頑張って成果をあげて評価されても無価値感は癒されない。

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。

この話の元記事はこちら!
「無価値感がハードワークを作る心理~無価値感は何かで埋めるものではなく、内なる愛で満たすもの~」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで、東京から大阪に戻ってきまして今日の収録をしております。

日曜日なんですよね。

なんか日曜は僕はけっこう仕事の日が多いので、なんかすごく違和感も感じるんですけども。

皆さんはゆっくり休めてますでしょうか?

ということで、今日は昨日のお話に続けとばかりに、無価値感の話をもう少し掘り下げてお届けしたいと思います。

「無価値感、ハードワーク、自立、ロックマン」、この辺りがキーワードになるかと思います。

よかったら最後までお聞きください。

ということで、よかったらまたフォローとかチャンネル登録とかをしていただけると嬉しいなと思います。

よろしくお願いします。

無価値感っていうのは、「自分は愛される価値がない」と思ってる感情なんですけども。

自分は愛される価値がないっていうところからスタートしまして、「なんとか愛されるために頑張らなきゃいけない」っていうマインドができるんですね。

頑張って成果を出すというか、結果を出すというか、期待に応えるというかっていうことをやっていって、そして認められるとか、褒められるとか、評価されるとか、必要とされるとかっていうことを経て、「あ、私いてもいいんだ」っていうふうに無価値感を満たそうとするっていうのがまず第一層というか、表面的な流れでございまして。

そうやって自分の価値を頑張ることによって認めて、無価値感が癒されるんだったら、それでなんの問題もないんじゃないの?っていうふうに思われるかと思うんですけども。

実はこれが、もろ刃の剣っていう表現はちょっと違うのかな?

ちょっとトラップというか、落とし穴がありまして。

そこで評価されたり、愛されたり、必要とされてるのって誰なの?って。

いやもちろん私。

じゃあどんな私なの?って言うと、「頑張って成果を出した私」なんですね。

ということは、自分には愛される価値がないっていうふうな無価値感っていうのを持っていて、だから愛される価値を頑張ることで作り出そうとして、頑張って結果を出しましたと。

結果を出して、たしかに愛されましたと、仮にね。

それでも愛されないとかいろいろあるんですけど、やっぱり愛されましたとしても、もともとの無価値感っていうのは多少はマシになるんですけども、全然癒されないっていうことになっちゃうわけですね。

つまり頑張ってる自分っていうのは価値があるけども、頑張ってない自分っていうのは価値がないっていうふうな意識が出てくるんですね。

これが「ハードワーク」っていうのを作っていきます。

もうお察しの方も多いと思いますけども、頑張って結果を出して、そして評価されるっていうことになると、頑張り続けることしか評価され続けることはないですよね。

頑張らない自分には価値がないんだから。

ということは、ずっと頑張り続けるということになります。

これがたとえば親からの期待に応え続けてきた人が、学校や先生の期待に応えるようになり、そして就職すれば上司の期待に応えるようになり、仮にそれが独立して開業するのであれば、株主さんだったりとか、それからお客様の期待に応える続けることになり・・・ということで、ずっと期待に応え続けて頑張り続けて、そして成果を出そうというふうに考えるわけですね。

考えるっていうか、そういうふうに持っていくわけですね。

なのでここがけっこう切ない部分になってきまして、頑張ってる自分とか成果を出してる自分というのは評価できるし、自分でも自信っていうのがあるんだけども、頑張れなくなった・結果を出せなくなった自分には価値がないっていう意味で。

結果を出せば出すほど、これが結果を残せなくなった時に必要じゃなくされる、求められなくなるということに対しての怖れっていうのを、潜在的に感じ続けるっていうことになっちゃうわけですね。

これは皆さんもなんとなく流れっていうのは想像できるかと思うんですけど。

だからこそ、疲れてても頑張らなきゃいけないし、心と体が悲鳴を上げてても仕事しなきゃいけないし、だからこの無価値感からくるハードワークのパターンっていうのは、いわゆるワーカホリック的な感じのパターンも作りますし、それから自立しすぎて1人で抱え込むとか、すごく結果とかにこだわりすぎてしまうとか。

それから非常に自立っていうことが強まっていって、だからこそロックマンとかロックウーマンちゃんとかはこういったところとも関係してきて。

頑張れば頑張るほど、後付けの頑張った自分に対しての自信はできるし、結果を残してる分だけ、そこの結果を出す自分には自信を持てるんだけど、肝心のスタート地点の「自分っていうのは存在してるだけで価値がある」とか、「自分っていうのはいるだけで価値があるんだ」っていう存在給っていう言い方もしますけども、自分がありのままの自分、素の自分でも価値があるっていうところが認められないまま、頑張ってる自分にだけ自信をつけていくっていうことになるんですね。

だから非常に自信を持ってるような、非常に逆に充実した人生を送っているような方の中に、この無価値感っていうのは強烈にあって。

だからこそ休みを取れなかったり、休んでも休み方がわかんなくなったりとか、むしろ不安になっちゃったりとか。

それから体が壊れるまで走り続けてしまったり、心身の不調を訴えるまで止められなかったりっていうことが出てくるんですけど。

僕も人のことをあんまり言えないなっていうのは、今しゃべっててなんとなく感じるんですけども(笑)

僕も仕事が好きで、仕事ばかりやってるところありますからね。

でも要は、無価値感からくるハードワーカーのパターンとか、自立のパターンっていうのは、周りの人から信頼されたりとか、必要とされたりとか、すごいねって尊敬されたりとか、目標なんですとかっていうふうに言われても、もちろん嬉しいことは嬉しいんだけども、中心にある穴が開いたまんまなんですよね。

その無価値感っていうのの穴がね。

だからそこをいかに埋めていくかっていうことを、ほとんどの人は考えていくことになります。

だから単純に言えば、無価値感は価値がないって感じてるわけだから、価値を受け取ればいいじゃんっていうふうに。

でもこの価値っていうのは、さっきもお話したように頑張ってる自分っていうところを無価値感の上に乗っけてるっていうイメージね。

だから頑張ってる自分には価値を感じらるんだけど、ずっと頑張ってきたから頑張ってない自分って、なにもしてない・なにも結果を出してないわけですよね。

「知らないし」ってことで、頑張ってない自分に価値を見るっていうことは、非常に抵抗というか、難しいっていうか、困難なことのように感じてしまうわけです。

それからここはちょっとめんどくさいところなんですけども、これを「補償行為」っていうんですけども、頑張ってる分だけ、頑張ってない人が許せなかったりするんですね。

「俺こんなに頑張ってるのに、なんでお前頑張らねえんだよ」っていうことなんですけども。

だから頑張ってない自分っていうのは、ものすごく嫌いなんですよ。

だから愛せないんですね。

というふうなマインドっていうのもありますので、そうすると頑張ってる自分とか、成果残してる自分に対して、なにもしていない素の自分というか、自然の自分っていうものには価値を見受けられなくなるんです。

だから価値が見えないっていうか、わからないんですよ、そんな自分の価値っていうのはね。

だからどうするのかっていうと、今日ちょっと結論だけお話しちゃうんですけども、「内側からの愛でその穴を満たしましょう」っていうことが結論でございます。

これがちょっといきなり愛っていう言葉が出てきて、戸惑う方もいらっしゃるかもしれませんけども。

これをなんか自分の価値を受け取ろうとか、成果とか周りの気持ちを受け取ろうっていうことももちろん大事なんですけども、あくまでそうやって頑張った自分ね。

もうコーティングされてるわけですよ、自分がね。

頑張って自分に対する評価なので、それは受け取れるんだけども、ある意味なにもしてない自分っていうのは見せたことないわけですから、だからその自分が愛されるっていう経験を僕たちはしてないんですよ。

してないってことは、人からの評価っていうのは届かないっていうことになるので、内側から攻めましょうっていうことなんです。

内側を攻めるってどういうこと?と。

セラピーとかセッションとかっていうかたちでやっていくやり方っていうことももちろんあるんですけども。

それとは別に、「愛」っていうところに注目します。

たとえば、

あなたは誰のために頑張ってきたのでしょうか?

そして今も誰のために頑張ってるんでしょうか?

それをなんで頑張るんでしょうか?

なんでそこまで頑張ることができるんでしょうか?

お母さんやお父さんのためにそこまで頑張れるのはなぜなんだろう?

今の家族のためにそこまで頑張っちゃうのはなぜなんだろう?

それは、必要とされたいからとか、評価されたいからとか、愛されたいからという理由だけなんでしょうか?

って言うと、どうでしょうか。

「あなたが愛してたからじゃないですか?」っていう見方をするんです。

あなたが両親を愛していた。

お父さんお母さんのことをすごく愛していた。

だから彼らの期待に応えようとして頑張ってきた。

今もあなたは会社だったり、今の家族っていうものをすごく愛してる。

すごく愛してるからこそ、ここまで頑張ることができたんじゃないですか?

っていう問いかけを心にしていくわけですね。

これが徐々に染み込んでくると、無価値感が少しずつ癒されて、素の自分の愛が認められるっていうお話でございました。

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