傷ついた人に惹かれてしまうわけ

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。

「性的情動に見る女神性と助けたい症候群や孤独の問題。そこから見えるヴィジョンとライフワーク。」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

今日は東京におります。いい天気でございますけども、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

今日はですね、ブログの方のネタは少しちょっとディープというか深めの話をしたんですけども、こちらではですね、「なぜ傷ついた人に惹かれてしまうのか」という心理についてご紹介してみたいなと思っております。

よかったら最後までお聞きください。

ということで、たとえばですね、ちょっと陰がある人が好きとか、傷ついた人を見ると放っておけないとか、そういうお話ってよくあるし、これ男女問わずですね、やっぱりそういう傾向を持ってる方っていうのがいらっしゃるかなと思うんですけども。

皆さんはいかがでしょうか。

この傷ついた人にすごく惹かれるっていうのは、ある意味ね、すごく助けたい人、癒し人である傾向もやっぱりよくあって。

助けてあげたい、愛してあげたい、救ってあげたい、喜ばしてあげたいっていうような、そういう愛から傷ついた人に惹かれるっていう要素ももちろんあるんですよ。

これは嘘じゃないですし、そういう傾向がある方っていうのは実際人の役に立ったり助けたり、そういう救ったりするようなことが好きで、それが時にはライフワークっていうものになることもあるわけですね。

ところがですね、実は他にも「助けたい症候群」って言われる傾向というかパターンというのもありまして。

それはなにかと言うと、「助けることによって自分の存在意義とか、自分の価値っていうものを見極める」というのかな。

「それを確証を持ちたい」っていうような心理になるんですね。

で、ここに何があるのかって言うと、実際に助けられるかどうかっていうよりも、自分っていうのはたとえばあまり価値がないとか、力がない・無力感・無価値観ですね。

こういった感情がある人が誰か困ってる人とか傷ついた人に手を差し伸べると、できることがあるんじゃないかっていうふうな、そういうある種の補償行為みたいなところで、そういうところに手を差し伸べていくっていうシーンがあるんですね。

これはですね、実は様々なパターンがあって、実は罪悪感からやってしまうっていうこともあって、けっこう根が深いというか、広がりを見せているテーマなんですけども。

傷ついた人にすごく惹かれる、助けてあげたいっていうだけではなく、なんか自分ってそのままでは価値もないから、だから困った人というかね、傷ついた人に手を差し伸べることによって、自分に価値が生じるような、要は役に立てるというところで惹かれるっていうような意味合いもあります。

もちろん潜在意識なので、意識的にそういうことをやってるわけではないと思うんですね。

これは「助けたい症候群」のパターンです。

もう一つのパターンっていうのは、「傷ついた人と自分に似たものを感じる」っていうことなんですね。

自分とちょっと似たようなところを感じていて、なのですごく共感する、シンパシーを感じる、みたいなところがあって手を差し伸べていくっていうパターンがあります。

これはですね、その人を助けたい気持ちはもちろんあるんだけども、その一方でやっぱり自分が助かりたい、自分を救って欲しいっていう気持ちがあって、それで手を差し伸べるというか、助けようとするっていう行為に繋がるんですね。

これが今度なにを意味するのかって言うと、ほんとうは自分を救いたくて助けようとするわけですから、その人が助かって楽になっちゃったら、今度私の番でしょってなるんだけども、実際は相手はそのつもりもないから、「楽になったわ~ありがとう!」っていうことで去って行ってしまうと。

ここでハートブレイクする、そしてまた傷ついた人を探していくっていうようなパターンもあります。

これもね、もちろん潜在意識で無意識にやっちゃうんですけども。

助けたい症候群の人の話でさっきし忘れたのでちょっと話戻しますけども、助けたい症候群の場合っていうのは、助けてあげて相手が楽になったらどうなるかっていうと、

相手は助けが必要なくなったわけですから自分の存在価値がなくなっちゃいますから、相手の人が「楽になった~ありがとう。助かったよ」って言ってくれた瞬間に興味を失うっていうか、距離を置いてまた別の傷ついた人のところに意識や手を向けるっていうこともけっこうよくあったりします。

これ「助けたい症候群」のパターンですね。

それから「自分を助けたくて助ける」という2つ目のパターンを紹介しました。

で、3つ目がですね、「罪悪感から来る補償行為」っていう部分で。

自分っていうものになんかわかんないんだけど罪悪感があって、だからなにか贖罪ですね。

償わなければいけないというか、良い事しなきゃないっていう発想ではないかもしれませんけど、罪悪感から傷ついた人を助けようとする、傷ついた人にすごく惹かれていく、それにシンパシーを感じるっていう部分ももちろんあるんですね。

だからこれは罪悪感と罪悪感だったらこの関係性っていうのは癒着してしまうんですが。

傷ついた人に惹かれていくっていう理由の一つの罪悪感があったりすると、これが要は助けられないっていうこと、助けたいんだけど助けられないっていう経験をすることで、より罪悪感っていうものを積み重ねることができるんですね。

わかります?

ちょっと罪悪感の動きを理解してないとなかなかこの説明ってわけわかんないんですけども。

「罪悪感」っていうのは、もちろん罪悪感という存在からすると、どんどんどんどん自分の存在を高めたいわけですね。

つまり罪で罪を重ねるようなことを自分にさせたいと思うんですね。

で、傷ついた人を助けようとする、惹かれてうまくやろうとする。

でもうまくいかない。

場合によっては、もっと傷つけてしまった、もっと傷口を広げてしまったと。そしたらまた罪悪感を感じますよね。

つまり「罪悪感をより強めるがために傷ついた人に惹かれる」と。

なにかけっこうマニアックな感じがするんですけども、意外とこのパターンっていうのもあって、そういう傾向もあります。

今度は罪悪感からくるパターンのもう一つですね、別の角度から見ると、傷ついた人とか陰のある人っていう、ある種ちょっと見方を変えると、ちょっと幸せになるには難しいかなみたいに感じる人に近づくっていうのは、実は「自分自身は罪悪感があるので幸せになっちゃいけない」って思ってるわけですね。

「幸せになってはいけない」と思っているので、うまくいかない人とか傷ついた人に近づいて傷つけられるとか。

あるいは助けられなくて罪悪感をより積み重ねるとか。

要は罪悪感というものがあるからこそ、幸せになれないところに引き寄せられるみたいな。

ということから、傷ついた人に惹かれてしまうっていうようなパターンも実はあるわけですね。

ややこしいですよね。

そういったですね、心理的に傷ついた人に惹かれるっていうのは助けたいっていう気持ちももちろんあるんだけど、しかもその才能も多分あるんだけども、今日お話ししてきた4つのパターンですね。

罪悪感が2つ占めてますけども。

そのように、なんかね、補償行為であったりとか、あるいはより罪悪感を強めるためであったりとか、癒着であったりとか、そういった様々な問題ということが出てくるし。

なによりもですね、自分自身の傷っていうところ、罪悪感しても傷にしてもそうだし、無力感・無価値感というところもそうだし、要はそういった感情から純粋に助けたいとか役に立ちたいんではなくて、もっと何かしなきゃってことで惹かれていくっていうところが生まれるんですね。

なので、やっぱりそういう傾向があるなって感じた方はまぁまぁ恋愛の方はちょっと置いておくというか、そのままでいいんだけども、自分自身の中にある、そういった無価値感・無力感・罪悪感などの感情、ここにフォーカスしていって、ここを癒していくっていうところが一つのテーマになるのかなというふうに思っています。

結局“自分を見つめ直しなさい”っていう話なんですけども、そこが楽になってくるともっと純粋に助けたい気持ちから手を差し伸べることができるようになるんじゃないかなっていうふうに思ってます。

ということで、ありがとうございました。

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