与えられた愛を罪悪感として受け止めてしまうパターンについて〜もしあなたが今幸せでないならばそれは誰かに復讐している証拠〜

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。

この話の元記事はこちら!
「愛を罪悪感として受け取ってしまうパターンについて~もしあなたが幸せでないのであれば、それは誰かに復讐している証拠~」

***

どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで、曇りがちの大阪からお届けしておりますけども。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

ということで、今日は先日のリトリートセミナーの中で出てきた話題の1つなんですけども、「愛を与えられたのに、それを罪悪感として受け止めてしまう」というお話をお届けしたいと思います。

もしよかったら最後までお聞きください。

そして、チャンネル登録とかフォローとかも、よかったらよろしくお願いします。

皆さん、これを今聞いてピンとくるかな?っていうところが、ちょっと気になるところなんですけども。

相手は愛を与えてくれたと。

まぁ、つもりも含めてね。

でも、自分としては、それに対して申し訳ないような気がしてしまう。

つまり、罪悪感として受け止めてしまうっていうようなケースなんですけども。

これはけっこう意外とたくさんあって。

「愛」が「罪悪感」に変わっちゃうっていうような、そういった経験っていうのは、もしかしたら誰もが、1度や2度じゃないくらい経験してるものかもしれませんし。

もちろん、逆に自分は愛のつもりだったんだけど、相手の罪悪感を刺激しちゃったみたいなことも、もしかしたらあるかもしれないんですけども。

たとえば、実際にカウンセリングでも、実はちょいちょいあるケースなんですけども。

ちょっと1つ紹介すると、ご先祖様が子孫のために土地を残してくれましたと。

ところが、相続税だったりとか、事業だったりとか、いろいろ土地を守るっていうことに、父ちゃん母ちゃんとか、あるいは自分が、すごくもう必死になって一生懸命やっていると。

「先祖が残してくれた土地を、うちの代で失うわけにはいかない」と、そういう気持ちで、頑張って苦労してるとするじゃないですかと。

で、これって一見良いことのように思えるし、子孫として当然の務めみたいなふうに捉えられるかもしれないんですけども。

「ご先祖様はどう思ってるんでしょうか?」っていうところなんですね。

子孫が繁栄するように、子孫が幸せになるように、楽に暮らせるように、もしかしたら土地を残したんじゃない?と。

だから、もし生活が苦しいとか、大変だっていうことであれば、どんどん売っちゃってよと。

「子孫が幸せに、楽に暮らせるために、こういったご先祖様がやってくれたんだ」

そんなふうに解釈すると、ご先祖様は愛としてその土地を残したんだけども、子孫である自分たちが、その愛を受け取れずに、「守らなきゃいけない・・・!ここで、土地を手放したらご先祖様に立つ瀬がない、顔立てできない」みたいな思いで、罪悪感にしてしまってる。

1つはこういうケースもあります。

親がっていうのもありますね。

「とにかくあんたたちは、好きなことしなさい。勉強していい大学に行きなさい」っていうふうに、親がすごく我慢に我慢を重ねて大学まで出してくれましたと。

これは愛なんですよね。

でも、「そこまで親が頑張ってくれてるんだから、なんとか期待に応えなきゃいけない」とか、「親が喜んでくれたんだから、この会社を辞めちゃいけない」とか、そういうふうに受け取ってしまってるとするならば、もしかしたら「愛が罪悪感に変わってるのかもしれないよ」って言えるわけですね。

親としては、自分たちが我慢して我慢して子供たちに大学行かせたのは、「幸せになってほしいから」ですよね。

もちろん、いろんな要素が入ってくる中の1つかもしれませんけど、でも実際は大きいはずです。

子供に幸せになってほしくて、「自分たちはいいから、あんたたちは」っていうふうに、犠牲的な表現ではありますけども、愛を与えてくれました。

だとしたら、その愛を受け取ってあげるっていうのは、子供としての役割だったりします。

これは、パートナーシップでも、職場の人間関係でも、ありとあらゆる場面で起きてくる、スレ違い現象の1つで。

まぁこれは、本当にたくさんあってね。

パートナーシップとか夫婦関係の中でも、自分がやりたいことをやろうとする。

でも、そうすると、奥さんやパートナーに迷惑がかかるんではないか?と。

パートナーや家族を守るために、もっと幸せにしたいっていう気持ちが当然強い。

それはありですよね。

でも、逆に自分がやることで、それが迷惑になる、困らせる、苦しませることになるんじゃないか?っていうふうに考えちゃう。

でも、相手からすれば、自分のパートナーが幸せに好きなことやって元気でいることっていうのは、やっぱり幸せじゃないでしょうか?と。

自分たちのために、犠牲して、我慢していること。

これは、やっぱり辛いんだろうなって、そういうふうに見ることもできるわけですね。

ここで、立場を変えてみれば、今までとは違うことがわかってくる。

違う見方をすれば、やっぱり違う意識っていうものが入ってくる。

これが、人間関係あるあるなんですけども。

とくに、責任感が強いだけじゃなくて、すごくお互いに愛し合ってるような関係、お互いのことを大切に思っている関係だからこそ、相手が与えてくれた愛に応えなきゃいけない。

そして、応えられない自分というのに、無力感・罪悪感を感じてしまう。

相手のことがすごく大好きで、大事な存在だからこそ、悲しませたくない。苦しめたくない。

そういう思いから、自分が罪悪感を引き受けてしまう。

こういった、愛が罪悪感に変換されるケース、意外と多かったりするんですよね。

そうすると、当然ながらお互いにアンハッピーになってしまうっていうところが問題なんですね。

だから、ある意味、ご先祖様でも親でもパートナーでも、「愛を与えてもらえた」っていうことに気づく必要があって。

それは、相手の意識・相手の立場になって、ものを考える必要があるんだけども。

ただ、その相手の立場に立って考えてみるっていうことも大変難しくて。

とくに、親とかご先祖様とかなんて、時代背景が違ったりするわけですよ。

逆に言えば、ご先祖様からすれば、自分の子孫の代で、相続税がそんなに取られるっていうことを知らないかもしれないんですよね。

あるいは、親の世代と子の世代では、価値観がやっぱり変わってるっていうこともいっぱいあります。

だから、一見それは愛とは思えないようなものっていうのも、実際与えられてることがあるわけですね。

「勉強しなさい!」っていうのも、その1つだったりします。

でも、それっていうのは、言葉はそういう言葉なんだけど、その言葉の裏に、「こんな幸せになってほしい。あなたに幸せになってほしい」っていう気持ちが隠れてるんじゃないかな?っていうふうな、そういう目線で見てみるっていうことが大事なんですね。

そうすると、相手の性格とか、時代背景とか、状況だったりとか、場合によっては、お父ちゃん母ちゃんの生い立ちまで含めていろいろ考えてみると、「あぁ、そうだよな。お父ちゃんの時代には、学歴って絶対だったんだよな。お父ちゃん学歴がないことでめちゃくちゃしんどかったんやろな。だから自分に、良い大学行け、良い大学行けってめっちゃ言うんやろうな。それが、お父さんなりの自分に対する愛情表現なんだろうな」っていうふうに気づくっていうことがすごく大事なんです。

これは、愛があることを前提にしてみないと決して見えないものなんですよね。

恨みつらみもある。

もちろん、無力感・罪悪感も親に対してあるけれど、それをちょっと横に置いて、客観的に親の立場になってみると、いろいろ見方が変わっていくと。

で、そうすると、じゃあその本音はなんなのか?っていうのと、要は「幸せになってほしい」とか、「苦労してほしくない」みたいな、そういう愛情だったりすることが多いと思うんですよね。

そしたら、自分がその罪悪感から解放されて、自分が幸せになる方向に進むっていうことが、今の話で言えば、「親への恩返し」っていうことになるわけですね。

そもそも、パートナーシップもそうなんですけど、とくに親子関係なんていうのは罪悪感てんこ盛りでございまして。

子供に罪悪感のない親なんていうのは、誰1人いないって言ってもいいぐらい、やっぱり愛情が深い分だけ、罪悪感っていうのは出てくるんですね。

だから、子供になにかがあれば自分のせいだと思う。

自分の育て方が悪かったんだと思う。

逆に言えば、子が幸せになってくれたら、ホッとする。

なぜかというと、常にその不安があったからなんですよね。

だから、「子が幸せになること」っていうこと自体が、親への恩返しになりますし、親を罪悪感から解放してあげるっていうことができる。

これはすごく重要なことですので、ぜひ覚えておいてください。

だから、今回タイトルにもありますけども、「もしあなたが幸せでないならば、それは誰かに復習をしている証拠なんだ」と、こういう格言があったりするぐらいなんですよね。

つまり、自分が幸せじゃないっていうことは、自分の幸せを願ってる人を苦しめるということができる。

つまり、復讐だっていうわけですね。

ちょっと怖いですけどね。

こんな復讐なんて出てくるとね。

でも、それぐらい、やはりとくに近いパートナーシップや夫婦関係っていうのは、非常に近い関係ですから、罪悪感というのは常に渦まいてるわけですね。

つまり、それだけ愛があるということなので、罪悪感にフォーカスするだけじゃなくて、愛の方にフォーカスしていきたいというのが、我々に与えられた課題ではないかなっていうふうに思いますし。

もし皆さんが、親の立場、あるいはパートナーの立場であれば、「たしかにその通りだな」っていうふうに聞いていただけるんじゃないかなというふうに思います。

ということで、今日は愛が罪悪感に変わってしまうことがあるよっていうお話をさせていただきました。

最後までお聞きくださいまして、ありがとうございました。

根本でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?