私達は他人から傷つけられることってないんです。
このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。
この話の元記事はこちら!
「「傷つくかどうかは自分が選択している」という話と「自分軸で生きてる人と自信過剰なイタイ人との違い」という話。」
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どうもこんにちは。
カウンセラーの根本でございます。
いつもお聞きくださいましてありがとうございます。
ということで、ちょっと涼しいですけど、とてもいい天気になった大阪でございますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今日は、ちょっと難しいかな。抵抗あるかな。
難しいんですけども、「人から傷つけられることって、本当はないんですよ」ってお話を、お届けしていきたいと思います。
よかったら最後までお聞きください。
そして、チャンネル登録とかフォローとかも、よかったらよろしくお願いします。
よく僕たちは、誰かの言葉とか態度に傷ついた、傷つけられたっていうふうに受け取ってしまう、感じてしまうんですけども。
実は、それは違うんですよっていうお話ですね。
物理的にナイフで傷つけられたとかっていう場合は、ちょっと別ですよ。
「心の問題」なんですけども。
僕らは、人の言葉で傷つくとか、態度で傷つくということは、本当はありえないんですね。
まぁいいですいいです。
反論、違和感、当然あると思います。
これは、ちょっとけっこう言葉を選ばないと、事例が大変難しいんでございますけどもね。
たとえばですけども、僕のじいちゃんは、もう昔に亡くなってるんですけども。
綺麗なツルッパゲのじいちゃんでございました。
僕も、その後受け継いで、徐々に髪が薄くなってきている今日この頃でございますけれども。
小さい頃、おじいちゃんの頭をペチペチしながら「ハゲ!」とか言ってからかってたわけですね。
そうすると、うちのおじいちゃんはそこでっとグイって頭を擦りつけてきて、「まぶしいだろ~!」みたいなことを言って遊んでくれて。
まぁ、未だにそれを覚えてるっていうのも、不思議なものでございますけども。
その頭が薄いとか、髪の毛がないっていうことに対して、うちのおじいちゃんは、それをニコニコしながら受け入れてたわけですよ。
まぁまぁ孫が言ってるから、そういうふうに受け取ったのかもしれませんけども。
実際は、どう思ってたかわからないですけど、でも僕から見ると、すごくいいおじいちゃんだったんですよね。
ところが、同じことをすると、すごく傷ついちゃう人っていますよね。
だんだん髪の毛が薄くなっていくっていうことに対して、非常に劣等感・コンプレックスを持っていて、そんな自分を嫌っているような場合などに、傷つくっていうことが起きちゃうわけですね。
わかりやすい例として、こういう例を挙げているわけでね。
他にも、さまざまなこと、コンプレックスとかって言われるものに関しては、同じような反応を示すと思います。
たとえば、ブログでも紹介しましたけども、離婚経験があるということについても、人はいろんな捉え方をしています。
すごくそれを恥じていたりとか、悔やんでいたりとか、そんな自分を否定している人もいれば、むしろ肯定的に捉えて、「すごく自由になった」とかって言う方っていうのがいます。
どっちのタイプも、うちのクライアントさんにいらっしゃるんですね。
で、そうすると、「離婚した」っていう話や、「離婚」という言葉を聞くと、それでやっぱりちょっと劣等感のようなものを持っている方は、すごく嫌な気分になるし、ポジティブに捉えている方は、すごくハッピーな、「あぁ、すごく良いことよ!全然自由よ!」みたいなふうにおっしゃられたりするわけですよね。
つまり、同じ言葉、同じ事象であったとしても、「人によって受け取り方が違う」っていうことにお気づきでしょうか?ということなんですよ。
つまり、それは相手がどういう態度、どういう発信をするかによって決まるのではなく、自分の中にもともとあった劣等感とか、コンプレックスとか、傷だとか、要は自己否定的なもの、自己嫌悪みたいなものっていうのがあって、そこに触れる言葉、言動、態度っていうのを取られた時に、傷ついたっていうふうに感じるんです。
つまり、もともと傷があったところに、誰かがそこに触れたっていうことで、僕らは痛い思いをする。
で、それを痛い思いをさせたのが、他人・相手だから、「お前のせいで、私は傷ついたんだ」っていうふうに思うんですね。
これが、僕らが「傷つけられた」っていうふうに感じる仕組みなんですよ。
だから、もともと傷がなければ、同じ態度を取られても痛い思いをすることはないので、傷つけられたっていうふうには感じなかったりします。
これは、すべてのケースに当てはまるかっていうと、また突っつきどころがあると思うんですけども、実はほとんどのケースで言える、とても大切な心の法則だったりするんですね。
いわば、「人は人を傷つけることって、本当はできないんですよ。あ、心の面でね」っていうふうなところが、実はあって。
これは、なかなか納得しづらいですし、これを受け入れるということは、難しいことかもしれません。
とくに、これを受け入れていくためには、「自分軸」っていうのが非常に鍵になっていきます。
だから、たとえばミスをして、そのミスに対して自分を責めているとか、自分が「うわーやってもうたなぁ」とか、「申し訳ないなぁ」っていう気持ちでいるところに、上司から怒られましたってなってくると、ここに自己攻撃や自己否定があるわけですから、上司に傷つけられて、「あんなにも言うことないんじゃない」とか、「あれはひどいよね」みたいなことって言えるんですね。
ところが、自分軸でいられると、その上司と適切な距離感というのを取ることができるので、仮に同じ態度で上司が怒ったとしても、「まぁミスをしたのは悪いけどさ、別に」みたいな感じで、それが影響を受けないっていうことになるんです。
だから、「自分軸」も大事だし、実は「自己肯定感」です。
要は、自己否定があるところで傷つけられたと思うわけですから、結局は「自己肯定感」というお話になってしまうんですけれども。
そこで、自分が自分のことを受容している、自分が自分を責めてなければ、人から責められたとしても、僕たちは影響を受けない。
これも、ぜひ覚えておいていただきたいんですね。
でも、なにかしらここに僕たちは劣等感があったりとか、すごく自己嫌悪があったりとか、自己否定のようなものがあったりするので、そうすると、誰かの言葉をわざわざ拾い上げてって言うつもりはないんですけど、その言葉に反応してしまうわけですね。
そういうことっていうのは、何気なく発した一言で、自分はすごく気分が落ち込んじゃったみたいな経験でも、言えるかと思います。
もともと、自分の中にそういった自己嫌悪、自己否定があって、それを相手の言葉や態度で傷ついた、傷つけられたっていうふうに解釈してしまうということなんです。
だから、相手が良いとか悪いとかではなく、「自分自身の心を見つめていくということが大事なんだよ」っていうことが言えるわけですね。
自分自身が、その傷をちゃんと向き合っていく。
あるいは、受容していく、自分を受け入れていく。
つまり、自己肯定感をあげていく。
そして、自分軸でいられる。
「私は私。相手は相手」って線引きをしておく。
これが、他人軸になっているとか、あるいは自己喪失状態になっているとかっていうことになりますと、これがうまくいかないわけですね。
そこで、傷ついてしまうということが起こってしまうわけですよ。
なので、そういうところで、ちょっと繊細な部分ではあるんですけども、誰かの言葉で「傷つけられたな」と思ったら、逆にそれは「自分の心の中にある痛み・傷に気づくチャンスであり、自分を癒すチャンスなんだ」っていうふうに捉えると、大変前向きに物事と向き合えるようになっていきます。
実際、こういった問題はカウンセリングなどでもたくさん出てきて。
たとえば、先ほどお話したように、離婚ということに非常にネガティブなイメージを持って自己嫌悪をしてきた人も、カウンセリングを進めていくにつれて、離婚について前向きに捉えられるようになって。
「いや、むしろ良いことじゃね?」みたいな、「むしろ良かったんじゃね?」ぐらいに思えるように意識が変わっていくんですね。
そうすると、結果的にというか、離婚の話をされても、自分は傷つくこともなければ、嫌な気分になることっていうのもなくなっていくわけです。
これは、けっこういろんなことに言えて。
やっぱりそこに、自己否定、自己嫌悪っていうところを癒していく、自己肯定感に変えていくっていうことで、すごく重要ですし。
そのためには、やはり自分軸っていうのを確立していくということが、目標になってくるんですよっていうところを、今日は抑えていただければ幸いでございます。
だから、言ってみれば、「人の言葉や態度で傷つけられるってことはないんですよ」っていうことを、今日はお伝えしたいと思います。
ということで、今日も最後まで聞いていただきまして、ありがとうございました。
よかったら、チャンネル登録・フォローもよろしくお願いします。
では、この辺で失礼したいと思います。
では、バイバーイ。
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