自分が分からない!のは他人と比較して自分の座標を決めてるから

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。

「「自分がよく分からない!」のは他人と比較して自分の座標を決めているから~自分の価値は他人との比較で見つけるもんじゃないよね?~」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

今日は夜の配信になりましたけども、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

っていうことでね、今日はですね、これは非常にあるあるというかね、よく質問というか相談される内容なんですけども。

「自分がわからない」っていう問題についてちょっと話をしていきたいと思います。

よかったら最後までお聞きください。

「自分がわからない」っていうのはですね、自分の価値や魅力がわかんないとか、存在がわかんないっていうものもありますし、

自分というものは一体ね、周りの人にとってどんな意味があるのか?とか、役に立ったのか?とか、逆に言うと迷惑な存在でないのか?とか、心配ばかりかけてないか?とか、役に立ってんのかな?

そういう疑問っていうのを感じるシーンっていうのがちょいちょいあるかと思うんですね。

それがなんか自分の中に確固たる自信になるようなものがあったりとか、実績みたいなものがあったりすると、「俺ってこういう人間だぜ」みたいなことを言えるかもしれませんけども。

それだからといって、もちろん安泰っていうわけではなくてね、次の瞬間には「いや~でもなぁ・・・ちょっと自信ないよな・・・」なんていうふうになっちゃったりするもんでございます。

言い方を変えると「アイデンティティの喪失問題」っていうのが元々あるんですけども。

それを言ってもいいんですけれども、ちょっと今日はね、「私って何者なの?」みたいなね。

「誰?」みたいな、そういう心理をちょっとお話をしていきたいなと。

これちょっとね、心理学的に話をするとちょっと長くなって理屈っぽくなるかもしれませんけれども。

思春期っていうのにね、最近だと小学校2、3年生ぐらいからですかね、思春期に入っていくとですね、“個別化”っていう現象が起こります。

それは「周りの人と自分って違うんだな」と。

それまではみんな一緒みたいな感じだったのが、人と自分は違うんだっていうことに気付き始める。

いわゆる個性が確立されていく時期というふうにも言えるんですけども。

そうするとですね、周りの人たちと自分っていうものを比較することになっていきます。

この「比較」っていうのが今日のキーワードになっていきます。「比べる」ってことですね。

あの子と私と比べてどうだ、みたいな感じです。

たとえば外見があの子は丸い顔だけど私は細い顔しているとか。

背が高い・背の低い・勉強ができる・できない・運動ができる・できないとかね、そういったパーソナルな部分であったりとか。

先生に可愛がられる・友達がいっぱいいる・男の子女の子にモテるとか、そういうような人間関係に関するものであったりとか。

家が金持ちだとかね、兄弟がいっぱいいるとか、お姉ちゃんだとか。妹だとか、みたいなね、そういった家族に関するものだったりとか。

転校生だったりとか、自分はずっとここに代々居ついてる家の子だとか、色々ね、そういう様々な他人と比較するっていうことがあって。

そしてそこで同時にですね、「コンプレックス」みたいなものが生まれることがあるんですね。

これが思春期以降強くなっていくんですけども、今みたいな形で僕達っていうのは「自分の座標」っていう表現を僕は使うんですけど、自分のポジションであったりとか、居場所っていうとちょっとニュアンスが違うんですけど、でもそんなニュアンスですね。

居場所だったりとかって、いわばそういった自分のポジション・立ち位置みたいなものっていうのを人間関係の中で比較をして定めていこうとするっていう心理があるんですね。

だから環境によって当然ですけど、周りのコミュニティによって変わっていきます、人がね。

周りの人達との関係性が変わっていきますよね。

そうすると、その人間関係の中で自分はこのポジションだったんだけど、今度別のコミュニティに行くと、当然そのグループが変わるわけですから、役割が変わるとか、ポジションが変わるってことはよくあるわけですよね。

そうすると、前のコミュニティで確立してきた自分のポジションっていうのが、新しいコミュニティでは全然通用しなかったりとか、違うふうに取られたりとかして。

「私ってじゃあここでは何をすればいいの?」みたいな感じでまた自分を見失ってしまうと。

その状態でまた次のコミュニティに行くってなってくると、「いったい私って何者なんだろう」みたいなね、そういうニュアンス・思いっていうのが感じられて、アイデンティティっていうか自分を見失っていって「自分が何者かわかんない」っていうことになっちゃったりするんですね。

これってもうちょっと具体的にいうと、たとえばですけども、中学生の時は明るくて面白くて元気なやつだったんですよね。

で、そのままクラスの人気者みたいな感じで高校に進学しました。

そうすると、実はその高校って狙ったわけじゃないけどあっちこっちの中学から面白い奴が集まってきて、そうすると中学の時は自分を面白い人間っていってみんなから認識されていたんですけども、高校に行ったらなんか普通の奴になってしまったと。

クラスで面白い奴って他にもいっぱいいて、全然自分って面白くないやんみたいな。

自分って面白いと思い込んできたんだけど、ここで比較すると全然ちゃうやんって言って、自信を失っていってしまう。

こういうことっていうのは少なからずみなさんね、小っちゃいことでもいいので体験されたんじゃないかなと思うんですよ。

で、そういう形でその比較をして自分のポジションっていうものを定めていくっていうかね、決めていくっていうのは、実はですね、僕たち“不安”なんですね。

不安なので、役割であったりとかこういったポジションであったりとかっていうものが見つかると、すごく安心するんです。

「あ、ここのコミュニティの中ではいじられ役でエエねんな。よし、わかった!いじられ役やるわ!」みたいな感じね。

逆にあるコミュニティでは、「ここはツッコミの方にいった方がエエねんな」と。

別にお笑いの世界だけじゃないですよ。なんの世界でも同じなんですけども。

ツッコんでいった方がいいねんな、みたいな感じでそこで学ぶと。

そうすると安心するし、役割ができるので人間関係も比較的スムーズにいきやすくなったりするんですよね。

それである意味「成功」っていうことになりますけども。

さっき言ったみたいに、そうやって自分のポジションというのがちょっと掴みかねているとか、前は有効だったポジションが今のコミュニティでは通用しないとなってくると、途端に頭を抱えてしまうことになるわけです。

「どうしていいかわからへん」というかね、「どう接していいかわからへん」とか。

そうすると、この癖がついてくると、たとえば社会人になっても同期の子と自分を比べる、先輩と比べる、新たに入ってきた後輩と比べるということをやっていくようになります。

で、移動すれば移動した先でっていうことになっていくんですけど。

さっきも言いましたようにコミュニティが変われば人間関係も変わるので、そうやって他者との比較の中で自分のポジション決めをやっていこうとしていると、常に自分が宙ぶらりんというかな、居場所がないというかな、なんか常に不安を抱えているような状態っていうことになります。

これ一言で言うと“他人軸”っていう状態になって、この「比較の罠」っていうのをよく言うんですけども。

「あの人と比べて自分はどうだ」っていうことを考えてしまうほどですね、なにが問題かというと、その人がどうかとか、あの人がどうかとかっていうことを見て自分を決めるっていう、ちょっと後出しジャンケンぽい。

要は他人軸ですからね、後出しジャンケンぽくなってしまうので、「私」っていう存在というものが、どんどんどんどん追いやられていくんですね。

要はこのコミュニティの中で自分が入れる隙間はどこやろ?みたいな感じで、「すんませんなぁ、そこちょっと入れてもらえませんか?」みたいな感じで入っていくと。

で、そこちょっと窮屈なんだけども、「ここにいるにはこのポジションしかないしな・・・」みたいな感じでやっていくと当然ストレスになっていきますし、疲れてしまいますね。

要は満室状態のサウナみたいな状態なんですけども。

そうするとやっぱり自分を生きられなくなってくるというかね、常に不安や怖れでビクビクしてしまうと。

そうするとせっかく持ってる“自分の能力”っていうものが活かせなくなってしまうんですね。

そういうふうに思春期以降、比較っていうものをしてしまうことはしょうがない傾向なんですけども、それはそれとしてですね、

「私は私」

という“自分軸”っていうのを持っておきたいんです。

たとえば前のコミュニティで面白くて明るくて人気者になった人っていうのは、次のコミュニティーでそのポジションを獲得できなくても、それがやっぱり魅力なんですよ。

面白くて明るい奴なんですよ。それは間違いないんですよね。

ただそこをね、自分の否定してしまう。

否定してしまうことによって、自分の価値をどんどん消していってしまうんですよ。

だって比較しようと思えば、日本で一番、世界で一番にならないと、「あぁ、これが俺がポジションだ」と思えなくなりますからね。

ということで、まず“自分軸”っていうことを意識していただくことと、

たとえば「私にはこれが魅力的である」とか「私はこんな価値がある」というのは、比較せずとも必ずあるんですよ。

だからそれをまず知っておきたいっていうこととですね、自分ってこういう人間なんだなと。

好きなもの、嫌いなもの、やりたい事、得意な事、色々あると思います。

そういった“自分の内面”っていうところに答えを持っていくと、そういったポジションに悩むっていうことがだんだんなくなっていったりします。

ということで、参考にしていただければ幸いでございます。

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