自己完結する癖。

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。

この話の元記事はこちら!
「自己完結癖がある人はその内側に「痛み」を隠していて、それを自己防衛して頑固になっているので、同じところをぐるぐる回っちゃいやすいんですよねー。」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

今日も、とてもいい天気の大阪でございます。

もうだいぶ暑くなりましたね。

皆さまのお住まいの地域はいかがでしょうか。

ということで、今日は「自己完結癖」についてお話してまいりたいと思います。

ちょっと痛い話も出るかもしれませんけど、よかったら最後までお聞きください。

そして、チャンネル登録・フォロー、よかったらぜひよろしくお願いします。

カウンセリングをしてても、自己完結が癖になっちゃってる方っていうのも時々会いましてね。

「こういうこと、こういう事情がありまして、こういうことがありましてですね、こういうふうに思って、こういうふうにしようとして。で、こうなった、ああなって、こうなっちゃったんですよね。で、僕はこうすればいいと思うんですけどもね。そういう感じでやっていきたいとおもいます」みたいなね。

「相談」っていうよりかは、「ご報告」みたいな感じになってたりとか。

あるいは、自分の中でいろいろ自分の理論を組み立てていって、「こうなっちゃう原因はここにあるから、ここをなんとか修正するにはこういうふうにして、これがこうなっていって、こういうふうにすればいいんだよね。じゃあ、こうしてみようかな」みたいなね。

これだけ聞くと、けっこう「問題解決能力がある」とか、「自己分析ができている」っていうふうに言えるんですけども。

ただ、その内容が「ちょっとそこ無理ない?」とか、「まぁそうかもしれないけど、だいぶハードル高くない?」みたいなこともあって。

お聞きしていると、若干というか、ちょっと違和感を覚えるようなところがあったりとか。

あるいは、ずっとお話の中で自己完結が繰り返されるので、「いや、あの申し訳ないんですけども、僕はなにをお話したらいいんでしょうか?」とか、「なににお答えすればいいんでしょうか?なにか今日知りたいことありま?」すみたいな感じで、お聞きするようなシーンっていうのもあったりしてね。

基本的に僕は、なんか質問されて答えるって言うと、すごくシンプルなんですけども。

クライアントさんの意図というか、意思っていうのを、できるだけ尊重するというと、聞こえはいいんですけども、まずそこありきだと思っているところがあるので、「こういうことだと思います。で、こうします」みたいな感じで、「まぁまぁ、それがご本人がそうおっしゃるんであれば、別にそれでいいんじゃない」みたいなふうにしか返せないんですよね。

「で、これでいいんでしょうか?」みたいなふうな疑問符ですね。

自己完結型の方って、疑問符がなかなか苦手っていうところがあるみたいで、それで話を聞いていると、「うんうん・・・で、それで?」みたいな感じになっちゃうことが多いですね。

で、もちろん、ここはけっこう繊細というか、難しい問題がけっこうありまして、いけないわけではないんですよね。

だから、なんかなんでも聞けばいいみたいな、自分で考えずに聞けばいいっていうことを言いたいわけでもなくですね。

ただ、自分で全部1から10まで全部結論づけちゃってるんだったら、別にカウンセリングを受けなくてもよくないですか?と。

じゃあなんで今日来られたんでしょうか?

多分知りたいことってあるはずなんですよね。なんか解決したいこととかあるはずなんですよね。

でも、それって、いわゆる普通疑問形でお聞きするんだけども、でも、それがもしかしたら苦手なのかもしれないよね。

いつもそうなっちゃいませんか?っていうところを、けっこう僕は見ていくことがよくあります。

もちろん、なにが聞きたいかわからないとか、どう聞いていいかわからないみたいな場合だったら、助けるって言うと変ですけども、「結局わけわかんなくなっちゃったんですよね」とか。

「まぁ、混乱するのも無理ないですよね。じゃあ、整理していきましょうか」みたいなふうに話をしていくんですけども。

なかなか自分の中でぐるぐる回ってしまってて、なにが疑問で、なにが困っているのかわかんなくなっちゃう。

要は、考えすぎちゃってる状態っていうのもよくあるんですね。

で、その自己完結癖っていうのは、けっこう自立してるからこそ、「自分でなんとかしなきゃいけない」というふうに思っているからこそ生まれてくるもので。

何度も言いますけど、決してそれだけが悪いわけじゃないんですね。

ただ、今日知っておいていただきたいことは、自分で自分の分析をしたりとか、やり方を検討していくこと自体はいいんですけども、これがけっこうあるんですけども、やっぱり中心的な部分、中核的な部分っていうのは避けて通りがちっていう傾向があるってことなんですよ。

つまり、「痛いところは触れずに回避してしまいがち」みたいなところが、やっぱりちょっと見受けられるケースが多いんですね。

よく言うのは、「歯医者さんって、自分の虫歯を自分で治すと思います?」っていうのがあってね。

で、心の世界でも、「自分のことって一番自分がわからないんですよね」って、いつもお伝えするんですけども。

やっぱり、自分で分析していくと、やっぱり「自分の思考」によって分析していくんですよね。

あるいは、どうしたらいいかなって考えるところも、やっぱり「自分の目につく範囲」っていうところで見ていくんですよね。

で、それは自然なことで、悪いことでもなんでもないんですけども。

ただ、そうすると、自分の視界の外側に、もしかしたらポイントがあるかもしれないし、先ほどちょっと言いましたけど、やっぱり辛いとか苦しいとか、痛いっていうのは感じたくないですし。

ここがけっこうちょっと切ない話なんですけど、やっぱり「触れられたくないな」って自分でも思ってる部分って、自分でもよう触れんのですよね。

そうすると、そこにもしかしたら中核的な問題があるかもしれないので、そこを回避しちゃうと、あんまり状況っていうのは変わらないと。

自分で考えていろいろやってるんだけど、うまくいかないみたいなことになりやすいわけです。

たとえばなんですけども、実際に仕事はすごく順調で、すごく周りからも褒め称えられているというか、「すごいね」って言われると。

ところが、その方っていうのは、恋愛があんまりうまくいってなくて、実は今既婚者と付き合っていて、「ちょっとそこは触れたくないんですよね」みたいな。

そういう方がいたとすると、仕事の方で華やかな成功を収めている分だけ、やっぱりその恋愛のことをちょっと隠したい、後ろめたい気持ちがあるから隠したくなっているんですよね。

で、結果的になにが主訴になるか?っていうと、「仕事はうまくいってるんですけども、なかなか人生楽しい、面白い、充実してるって言えないんですよね」と。

「いや、なんでなんですか?」っていう話から、「実はちょっと既婚者の方とお付き合いしてまして」みたいなところが出てくる。

でも、そこって、やっぱり自分でもわかっているけどやめられへんみたいなところがあったりすると、そこって言いづらいし、批判されたら嫌だし、「じゃあやめなさい」とか言われるのも嫌だから、ちょっとやっぱり隠しておきたい。

で、自分で自己分析とかしていく分にも、「いや、ここはわかってるんだけど、ちょっと外に置いておきたいよね」みたいなふうになったりする。

で、これはわかりやすい例を挙げてますけども、中には自分でもそのことに全く気づいてなくて、お話を伺っていると、「感情で言えばすごく惨めで、なんかちょっと屈辱的な気持ちっていうのがなんかあるみたいだよね」みたいな。

で、たとえばそれは弟と比べられて、兄弟で比べられてとか、すごく自分がなんか虐げられた、頑張ってるのに報われないとか、いろいろあって。

すごくちょっと惨めで、切ないような気持ちを持っていると。

で、ここと向き合うっていうのは、やっぱりちょっと嫌だよね、勇気いるよねっていうところで、それ以外のところで頑張ってなんとかして、それなりにうまくいったりする。

でも、やっぱりずっとこの部分っていうのが引きずられていて、話の中に、ちょっと言ってみれば奥歯にものが挟まったような言い方になってたりとか。

あるいは、「ちょっとそこ触れんといてください・・・」みたいなオーラが出るような、そういう話題っていうところで出てくる。

でも、自己完結するとなると、そこを触れずに、そこはなかったことにして、自分なりに理論を構築していくというか、考えをまとめていこうとするんですけど。

「こいつが引っ張ってるんだったら、ここを見た方がよくないですか?」っていうのがあります。

ところが、だいたい自己完結癖がある方っていうのは、「いや、そんなこともわかってるんですよ」っていうふうによくおっしゃるんですけども。

わかってるんだけども、「友達に話したことあるんです、カウンセラーさんに相談したこともあるんです。してもここはちょっとどうしようもならなかったんで、ここはもう持っていくしかないかな。触れんようにしたいなぁみたいなふうに思ってんですわ、正直ところ」みたいな感じのニュアンスっていうのがあるんですよね。

だから、ここに実は、傷ついてて、そういった気持ちがある。

これは、さっき惨めさとかって言いましたけど、寂しさ、孤独感、それから罪悪感だとか、劣等感だとか、嫉妬とか、いろんな感情がここに眠っているわけですけど、こいつを見ないために、他所を一生懸命見てると、やっぱり問題っていうのはうまくいかないですよね。

だから、「もう1回、人を信頼してみませんか?」とか。

「もう1回、心を開いてみませんか?」と。

「もう1回、誰かを信頼してみましょうよ」っていうふうな方向で。

「僕に話してください」っていうつもりはもちろんなくて。

自分にとって「この人は」っていう人をやっぱり探してみる。

この部分をシェアすること前提で、誰かを当たってみる。

「この人どうかな?この人どうかな?」って検討してみる。

そういうことをしていくと、いよいよ本丸突入ということもできるんじゃないかなと。

自己完結をしてしまう癖がある方、ぜひ誰かに対して、まず一人、まず一人心を開く相手を見つけられたら、突破口になるんじゃないかなと思っております。

ということで、ありがとうございました。


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