嫉妬するのも、嫉妬されるのも、自分を過小評価しているから!?

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。

この話の元記事はこちら!
「嫉妬するのも嫉妬されるのも、自分の価値や魅力を過小評価しているから起きること。」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで、今日は「嫉妬する・されるという心理」についてお話してまいりたいと思います。

ちょうど4月14日に本が発売になりますが、それに関連したお話となっておりますので、よかったら最後までお聞きください。

そして、フォロー、それからチャンネル登録もぜひよろしくお願いします。

「嫉妬本」っていうふうに呼んでるんですけども、4月14日に学研プラスさんから「つい他人と比べてしまうあなたが嫉妬心とうまく付き合う本」っていう書籍が発売になります。

可愛らしい表紙なんですけども、中身はがっつりとした「嫉妬」についての心理についてまとめたものでございます。

で、今日はその本の説明というよりも、本当に普通に読んでいただける嫉妬についてのお話をブログの方に書かせていただきまして、こちらでもそんなお話をしてまいりたいと思います。

嫉妬っていうと、すごく嫌な感情で認めたくない、惨めだし、情けないし、すごくなんか悔しいし、イラつくし、自分にも相手にもイライラするし、できれば感じたくない感情として封印する。

嫉妬してることを認められるっていうことは、なかなか勇気がいることで、ほとんどの人がやっぱりちょっと「なるべく向き合いたくないな」っていう感情だったりするんですよね。

とはいえ、セミナーとかで、本当に今日もセミナールームにいるんですけども、ここで「自分は嫉妬深いなと思う人~?」って手を上げてもらうと、けっこうな方々の手が上がるっていうのはいつもの現象でございまして。

嫉妬深いっていうのは、ある意味すごい情熱の女・男で、すごくバイタリティーがあったりとか、エネルギッシュがあったりとかっていう要素が、要は嫉妬って情熱的な感情なんですね。

っていうところで、逆に嫉妬を感じないっていうのは、よっぽど悟った人なのか、もしくはなんかもしかして感情を抑圧してるかな?みたいなね。

プライド高すぎるかな?みたいなところの問題っていうのもあるので、嫉妬って本当は誰でもある感情だったりするんですね。

で、本には書いてないお話をこちらではしたいなと思って、ブログの方でも自分の話をさせてもらったんですけども、嫉妬でちょっとわかりやすいなと思って、今日はその話をさせていただきたいなと思います。

で、客観的にほとんどの方が聞ける話だと思うので、なるほどなと思って理解に役立てばいいなと思うわけですね。

それは僕の体験なんですけども、2014年ぐらいから僕は本をけっこう書かせてもらうことになって、今から思うと念に何冊も僕の名前がついた本が出るっていう、本当にありがたい状況なんですけども。

10年ぐらい前っていうのは、本を書きたいけど書けないっていう状況で、ようやく書いた本っていうのもそんなに売れるわけじゃなかったんですけども。

その頃の僕っていうのは、本を毎年のように書いてる知り合いっていうのがいまして、彼にちょっと嫉妬を覚えてたんですね。

で、別にでも10万部とか売ってる作家さんも、知り合いの知り合いぐらいの距離感にいらっしゃったんですけど、僕はその人にあんまり嫉妬するっていうことはなかったんですね。

なんかすごい遠い存在で、自分とはなんか関係ないなっていうふうに思ってて、それでもなんか毎年のように本を出してる人の方に嫉妬っていうのを覚えてたわけですね。

で、そこから月日は流れまして、おかげ様でベストセラー本なんかも出せるようになったりとかして、そこそこ売れるようになってきたんですけども。

そうすると、気がつくとその毎年本を書いてる人に対しての嫉妬っていうのは、当然かもしれませんけど消えてるんですね。

ところが、かつては全然嫉妬の対象にならなかった10万部の本を書いてるような方に対して、けっこう嫉妬してる自分っていうのに気づくんですね。

つまり、5年ぐらい前っていうか、今から思えば10年ぐらい前には嫉妬の対象にならなかったものが、そこから5、6年経ってきた時に嫉妬の対象になってるっていうことだったんですよ。

つまり、嫉妬って移り変わるよっていう話ではなくて、これがなにを意味してるかっていうと、嫉妬についてすごく理解する材料になるんじゃないかなと思って例に挙げてるんですね。

というのも、嫉妬って自分が興味がないとか、手が届かないとか、それから自分には手に入らないだろうと思ってるものに対しては、嫉妬っておきないんですよ。

純粋に「すごいな」って思ってるだけで、「いや、別に自分とは縁がないからな」っていうふうに感じて、嫉妬にはならないんですね。

で、つまり2014年ぐらい、10年ぐらい前の僕っていうのは本を書きたかったし、文章を書くのが好きだし、だからこそ本を続々出してる人のことが羨ましくて、嫉妬してたわけですよね。

自分もそれをしたいからだし、自分が手に入りそうなところにあるっていうふうに思ってたわけですよね。

でも、10万部とかっていうのは現実感がなさすぎて、嫉妬の対象にならなかったわけですよ。

ところがそこから5年ぐらい経った頃には、本も売れるようになってきて、でも10万部っていうのはまだまだ届かない世界ってなってくると、その「10万部売れる本を書く」っていうことが、自分にとって非現実的なものじゃなくなってきた。

つまり、現実的になってきたわけですよね。

「できそうな気がする」みたいな感じだったりとか、できればそこにたどり着けたりとか、それからもっと言うと、僕の中にそれだけの価値があるものを出せてる自信っていうのがついてきたんですよね。

「これ10万部売れても全然おかしくないよな」っていうふうな自信がついてきたんです。

となってくると、それでも手に入らない「10万部売れる本」っていうもの、それを書いてる作家さんに対して嫉妬っていうのが出てきたっていう話なんですよ。

つまり、自分が興味ないものから興味のあるところ、手に入らないと思ってるところが手に入りそうってなった時に嫉妬って出てくるんだなって思うんですね。

で、実はこんな話をこのVoicyとかYoutubeで流すとか、ブログに書くっていうことは、多分本気で嫉妬してたら書けないんですよね。

で、純粋に僕の知り合いにも10万部の本をバンと売れた方とかいるんですけど、「すごいな!羨ましいなぁ。いいなぁ。俺もそうなりたいなぁ」みたいなことを普通に言える、オープンに言える。

だからこれは嫉妬っていうよりは、今では純粋に羨望と言いますか、羨ましいなと。

「いいなぁ!僕もそんな本を書きたいな」っていうふうな感じで、本人にも実は伝えたことがあるんですけど。その本人にもそう思ってるよってね。

で、そういうふうに見てると。

で、ここでポイントがもう1つあるんですけども、多分読者の皆さんとか、視聴者の皆さんっていうのは、僕のことを知ってくれてる人は、「え、根本さん10万部ぐらいの本なんて書いてるでしょ。書けるでしょう」っていうふうに僕の価値とかを見てくださってると思うんですね。

ところが僕は僕で、まだいろいろ頑張ってるのにそこまでたどり着いてないっていうところで、自信がなかったりとか、自己否定があったりとかっていうふうにすると、この周りが見てる価値っていうところと、自分が見てる価値っていうのにギャップが生じるわけですね。

これはけっこうちょっと後の重要なポイントになるんですけども、それによってそのギャップっていうのは、実はその「嫉妬の量」みたいな感じになると同時に、これが「嫉妬される側の心理」っていうのがここに出てくるんですね。

これもちょっと後で触れますけど。

つまり、周りの人はそれだけの価値や能力を見てくれてるんだけども、自分がそれを受け入れてない分だけ、その他人に対して嫉妬心っていうのが出てきやすいんじゃないかっていうのが僕の見解でございまして。

つまり、自分の魅力・価値・能力・可能性っていうものを受け取ってない分だけ、他人に対して、つまりそれを持ってる人に対して嫉妬が出てきてしまうっていうことなんですよ。

自分が手に入ることをわかっているにも関わらず、手に入れられてない、それだけの能力がない、価値がないって思ってる。

そのギャップが、「嫉妬の量」になるっていうイメージなんですね。

だから、自分にもその価値があるんだな、それだけの能力があるんだなっていうことを受け入れてしまうと、苦しい苦しい嫉妬ではなく、「え、いいなぁ!」って、「私もそうなりたいな」って素直な羨望として表現できるようになって、そこでは自分を苦しめることっていうのはなくなっていくっていうのが、実は嫉妬の中心的な実態なんですね。

ところが、この自分にその能力があるっていうことを認めるっていうこと自体が、多くの人にとってはすごい抵抗だし、「そんなことない、そんなことない」っていうふうに思いたいし、それまで頑張ってやってきた分だけ、なんかすごく自分がのことを否定したくなるし、惨めな気持ちにもなっちゃうっていうことなんですね。

だから、ここでのポイントっていうのは、自分っていうのが本当に望んでないものとか、手に入らないってわかってるものに対して、僕たちは嫉妬しない。

翻れば、手に入ることを知ってるんだけど、まだ手に入れられてないものに対しては嫉妬しやすいっていうことです。

その裏側には、まだ自分の価値とか能力と可能性を受け取りきれてない部分があるんじゃないの?っていうのが、注目すべきポイントなんですね。

で、嫉妬されるっていう側の心理にいきますと、そこになにが起こるかって言うと、この嫉妬がやってくる側って、さっきギャップって言いましたよね。

自分は価値を認めてない。

でも周りの人は価値を認めてくれているっていう時に、そのギャップが「嫉妬される量」にもなるっていうことなんですよ。

つまり、心理的に言うと、嫉妬をする側・される側っていうのは、どっちも似たような状況なんですね。

だから自分の価値をちゃんと受け取っていれば、周りから嫉妬されるっていうこともなければ、嫉妬される可能性があるということを受け入れることができるので、回避することもできるし、なんならうまく調整していくこともできるよっていうところなんですね。

ということで、よかったら嫉妬本にこの辺の話は詳しく書いてありますので、読んでいただければなと思っております。

ということで、最後まで聞いていただきましてありがとうございました。

根本でした。

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