家族(きょうだい)に障がい者がいる心理。

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。

「障がいを持つ妹のことが、正直、重荷に感じてしまう。」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで今日は3本目の収録でございます。

ちょっと1週間お話ができなかったので、できるだけまとめというようなかたちになりましたけども、お伝えしていきたいなと思います。

今回のテーマは少しちょっと繊細なというか、表現にけっこう気をつけなきゃなというテーマなんですけども。

カウンセラーをやってると、今までもこういった似たようなお話っていうものによく出会ってまいりました。

一つは、今回の元ネタのブログであったように、兄弟に障害者がいる、どんな障害かはちょっとわからないんですけども、そういったケースをブログの方ではご紹介しています。

他にも親がそうだという場合ももちろんありますけども、いろんな問題児が家族の中にいると。

これは非行に走ったお兄ちゃんがいるとか、いろいろと厄介事を持ち込むお父さんがいるとか、すごく病気がちで体の調子がずっと良くなかった親とか兄弟がいるっていうような場合なんですよね。

今日は元ネタに沿って、妹さんが障害者だったという、障害者であるという状況においての心理についてを中心にお伝えしていきたいんですけども。

正直言うと、けっこうここで、こういった公の場でお話をするっていうのは難しい部分がありまして。

場合によっては誤解を与えてしまうかもしれないんですけども、なるべくシンプルに、そうならないようにお話をしたいなというふうに思っております。

私も今まで兄弟に障害者がいる方と、何人とは言えないですけども比較的お話をしてきました。

やっぱりたとえば妹が障害者、弟やお兄ちゃんお姉ちゃんに障害者がいるっていうことは、ほとんどのケースで「いい子」に育つようになるんですよね。

たとえば、これは障害者だけじゃなくて病気がちっていうことでも起こりうるわけですけども。

たとえば親はやっぱりその子の方に目が行く。妹の方に目が行くわけですよね。

けっこう大変だったりするわけですよ。

あっちこっちかけずり回ることもあるでしょうし、そのケアっていうとこに勤めることもあるでしょう。場合によってはお金もすごくかかってしまうでしょうと。

そうなってくると、そんな両親を見てますから自分が親に迷惑をかけるわけには当然いけないですよね。

そうするとやっぱりいい子になって、むしろその兄弟の面倒見をよくしたりとか、両親のお手伝いをしたりとか、周りに心配をかけないように自分で全部なんでもできるようなになったりとかして。

自立が非常に早まるわけですね。

もちろんそれは悪いことではないんですよ。

立派なことだし素晴らしいことなんですけども、その一方で僕の表現を使えば、子供時代に子供がちゃんとできなかった。

たとえばやっぱり嫌なことがあってもそれを我慢しなきゃいけないとか、わがまま言いたくても言ったらお母さんがしんどそうだからそんなことを言えないとか、やっぱり子供だから反抗したりとか、もう暴れたりとかしたくなるんだけども、そんなことしたらみんなに迷惑がかかるからっていうことでそんな気持ちも抑え込むようになって、どんどんどんどん自立をしていって、自分でなんでもできるようにしていく。

そして同時に妹の面倒を非常によく見たりとか、忙しい親に変わって、場合によっては親代わりのような立場になったりとかするっていうこともあります。

僕のクライアントさんの中には、弟さんの学校の行事、年が離れてたので弟が小学生のときに自分が中学生で、それで彼が学校の行事とか小学校の行事とか先生の方に自分が話しに行ったりとか。

親が忙しかったりしたので、そういうふうなお兄ちゃんにも出会ったことがあります。

そうやってすごく大人っぽく、早く自立するっていうメリットはもうたくさんあるんですけども、でも子供時代に子供ができなかった分だけ、やっぱり自分の中にモヤモヤしたものがたまりやすいわけですよね。

そしてやっぱり、たとえば両親が障害者の妹だったり兄弟の将来をすごく案じるわけですよ。

自分たちの方が順番から言えば先に死ぬと。じゃあ残されたこの子はどうするんだろう?と思ったら、お兄ちゃんお姉ちゃんとか、その子に託すしかないと。

ところがここで見落としがちなんですけども、両親は両親で障害者の妹の方ばかりに目がいってしまって、お姉ちゃんの方に十分目をかけてあげられてないっていう罪悪感も実は持ってたりするし、すごくいい子で自立して頼りがいのあるお姉ちゃんに育ってるので、両親もお姉ちゃんに甘える、そしてお姉ちゃんはやっぱりそれを必死に受け止めて支えるっていうような、こういった心理というところがやっぱりベースとして出てくるわけです。

そしてもちろん同じ兄弟だから、やっぱり障害者であってもかわいかったりとか、すごく仲良くしたかったりっていうこともあったりするんですよね。

でもやっぱりたとえばその子の存在がちょっと恥ずかしいなと思うと、学校で兄弟の話ができなかったりとか、家に友達を招くっていうことができなかったり、こんな話も僕は何度か聞いたことがあったりします。

それは大人になっても変わらないんですけども、ずっとその障害者の兄弟のことっていうのが頭の中に残っていて、そしてやっぱり将来自分がこの子の面倒を見ていくっていう、それが重荷になるときもあって、逃げ出したいときもあって、反抗したくなることも当然あるし、でもなんだかんだ言って「でも私がちゃんと面倒見てあげたいな」っていう、やっぱり愛もそこにあって、すごい葛藤を抱える時期があるんですね。

やっぱり周りに似たような子がいれば話もできるんですけども、なかなか同じような境遇の子っていなかったりするので、そうするとその気持ちを1人で抱えて大人になっていく。

そしてもちろん大人になってからもその思いをずっと抱えていくっていうことになって、なんかの瞬間にプツンと切れてしまったりとか、本当に重たくなってしまうということがあります。

そういった方々に僕はお会いすることが多かったわけですけども、そういうときに僕はどういうふうにお話をするかっていうと、当然ながらその方っていうのはたとえば妹さんが障害者であれば、もちろん自分にもそうですけど周りの目が自分を通り越して妹の方にいってるっていう経験で、その人自身を見てもらうっていうことが実はあまりなくて、心の中に「寂しさ」っていうのを持っています。

そしてこれがちょっとすぐにはピンとこないかもしれませんけども、自分が健常者であること、自分がまともであることに対して実はちょっと「罪悪感」を持ってる人も多いんですね。

これは恵まれてることへの罪悪感の一種だったりするんですけども、そうやってなんか自分の存在を、なんか健康でごめんなさいみたいな思いを抱えてたりすると、ここに癒着問題が出てきたりとかしますよね。

そして子供時代にやっぱり子供ができなかった分だけ、我慢我慢我慢、犠牲犠牲犠牲ということをやってきますから、心の中にいっぱい溜まったものっていうのが出てくるんですね。

なのでカウンセリングの中で、これは僕との一対一の中でねって、ここだけでちょっとそういった気持ちを出していきましょうよと。

だからたとえば、他所では絶対言っちゃいけないと思っていた親とか妹への恨み節みたいなのっていうのをもう吐き出してもらったりとか。

それからさっきお話した罪悪感、これについても心の中にあるものを出していただいたりとか。

でもその一方で、すごくかわいかったり愛情があったり、自分がこの子を守っていくっていう強い意識があったりとか、こういった部分も自分の中で認めていく。

要は「感情の整理」っていうことをとてもよくやっていってきます。

そしてほとんどの方がそこで大泣きされたりとか、いっぱい感情を出されるわけですけども、でも結局ベースには「愛」っていうものがめちゃくちゃ強くあるんですよ。

めちゃくちゃ強くあって、本当に両親にしてもその兄弟のことにしてもめちゃくちゃ愛してるからこそ、ここまで苦しんでるっていうことなので、そのことをぜひお伝えしたいし、わかってほしいなというふうに思ってお話をさせてもらうんですね。

もちろんこれは障害者の話で今日はちょっと通してきましたけども、親の問題児だったりとか家族の中に病気がちな人がいるっていうことも本当にそうです。同じなんですよね。

そこでやっぱりなんで頑張ったの?なんでそこまで耐えたの?なんで我慢したの?

「愛」があるからなんですよね。

だからその自分の中にある大きな愛、偉大な愛っていうことに気づいていただけると、ここで人生が大きく変わっていくんじゃないかなっていうふうに思ってお話をさせていただきます。

ということで、今日も最後までありがとうございました。

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