子供を傷つけたくないと思って愛情を注いでいるのに。

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。

「自分が傷ついたように子どもを傷つけたくないと誓って子どもと接しているのに・・・。」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつも聞きくださいましてありがとうございます。

ということで今日は雨の大阪でございます。

だいぶ涼しくなりましたね。

半袖ではちょっと寒いかなっていうくらいでございまして、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

今日は珍しいといいますか、年に何回かあるんですけども、「子育てのお話」をちょっとさせていただきたいなと思います。

子育ての本は、実は昔っていうか、2年ぐらい前に書いたことがありまして。

「子どもの将来は「親」の自己肯定感で決まる」という、そんなタイトルの本が出ております。

実務教育出版さんからですけども。

基本的な子育ての概念だったりとか、見方なんていうのもその本の中で説明してるんですけども。

僕のところに寄せられる子育てに関する相談っていうのは、たとえば自分の子供をうまく愛せないとか、可愛いと思えないとか、やっぱりそういう問題がらみのところがあって。

今日もブログの方で答えさせていただいたんですけども、内容としては自分の母親がそんなに愛情かけてくれなかった・自分を受け止めてくれなかったと思って育ったわけですね。

だから自分の子供のことはしっかり愛情を注いで受け止めてあげようっていうふうに思って、そして今二人のお子さんがいるみたいですけども、今日まで至ると。

何歳かはちょっとわからないんですけども、でもその長女の思いっていうのを受け止めきれないとか。

それから自分自身が十分愛情を注いてるんだけども、なんかちょっと違うなっていうふうな、そういう思いを抱かれてるというお話でございました。

まず大前提としてそういうご相談をいただく、相談をしたい、もっと言うとそういうことで悩む時点で、母親としての愛情っていうのはたっぷりあるんですね。

自分にすごく愛情があって、要するに子供のことをすごく愛してるわけですね。

だけどもうまく愛情の表現できなかったり、いい関係を築けなかったり、子供を傷つけてしまったり、子供がたとえば問題を持ったりなんていう時に、愛情があるからそこで悩むんですね。

これはもう大前提の前提なんです。

でもその子供を愛してるっていうのも、ママからすると当たり前すぎてそんな実感はないわけですね。

空気があるのは当たり前、水が出るのは当たり前みたいな感じで、子供に愛情を感じてるので、もうその基準が麻痺してしまってるわけです。

その上で一生懸命愛情を注ごうとするわけですから、これがうまくいかないとお悩みの方のほとんどが、大概オーバーワークになってるというか、サービス過剰になってるんじゃないかっていうケースもめちゃくちゃよくあるわけです。

今日ネタをいただいた方は、先ほどお話したように親から十分愛情を注がれてないように思って、寂しかったんでしょうね。

自分のことを受け止めてもらえなかったっていう思いがあって。

そうすると、その思いを持ってるからこそ自分の子供には同じような思いをさせたくないと。

もうこの時点で愛なんですよ。

この時点で娘のことを愛しちゃってるわけですね。

だから本当のことを言うと、もうこれだけでも十分なんですよ。そういう思いを持ってるっていうだけで十分なんですね。

ところが、ここで一つちょっと問題があるのは、自分が与えてもらえなかったじゃないですか。

だからデータを持ってないわけです、自分自身に。

だから子供に与えてあげようと思った時に、「どれくらい与えていいか」っていうのがちょっとわからなくなっちゃうんですね。

で、どうなるかっていうと、自分は与えてもらえなくて、寂しくて辛くて嫌な思いをした。

もし与えてもらってたらいつもニコニコしてるんじゃないかなとか、ママとの関係がすごく良くなるんじゃないかな、ママ大好きとかってじゃんじゃん言ってくれるんじゃないかなって想像するわけですね。

とすると、もし自分が愛情が与えてもらってたらこうなってるだろうなっていう姿を、娘が見せてくれたらオッケーみたいな感じのイメージで捉えられるわけですね。

でも実際はそうはいかないんですよ。

これはさまざまな理由があってなんですけども。

自分は愛情たっぷり注いでいるつもり、まぁ愛情を注いでるんですよ、いっぱい受け止めようとするんですよ。

ところが、場合によっては娘さんとしては「もっともっと」っていうニーズが出てきちゃう場合もありますし。

それからサービスが過剰になってしまってると、たとえばご飯であっても、お金であっても、物であっても、与えすぎるとやっぱり受け取りきれない部分っていうのがあるんですね。

さらにここはちょっと今日のお話の肝になるんですけど、与えてもらえなかったから与えたい。

これは愛情かもしれないんですけども、実は意識は「オカンを見てる」っていうことはわかりますか?

自分のオカンを見てるんだぞっていうところがちょっとポイントで。

「これだけあなたのためにやってるのよ」っていう気持ちになったりとか、「こんなにも愛情を注いでいるのになんで」とか、「こんなにもママはあなたのことを受け止めてるのになんで」っていうふうに思っちゃう。

これは自分のニーズなんですけど、これは裏を返すとお母さんに対するなんらかのわだかまりが出てきますし、「お母さんが与えてくれなかった」っていう基準がやっぱりあるので、そうするとどんだけ与えても、与えたような気がしないんですね。

なので娘がどんな反応を示しても自分は満足できなかったりとか、それからニーズって言うんですけど、与えてもらえなかったから与えるっていうニーズが出ちゃうんですね。

それが出ちゃうので、どうなるかって言うと、皆さんも優しくされてんだけどなんか裏がある感じがするみたいな。

素直に受け取っていいのかしら?みたいなことってないでしょうか。

みたいなことが親子関係で起こってしまうんです。

自分の娘と、子供との関係で起こってしまうんですね。

他にもちょっといくつかの事情があって、それはブログの方でも説明させていただいてるのでぜひ読んでいただきたいなと思うんですが。

これがけっこう切ないのが、愛情のすれ違いというか、愛情の空回りみたいなことが起こってるんですね。

だから一言で今日の相談者さんにお伝えしたいのは、「頑張りすぎ」っていうことなんです。

「そこまでせんでもええよ」と。

しかもお母さんに与えてもらえなかったっていう思いがあると、いわゆる恨みつらみみたいなのがあるわけですね。

となってくると、もうそのお母さんへの対抗心・競争心っていうものだったりとか、「お前のせいで」みたいな恨みつらみみたいなのが残ってる分だけ、「こんだけやったんだぞ!」みたいなところを無意識にやっちまいがちなんですね、人間ってね。

だから、もちろんお子さんに対する純粋な愛情っていうのがあるんですよ。

ところが、自分がそういったところで与えてもらえなかった、自分のお母さんとの関係のわだかまりが出てきたりとか、他にもいろんなパターンがあって。

たとえば自分の無価値感であったり、罪悪感っていうものが強かったり、自己肯定感が低かったりとかっていう自分自身の問題っていうのが背後にあると、ゆえにそれを補う「補償行為」って言うんですけど、それを補うために頑張りすぎてしまって、オーバーワークになって「こんだけやってんのになんで!」っていうふうに思っちゃうようになるんです。

もうその時点でやりすぎっていうことなんですね。

だから非常に加減っていうのは難しいです。

しかも完璧な子育っていうのはありません。

とくに理想主義者・完璧主義者の方が母親になると、「母親業」っていう、これ年中無休24時間営業なんですよ。

なんならコンビニみたいなものなんですよ、お母さんっていうのはね。

だから、もうもたないんですよ、シフト制を組まないと。

ってなってくると、「もっともっとしなきゃ」とか、「まだ足りないの?まだいけないの?」っていうことを思い過ぎてしまうがゆえに、愛情が土台にあるんだけども、その上に犠牲やら補償行為、同じような意味ですけど犠牲が乗っかっちゃったりとか、ハードワークが乗っかってストレスが溜まってしまったり、余裕がなくなったりということになって、愛情を覆い隠すぐらいのネガティブな感情で自分が支配されてると、「子供のことをうまく愛せていない」なんていう思いに至るわけですね。

違うんですよ。そうじゃないんですよ。

めちゃくちゃ愛してるからそんなふうに思うんですよ。

めちゃくちゃ愛してるから頑張りすぎるんですよ。

だから、そんな頑張らなくていいんですよ。

「大好き~!」って言っていればいいんですよ。

だからよくお話するのはご機嫌でいる、自分のご機嫌がいい時にちゃんと愛情を伝えることだったり、抱きしめてあげることだったり、褒めてあげることだったりでいいんです。

自分が気分が、アップダウンでダウンの時に頑張ったらしんどいのはなんでも同じなんですけども。

母親の責任であったり、大好きだから、愛してるから、なおさら頑張りすぎてしまう。

そしてそれがネガティブな感情・思いにつながってしまうっていうのは悲劇ですので、今日のお話をよかったら自分に置き換えて聞いていただければなと思います。

ということでありがとうございました。

根本でした。

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