親密感への怖れが強い彼の心を開かせる方法~自分の痛みを越えて彼を愛する覚悟を決める~

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。

「親密感への怖れが強い彼の心を開かせる方法~自分の痛みを越えて彼を愛する覚悟を決める~」

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いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで今日は神楽坂のセミナールームに来ておりますけども。

昨日のネタですね。けっこうTwitterとかメッセージも頂きまして、すごく好評だった記事なんですけど。まぁちょっと長文でしたけどね。

その内容についてこちらでもお話してまいりたいとおもいます。

「親密感への恐れ彼の心を開かせるにはどうしたらいいのか?」というですね、うちのクライアントさんにとってはあるあるのテーマでございますけれども。

少しでも参考になればと思っております。よかったら最後まで聞いてください。

ということで、「親密感の怖れ」と言う話はですね、けっこう自立的な生き方をしている方には、まぁ誰にでもあると言っていいテーマなんですけど。

2人の距離が近づくと、まぁ離れたときはね、けっこういいんですけども、近づいていくとなにかしらの問題が出てくる。

たとえばですけれども、極端に言えば音信不通になるとかね。すごく仲良くできていたと思っていたのに、いきなりキツイことを言われたりとか。あるいはシャッターが閉じるように、彼が心を閉ざしてしまったとか。

それから、会う頻度というか、なんか距離置かれてるのかなーっていう態度をとられたりとかっていうことでよく出てくるんですね。

これは一応今回テーマとして元ネタさんが女性で、彼との関係でレスになっちゃったというところが発端なんで、そういう話をしてるんですけども、男女逆でももちろん同じことっていうのは起こり得ます。

自立的な人っていうのは「一人で生きている」、「一人でなんでもしなきゃいけない」とか、「自分で何とかしなきゃいけない」っていう思いが強い人たちのこと“自立”って言うんですけど。

裏を返すとですね、“依存時代”っていうんですけど、依存時代にけっこう傷ついた経験があって、そこで人と親密になることであったり人を信頼するっていうことを怖れるようになっちゃった。

だから“一人で頑張らなきゃいけない”っていう心理なんですね。

もちろん様々な面があります。自立っていうところでね。

で、そうすると、たとえば恋をして、いいなぁって関係ができたとしても、実際、物理的な距離っていうよりも心理的な距離ですね、距離を縮めるっていうことに関して、自分でもわけわからない怖れとか不安とか、あとは罪悪感とか無価値感とかが出てきたりして。

それで距離を縮めるとヤバいぞっていうことでシャッターを降ろしたり逃げたりとかですね、問題を起こしたりとかっていうことになっていくわけですね。

で、そういう関係になっちゃった場合、彼女側としてはどうしたらいいのかっていうのが今日の話の主旨なんですけども。

この彼女側からするとですね、自分自身にももちろん親密感の怖れっていうのがあるから、この関係をつくっちゃったんだろうなって。

じゃあそこを癒やしていきましょうねっていうことも一つのテーマなんですけども、まぁそっちが主なんですけども。

ある程度自己肯定感が上がってきた、高いレベルでキープしているっていう方からすると、次のステップというか、その次の段階に進むっていうことを提案することが多いんです。

それはなにかっていうと、“彼のためにいっぱい与えてあげましょう”っていうことですね。

自分のことなんか放っておいて、相手に与えましょうっていうことを言いはじめるんですね。

これがですね、ちょっとややこしいのが、自己肯定感が上がってきている人、つまりそもそも自分のことを大事にしたり自分のことを受け容れることができてる人は、そうしたほうがいいんですけども、

そこがまだだっていう人がこれをやっちゃうと、犠牲になってしまってですね、燃え尽き症候群だったりとか、さまざまな別のしんどさが出てくるっていうところなんで、けっこうそこは見極めってややこしいんですけど。

で、そこで彼のことを愛したいから、2人で幸せになりたいから、彼ともっと親密になりたいから、っていう意味で与えていく。

その意識っていうのは、彼を助けてあげたい・彼を癒やしてあげたい・彼をもっともっと笑顔にしてあげたいっていう“愛からの行動”なんですね。

これはですね、自分のエゴであったり、欲であったりとか、自分自身の痛みであったりとかっていうものよりも、それを越えて彼を大事にする。

自分の痛みより、“自分のエゴよりも彼を愛することを選択する”っていう、意欲であり意識っていうところなんですね。

だからある意味これって、自分を乞えて与える・自分の痛みを超えて与えるっていうことになるので、ある種の「自己超越」みたいなね。そういうニュアンスとしてとっていただいてもいいかなと思うんですね。

だってそれくらい彼のことを好きなんでしょう?それくらい彼のことを愛しているんでしょう?

だったら自分の痛みなんかよりも、彼を愛することを、彼を理解する、彼を信頼する、そこを選びませんか?っていうことが提案っていうことになっていきます。

じゃあどうやって具体的に癒やしてあげたらいいの?っていうと、たとえば向こうがね、カウンセリングを受けているみたいに自分の問題を素直にシェアしてくれるのであれば、まぁまぁわかりやすいんですけれども。

向こうがシャッターを閉じているとか、問題を起こしている状態だとするならば、なかなかそういう機会もないよね、と。

じゃあどうしたらいいの?って話なんですけど。

そこで提案しているっていうのが、“話を聞く”っていうことですね。

聞いて聞いて聞いて聞きまくるっていうことなんですよ。

これはですね、まぁ話を聞くっていうのも、自分の痛みとかエゴとか欲があるとですね、話を聞きながら、「いやいやだってわたしだって」とかね、「いや自分だってさー」みたいな攻撃になったりとか、自分の欲が出てきてたりとか。

あるいは話を聞いているうちに自分のほうがしんどくなっちゃって、ダメージを受けてしまうとか、こういうリスクも当然ながらあるわけですね。

カウンセリングとちがって、いわゆる当事者同士の話し合いみたいな感じになるわけですから、当然こっちにも攻撃が出てくる場合もありますし、彼の何気ない一言ですごく自分がショックを受けることも当然リスクとしてはあるんですけども。

それを超えてですね、そんな痛みよりも、彼のことを愛することを選択しませんか?っていうことが、ここの自己超越の主旨なんですね。

じゃあ自分の傷はどうしたらいいの?と。

これはね、そこでもしあなたがカウンセリングであったりとか、信頼できる友達や家族っていうところがあればですよ、じゃあ今度は友達に聞いてもらおうとかカウンセラーさんに聞いてもらおうっていうふうにして、そっちに流せばいいわけですね。

で、目の前にいる彼のことを最優先して大事にしてあげるっていうことが、ここでの“自己超越”って意味っていうことになってきます。

そこでとにかく話を聞いて聞いて聞きまくる。まぁ自分の意見というのは差し挟まない。聞かれたら答えるって体にして、基本的にはいろんな質問をしてあげる。

もちろんね、そんな簡単に答えてくれないですよ。すぐには心なんて開いてくれないですよ。だから本当に数カ月間、3カ月間くらいはちょっと頑張りましょうってあえてお話することが多いんですけども。

今日あった出来事だったりとか、仕事のことだったりとか、あるいは彼の趣味の話だったりとか、食べ物のこととか、ささいな話とかでもいいんですね。

そこでその話っていうのをひたすら「ふんふん、あ~そうなんだ!へぇ~!そうなんだ!」と、友達の話を聞いているときのように、聞き続けてあげるっていうこと。そして理解しようとしてあげる。

これってこういうことかな?とか。これってそういうこと?みたいな感じや、質問とかはいいとおもいます。

で、そこでだんだん話をしていくと、人っていうのはですね、これはおもしろいんですけど、自分のことを否定せずに受け容れてくれる・自分のことをちゃんとわかろうとしてくれる人に対して勝手に心が開くっていうシステムになっております。

なので、だんだんだんだん彼の話っていうのが聞けるようになっていきます。

たとえば彼の昔の恋愛で受けた痛みだったりとか、子供のころのさみしい思い出だったりとか、学生時代にすごく悔しい思いをしただとか、親に対してすごく不満があったけど言えなかったとか。

それをですね、まるでカウンセラーになったようなつもりで、ただ聞いてあげるっていうことなんですね。

ただですね、ただそれだけだと、なんか本当にカウンセラーになっちゃうみたいな感じなんですね。

本当にカウンセラーになっちゃって、良いお母さん・良いお姉さんみたいなポジションに入ってしまって、そこは望むところじゃないですよねっていうところで、大切なのは、そこで話を聞きながらですね、自分の中で、昨日のブログではね、「エロい目で見続けろ」って言ってるんですけども。

要は女という意識っていうのを持ったまま、この人のことが好きだな~とか、この人とエッチしたいなぁとか、キスしたいなぁとかっていう“下心”を持ちながら、それをやるっていうことなんですね。

そうすると、自分は女でい続けられるのと、彼の心が開いていくっていうことでパートナーシップがさらに前進するよっていうお話でございました。

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