表の顔と裏の顔、どっちが本当の自分?
このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。
「表面的な部分は偽物で、裏に隠してる闇の部分が本当の自分なの?~表も裏も自分だぞ!と受け入れるのが自己肯定感~」
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どうもこんにちは。
カウンセラーの根本でございます。
いつもお聞きくださいましてありがとうございます。
ということで今日はですね、「表の顔と裏の顔、本物はどっち!?」みたいなお話をしてみたいなと思います。
これ心理的にですね、けっこうあるあるな話なので、よかったら最後までお聞きいただけたらと思います。
皆さんたとえばですね、普段明るくて元気な人がいて、でもなにかの瞬間にフッと寂しそうな顔を見せたとするじゃないですか。
「あ、あの人本当は寂しいんだ・・・!」とか思っちゃいませんかね。
あるいは、仕事をバリバリ頑張ってみんなを引っ張っていくリーダータイプの人が、なんか飲んだ時に「俺だって辛いんだよ」みたいな愚痴をこぼした時に、「あ、本当はあの人けっこう我慢してやってたんだね」みたいなことが見えて、その人のことをよくわかったような気がするとかね。
その人の意外な一面が見れたなんていうふうに思ったりしますよね。
で、これがですね、もしかすると場合によってはその人のキャラまで推測することがあって。
たとえばちょっと繰り返しになりますけどね、さっきまでに明るくて元気な人がですね、なんか休日に会ったらすごい暗い顔してベンチに座ってたと。
「あれ、あの人あんな一面があったんだ・・・。もしかしてあの人普段見せてる姿は嘘で、本当はあんな暗い人なんじゃないの・・・?」みたいなことだったりとかね。
よくニュースにもなるのかな、すごく生真面目で頑張り屋さんの人がちょっとなんか悪いことすると、「あの人本当は悪い人なのよ」みたいな感じね。
そういうことはいろんなケースがありそうなんですけども。
これ自分に当てはめてもけっこう言えると思うんですね。
今日のブログの元ネタさんは本当に上手に書いてくださって、「あーなるほど、あるある」と思ったんですけども。
楽しい人であったりとか、一緒にいると楽しいよねなんて言われる、そういうキャラの女性なんですけど。
どうやらですね、自分で自分を見ていくとすごくネガティブでね、ダークな部分があると。
それが実は本当の自分で、楽しくて面白い自分っていうのは表の仮面なんじゃないかみたいなお話をされてたんですね。
よく「ペルソナ」って、「仮面」って言ってね、心理学の世界では本当の自分を見せたら嫌われると思うから“偽りの仮面”をかぶるんですよ、なんていう話もしますし。
さっきの例でもありますけど、そこまで意識しなくても日常生活の中でその人の意外な一面を見ると「本当はあの人ああなんじゃないの」なんていうふうに見たりする。
つまりですね、表に見せてる顔っていうのが偽りの仮面・偽りの顔でね、本当はその裏側にあるのが真実のその人を表してるんじゃないかと。
表に出してる自分というのは本当の自分じゃなくて、自分だけが知っている、その暗い自分・ネガティブな自分というのが本当の自分じゃないのかっていうふうに思いがちなんですけども、思いがちっていうことは必ずしもそうじゃないよっていう話がこれから展開されていくんですね。
これはですね、けっこう「自己肯定感」っていうテーマとすごく結びついていて。
ちょっとわかりにくい話になったりするかもしれないんですけども、結論から言うと、「表の顔と裏の顔もどっちも自分だから本物の自分なんだよね」っていうのが結論ということになります。
なのでここで今日の話のピークは過ぎたような感じがするんですけど(笑)
どういうことかって言いますとですね、たとえば対人関係で人前ですごく明るくて元気に振る舞っていて楽しくて、「いや~お前といるとすごく楽しいよ」なんて言われる自分がいるとするじゃないですか。
それは「よし!やったー!」って感じなんだけども。
なんかの瞬間に落ち込んだりとか、自分も内観していって、そして自分の心の中をのぞいていったら実は自分の中にすごくネガティブな部分っていうのがあったりとか、そういう暗い部分があって。
表の明るい部分とこの自分が見つけた暗い部分というのは真反対なんですよね。
そうすると「本当の自分は暗いんだ」っていうふうに思ってしまって、「表の明るい自分っていうのは偽りの演技なんだ」っていうふうに思いがちなんでございますけども。
そう思ってしまうのって無理はないかもしれませんけど、「両方とも自分自身なんですよ」っていうことなんですね。
さらに、自分の中でネガティブだなと思ってる部分っていうのは、けっこうやっぱり難しいんですよ。
これは難しいっていうのはなにが難しいかっていうと、自己肯定感的に言うと「ありのままに受け入れましょう」っていうテーマになるんですけども、やっぱりどうしても自分の中の嫌いな部分・嫌な部分っていうのは直したいとか、このままじゃいけないって思っちゃうもんなんですよね。
なのでこの思っちゃいけないと思ってしまうところがですね、けっこうミソでございまして。
そうするとここに自己否定っていうのが生まれてしまうわけですね。
それによって自分を愛せなくなる・許せなくなる・受け入れられなくなるっていうことで、自己肯定感が低くなるっていうような現象が起こるわけですね。
なので「これも自分なんだよ」っていうふうに受け入れるっていうことが、その答えになるんですけども。
それをやりやすく、受け入れやすくするための話を今からちょっとさせてもらえればなというふうに思うんですよね。
そもそも表の自分と裏の自分っていうのは、これ二階層なのかって、そもそも表と裏しかないのかっていうと、ちょっとこれややこしくなります。
本当はもっと奥があるんだよみたいな話も実はあるんですけど、今日はもう分かりやすく「表の自分と裏の自分」って話をしていきたいなと思います。
表の自分っていうのはですね、簡単に言うと「人の前に出してもいいよ」って自分が許可した自分なんですね。
「こんな自分であればみんなに好かれるんじゃないかなぁ」とか、「こういう振る舞いをしていけばみんなに嫌われないんじゃないかな」っていうふうに思って、自分が外側に出してる部分なんですね。
つまり自分の要素が、たくさん要素があるわけですね。
この要素の中で「これは人前に出していいかな、これもいいかな・・・あ、これはアカンな」と思ったのは隠すっていうか裏の顔に持っていくと。
たとえばすごくネガティブな自分っていうのを「こんな自分を出したら人に嫌われちゃうな」とか「人から愛されないな」と思ったら隠しときましょうっていう感じだし。
「明るい元気な自分・・・これはきっと好かれるだろう」ということで前に出しておく。
みたいな感じで、自分の中の要素を振り分けているわけですね。
もちろんそれって正直言うとしんどいんですよ。
隠さなきゃいけないし、出してる部分っていうのが本当にたとえば嫌われないために出してる要素があるとすると、「ほんまに嫌われてないかな?」っていうふうにチェックしなきゃいけませんから、すごく疲れます。
心理学ではこれを「ペルソナ/仮面」っていうふうに言ったりするんですけども。
自分の中の要素の良い部分・悪い部分、これは自己判断ですよ、自分の判断で良い部分を出して悪い部分を隠すっていうことを習慣のようにやってしまってるわけです。
結局、もともとは自分の中にあるものを多少誇張したりすることはあるかもしれませんけど、それを元に表に出したり隠したりっていうふうにして、表の顔・裏の顔っていうのが出来上がっていくわけですね。
ここがポイントで、なので結局“両方自分”なんですよ。
自分の中で許せている部分は前に出せるんだけども、許せてない部分は隠すわけですね。
この隠してる部分がたくさんあるとですね、「秘密主義者」っていうふうに言われたりとか、「なんか心の中は見せてくれないよね」とか「心を閉じてるよね」なんていうふうに言われちゃったりもするんですけども。
そりゃ無理ないですよね。「こんなん見せたら嫌われるでしょ」って言って下がっていくと。
ちなみにこれがですね、「親密感への怖れ」というのも作ります。
距離が近づくとこの隠してるものが見えちゃうもんですから、人を近づけないようにするっていう問題があったりとか。
自分を隠し続けてあまり目立たないようにする、リーダーシップの問題ですね、これはね。
そういったところに繋がっていったりとか。
自分の魅力っていうところを隠してしまうので、セクシャリティの問題などにも繋がったりするわけです。
だいたい表に出る部分、後ろに隠す部分っていうのは理解いただけたと思うんですけども、どっちも自分なんで、「どっちも自分なんだよ」っていうふうに受け入れていくっていうことが自己肯定感っていうわけですね。
自己肯定感が上がっていくとですね、この前に出す・後ろに隠すみたいなことっていうのは気にならなくなってきて、「まぁそれも自分なんだしさ~」みたいな感じになってきて。
嫌な部分だなぁと思っててもそれを出せるようになったり、そもそも嫌な思いっていうのを自分自身に対して感じられなくなります。許してるわけですからね。
たとえばネガティブな自分というのも「あぁ俺もそういうところあるんだよね」みたいな感じで自慢するわけではなく認めてあげると、別にそれを隠す必要がなくなりますよね。
そのネガティブな自分っていうのを隠すためにポジティブな自分というのを強調したりしてますから、誇張ってさっき言いましたけど、そうするとそこで頑張っちゃってる自分、無理してる自分がいるわけですね。ペルソナですけど。
そうするとこれを受け入れることによって、誇張しなくても、良く見せようとしなくてもいいし、隠さなくてもいいのでめちゃくちゃ楽になって、自然体・ありのままで生きられるようになるわけですね。
なので、表の顔・裏の顔っていうのをもし意識することがあったとするならば、「どっちも自分でどっちもOKなんだぜ」っていうふうに自分に言ってあげられるといいかなと思っております。
ということで、今日も最後まで聞いていただきましてありがとうございました。
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