困らせたりするとか、そういったことへの不安や怖れがあって、自由になりたいんだけど自由になることに対してブレーキを踏んでる自分というのがいたんだなぁって。

その中で、本を書いて改めて向き合わざるを得ないしね、本を書くっていうことは自分のその寂しさ・孤独感と向き合うということですから、そういう機会を経て、そして丁度出版っていうことになった時にですね、そういった一連の流れのことが結びついてきて「そっかぁ」みたいな。

孤独感を怖れてることによって、僕はその孤独感の向こう側にある自由であったりとか愛というものに対してブレーキを踏んでたんだなということに気づかされたっていうのがですね、今日の僕の体験なんですよね。

タイミングもすごく良かったし、不思議な流れだったんですけども、それで今日ブログをそういうことを書いてたりとかすると、いろんなことを思い出されるし自分でもすごく楽になってきたし、

これからはですね、そういったもっと自由で生きること、「自分らしく」っていうことも含めてですけども、「もっと自由に生きる」っていうことがですね、みんなを幸せにするしみんなを喜ばせることなんだなぁっていうようなそういった新しい思いっていうものを受け取って生きるっていうこと。

もっと好きなことややりたいことを自由にやっていく、流れに身をまかせてどんどんどんどんサレンダーしながらやりたいことをやっていくっていうことこそが周りを幸せにするっていうことなんだなって。

もちろんこれ頭ではわかってましたし、そんなことをいろんなところで言ってたんですけども、また深いレベルで自分の中で腑に落ちたなと。

それをやっぱり実践していく。自分の人生の中で実践していけばいいなっていうことを思ったっていうことでございます。

ということで今日は私の気づきっていうのをベースにですね、自分が自由になりたいと思ってたのに自由を怖れてた、流れに身を任せるっていうことを実は孤独になる怖れがブレーキをかけていたと。

そこで得た新しい意識ですね。

「自分が好きなように生きることこそが人を幸せにすることなんだな」とか、

「自分が流れに身を任せて生きることこそが周りの人を笑顔にしていく」

っていうことをですね、新たに意識しながらですね、ちょっとこれから生き方を変えていきたいなと。

まぁ変わっていくと思いますし、変わらないところももちろんあると思いますけども、もしかしたらここが大きな自分の、僕の人生の転機になったのかなということで今日はそんなお話をさせていただきました。

ということで今日もですね、普段よりもちょっと長めに収録させていただいたんですけども、最後までお聞き下さいましてありがとうございました。

ということで、「ふと感じる寂しさ・孤独感を癒す本」は本日発売でございますのでよかったら手に取って読んでいただけたらと思います。

ということカウンセラーの根本でした。

ありがとうございました。

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