自分の「ありがとう」の価値、知ってますか?

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。

「あなたは自分の「ありがとうございます」という思いにどれくらい価値を見ることができますか?」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつも聞きくださいましてありがとうございます。

ということで今日は曇り空の大阪でございますが、もうすぐ雨が降るのかなっていう陽気でございますけども。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

今日は結局は「受け取ること」っていうことの大切さっていうのをお話ししたいなと思うんですけども。

テーマとしては、「自分のありがとうございますという思いにどれくらい価値を見ているのか」っていうテーマになります。

よかったら最後までお聞きください。

物をもらったりなにかしてもらったら「ありがとう」とか「ありがとうございます」っていうふうに返す人が多いと思うんですけども、その言葉自体というか思い、ここにどれくらい価値を見てられるのかなっていうことを今日は考えてみたいなと。

けっこうマニアックに見えるんですけども、実は自己肯定感とか自己価値という話と直結してきている部分でございます。

今日もブログのネタを元にお話をさせていただくんですけども。

なにかをしてもらった時、プレゼントをもらった、お土産をもらったなんていう時に、皆さんは「あ、ありがとうございます!」みたいなふうに返されると思うんですけども。

そこでたとえばすごく気にしいな人っていうか、いい人というか、相手のことを考えちゃうとか、関係性を考えちゃうような人は、たとえば物をもらった時にもらった瞬間から「ありがとうございます」と言いながら「なにを返そうかな、どんなお返しをしようかな」っていうふうに考えちゃうことってないでしょうか。

もちろんね、それが悪いっていうわけではないんですけども、そうやってなにをお返ししたらいいかとか、これってナンボぐらいのものなんやろうって考えて、それに見合う金額のものをお返ししようっていうふうに、マナーっていう部分もたしかにないことはないんですけども。

ただその物をいただいた時にすぐに「なにをお返ししよう」ってもし考えちゃうとするならば、それって結局相手のことを考えてるようで考えてないかもしれないなっていうリスクがあるわけですね。

わかりますでしょうか。

「なにを返せばいいかな」とか「これいくらぐらいなんやろう」とか「ありがたいんだけど・・・これどうしよう」ってお返しのこと考えたりする時って、実は自意識、自分の意識を見てるんですね。

自分を見てるわけです。

相手の「これ喜んでくれるかな」とか「これすごく似合いそうだなぁ」とか、そういった相手の自分に対する思いっていうのをちょっとよそにおいて、自分の思考とか思いにとらわれてしまってるんじゃないかなっていうシーンが話の中でよく出てくるわけですね。

そこは素直に受けとっておこうよみたいなニュアンスでお話をさせていただくこともあるんですが。

けっこう与え上手な人で受け取り下手な人によくありがちなパターンで、いつも与えるほうに意識がいってるので物をもらった時もお返しっていう与える方に意識が取られちゃうわけですね。

それによって相手の思い・気持ちっていうものを受け取りきれないというか、受け取りそびれるというか、そういったことが起こるんじゃないかと思ってるんですよ。

じゃあ贈る側の立場からするとどうかっていうと、もちろん中には暗い意図があって「これを贈ったんだからさ、それなりの見返りよろしくね」みたいな、ちょっと賄賂的な、そういうニュアンスで物をやりとりする方も、もちろん無形のものもありますけども、サービスをする人っていうのもいないわけではないですし、そういう気持ちがやっぱり誰の中にも少なからずあるとは思うんですけども。

一般的に考えれば、常識的に考えれば与える、与えてあげたい、喜んでくれるかなとか、これすごくいいなとか、あなたのためを思って選んだんだよみたいな、喜んでくれると嬉しいなみたいな気持ちで与えてくれてることが多いと思うんですよね。

なので大事なのはその「気持ち」なんですね。

物ももちろん大事だし、サービスもすごく大事なんですけども、その物に込められた気持ちをやっぱり受け取りたいなと。

気持ちと気持ちのやりとりじゃないですかっていうところになるんですけどね。

で、ここがやっぱり苦手な人とか、今日のネタ元さんとかそうなんですけど、なんかしてもらったら見えない契約書を交わしたような感じで、すごく束縛感を感じてしまう。

なんか特別扱いしなきゃいけないような気がするとか、なにかそれなりのお返しをしなきゃいけないような気がして、それが逆に束縛感・プレッシャーになってしまうなんてめちゃくちゃいい人だなと思うんですけど。

めちゃくちゃいい人なんですけど、ただその意識にとらわれてしまうと、やっぱり相手の気持ちを無視すること、取り損ねることになるんじゃないかなと思うんですよね。

だからとりあえず「ありがとうございます」っていう気持ちを返すわけですけども。

ただここで今日のテーマなんですけど、なにかしてもらった、なにか贈り物をいただいた時に「あ、本当にありがとうございます。気を遣っていただいてありがとうございます」っていうこの自分の思いですね。

「ありがとうございます」って思い、これがどれくらい心の底から出てくるかにもよるんですけども。

その「ありがとうございます」にどれくらい価値を見てるのかなっていうところをポイントとしていただきたいんですね。

実はだから自己肯定感が低いとか、自己価値を低く見積もっているっていう方は、この「ありがとうございます」って思いに価値が見れないんですね。

だから「ありがとうございます」って口で言っただけじゃ足りないような気がして、そこに物とかなにかお返しになるような物っていうことを発想していくわけです。

もちろんね、形式的な儀礼的なやりとりっていうのがあって、お中元とかお歳暮とか、あるいは結婚式の引き出物的なものだったりとか、香典返しだとか、そういった場合はちょっと別口でとらえていただきたいんですけども。

普段の人間関係の中で起こるやりとりですね。

プレゼントを贈る・贈られるっていう関係においては、「ありがとうございます」っていう自分の価値というものを自信があればあるほど、実は相手の方っていうのは「プレゼントを送らせてくれてありがとう」という思いもあるんですよね。

ここもまたなかなか、贈る側からすると「あぁ、うんうん(納得)」なんですけど、贈られる側からすると「え?」っていう、ちょっとわかりづらいところなんですが。

これは「贈らせてくれてありがとう」、つまり贈らせてくれる、自分の気持ちを贈る相手、そしてそれを受け取ってくれるっていうことでもう十分なんですよっていう関係も当然成り立つわけなんですよ。

これが友達であろうと、パートナーシップであろうと、職場の人間関係であろうと、ご近所付き合いであろうと、基本的にはその気持ちのやりとりなんですよね。

ただただもうその気持ちに感謝の気持ちを素直に持つことができれば、なにかの折に「あ、そういえばこないだこんなことしてくれたから、せっかくだからこういうことしてあげよう」っていう発想になって、お返しすることが喜びになるんですね。楽しみになるんですね。

これが義務感であったりとか、相手の気持ちを受け取れずになにかお返ししなきゃっていう思いでやると、それが与えることではなくて犠牲になっちゃうわけですね。

これがしんどいわけですよ。

だからお返しすることが良くないっていうわけじゃないですよ。

じゃなくて、お返しするっていうことを楽しめてますか?っていうことが大事だし、お返しすることよりもやっぱり「ありがとうございます」っていう心からの感謝ができるようにやっぱりなりたいなと思うんですよ。

そのためにはやっぱり相手の気持ちを考える、この物・サービスに込められた気持ちっていうのを考える。

それは皆さん得意だと思うんですが、そして「あぁ私のために、自分のために、そんな思いをかけてくれたんだ。本当にありがたいな」っていうふうに心からのありがとうが出てくると、相手の方も「あぁ、喜んでくれた」っていうふうに満足してくれます。

受け取るときにリアクションを取る・取らないっていうのもまたあって。

たとえば彼にプレゼントを贈ったのにそんなに喜んでくれなくてショックだったみたいな話もちょいちょい出てくるんですけども。

それは期待であって、自分なりに心からありがとうございますっていうふうに思えていたら別にいいと思うんですよ。

逆に言えば、なにか物を贈った時に相手が期待通りのリアクションを返してくれなかったからといって、本当に喜んでないかどうかはわからない。

その人それぞれ、シャイな人もいれば受け取り下手な人もいるし、表現ってみんな違いますよね。

なので贈る側は受け取って喜んでくれたんだったそれでいいやみたいな感じだったりするんですけども、受け取る側、こっち側が苦手な方はとても多いと思いますので、その気持ちであったり物に込められた思いっていうのをぜひ慮っていただいて、「あぁ、ありがたいなぁ」って素直に受け取れるようになると、仮にお返しをしても楽しいんじゃないかなと思います。

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