素の自分ってどうしたら出せるようになるの?
このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。
この話の元記事はこちら!
「今まで隠してきた素の自分をどうすればもっと出せるようになるのだろうか?」
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どうもこんにちは。
カウンセラーの根本でございます。
いつもお聞きくださいましてありがとうございます。
ということで、今日は「どうしたら素の自分をもっと出せるんだ?」っていうテーマでお話していきたいと思います。
よかったら最後までお聞きください。
そして、チャンネル登録・フォローとか、よかったらよろしくお願いします。
今日も、ブログでいただいたの方にいただいたネタを元に、お話をさせていただきます。
本当の自分というのは、「社会不適合者」なんだと。
でも、一生懸命適応するように頑張ってきて、周りからも「ちゃんとしてるね」って言われると。
「あんたはちゃんとできる子だから」っていうふうに、旦那さんとか親からも言われると。
「でも、本当はそうじゃないんです。じゃあ、どうしたらそうじゃない自分でもいられますか?」みたいな、そういうお話をいただきました。
よかったらブログの方も、またチェックしていただきたいなと思うんですけども。
こういう話はけっこうありまして、本も実は書いております。
「メイク落としの本」みたいなふうに呼んでますけども。
ブログの方で紹介してますので、やっぱりそっちを見てくださいって話になるんですけども(笑)
やっぱり素の自分でいられない経験っていうのをいっぱいしてくるんですよね。
普通に振る舞ってたら、親に怒られるとか、学校で浮いちゃうとか、友達からバカにされるとか、先生から怒られたとか、いろいろあるわけですけども。
僕らは、素の自分に対して、いろんな仮面をして、つけるというか、「ペルソナをつける」という表現をしますけども。
傷ついた分だけ、傷つかないように、いい子になるとか、ちゃんとするようになるということを、僕たちは後天的にいろいろやってくるわけでございます。
こういう話を、今までも各地でしてきましたけども。
なにかの折に、「本当に自分はそうじゃないんだ!本当に自分はこうなんだ!」みたいなふうに思うと。
「それを出せばいいじゃん」って、自分でも思うんだけども、出せないみたいな。
今までのイメージもあるし、イメージを崩すのも申し訳ない部分もあるし、あと恥ずかしいっていうのもあるじゃないですか。
やっぱり素の自分を出すと、「え、あんたってそんな人だったの?」みたいなふうに言われるのが怖い、恥ずかしいと。
とくに、やっぱりこれは、「いい子、優等生」をやってきた方にはめちゃくちゃ多い部分でもあるし、とくにこういう表現することもあるんですけども、「今まであんまり挫折したことないよね」みたいな方ですね。
挫折経験っていうのも、やっぱりなんか自分を一皮二皮をむく上ではすごく大事なんだけども、そういった経験がないよねとか。
今でも、家でいい子をやってて、会社でいい社員やってて、いい彼女・いい彼氏をやってて、いい旦那・いい奥さんをやってて、いいパパ・ママをやっててみたいなふうに、もう癖になっちゃってるっていうことも多くて。
で、「素の自分」っていう事自体がもうわからなくなっちゃうっていうのも、非常によくある相談なんですね。
「本当の自分ってどこにいるんでしょうか?」みたいなね。
で、素の自分っていうのを出したいというか、出せるようになったらいいよねっていうふうなお話から、いろんなさまざまなアプローチっていうのを考えていくんですけども。
カウンセラーとして見た場合、なんでじゃあ自分を隠すようになっちゃったのかな?っていうところで見ていくんですね。
で、過去にトラウマがあるとか、嫌な思いをして傷つかないためにっていうような、もちろんそういう理由もあるんですけども、その結果どうなってるか?っていうと、「素の自分を嫌ってる自分」っていうのがいる。
「素の自分をめっちゃ否定している自分がいる」っていうことに、気づく必要があるんですよ。
たとえば、今日というか、今回のネタ元さんの「社会不適合者」っていうところから言えば、社会不適合者っていうのを自慢げに言うっていうのもどうかなっていうのがあるので、ちょっと意味をズラしますけど。
たとえば、すごく本当は自由人で、はっちゃけた性格なんですよと。
わちゃちゃちゃー!みたいな、「すごく楽しいことが大好きなキャラなんですよ」みたいなね。
ところが、それでもし子供の頃からずっと来ることができれば、問題はなかった。
その点においては、問題はなかったと思うんですけども。
親から否定されるとか、先生から注意されるとか、さっき言ったような理由で、そこで傷つくわけですね。
そうすると、なんか「そういう自由で、はっちゃけた自分っていうのはダメなんだ」と。
「愛されないんだ」と。
「そんな自分だったら、人とうまくやっていけないんだ」と。
「自分は生きていけないんだ」というふうに思って、その自分をもう本当に全否定するんですね。
とくに、子供時代っていうのはそう。
これは、たとえば恋愛をするようになった初期とかでも、彼・彼女に「あんたのこういうところがダメ!」みたいな、「嫌!」とかって言われると、もうなんか自分を全否定されたような気がして、ショックを受けて傷ついちゃうこともあるんですけど。
その言葉がずっと引っかかるんですよね。
で、そうすると、やっぱりその素でやっていること、たとえば「わがままだ」って言われたら、素でわがままをやってるんだったら、「わがままっていうような自分というのは、愛されないんだ」と思うじゃないですか。
そうすると、そこを否定して、わがままにならないようにする。
自由ではっちゃけた自分にならないようにする。
で、そこでそういう自分をめっちゃ嫌うんですね。
否定するんですよ。攻撃するんですよ。
だから、「素の自分というのは、自由ではっちゃけた性格だよね」っていうのを気づいたとしても、同時に「そんな自分じゃ愛されない。そんな自分じゃダメだ」と思う自分も存在しているということなんですね。
なので、そういう自分というのも存在しているから、出せないんですよ。
「出したらまたぶっ叩かれるもん。また嫌われるもん。絶対に愛されないもん」みたいなふうに思ってしまって、これがブレーキになってるってことが多いんですよね。
こういうケースって、もうカウンセリングでも本当にたくさんありまして。
さっき自由人ではっちゃけた人って言いましたけど、本当に「自由人」って多いんですよね。
「あんた、けっこう自由でしょ?わがままでしょ?」みたいなね。
あるいは、「情熱的でしょ?」とか指摘することって多いんですけども。
そういうふうに、自由なんだけども、やっぱり自由を束縛されて窮屈に生きているとすると。
で、これまたもう一つ問題につながるんですけど、そういう生き方をして、「なんか上手くいっちゃってる部分もある」ってことなんですよ。
本当の自分を隠して、素の自分を隠して、嫌って隠して、違う自分を前に出した時に、その自分が上手くいっちゃってたりするんですよ。
その自分は、けっこう友達もいるとか、その自分は結婚できているとか、その自分は仕事で必要とされてるとか、上手くいってるじゃないですか。
そうすると、そうじゃない自分、素の自分を出したら、全部失っちゃうんじゃないかっていうような怖れにもつながってくるわけですよ。
実際はそんなことないんですよ。
で、これはけっこう誤解されがちなのかな、やっぱりイメージしづらいのかなと思うんですけど。
たとえば、そういう自由ではっちゃけた性格っていうのを抑圧して、きちんとちゃんとした人をやっているとするじゃないですか。
じゃあ、そんな自分がきちんとちゃんとした自分が、その自由ではっちゃけた部分を表に出したらなくなるのか?っていうと、なくならないんですよ。
ある意味、「選択肢が持てるようになる」っていうふうにイメージされるといいかなと思います。
で、これもよくお話するんですけど、素の自分を隠して仮面をつけてます。
でも、この仮面も、結局自分の持ってる要素で作ってるから、それも「自分らしさ」の一部なんですよ。
素の自分を隠して、違う自分になってるっていうふうな表現をしますけども、違う自分って言っても、全然別人ではないんですよね。
自分の中にある要素をかき集めて作ってるので、こっちもまた自分なんですよ。
だから、きちんと真面目でちゃんとした人にもなれるし、自由ではっちゃけた人にもなれるし、「両方自分」なんですよね。
だから、そこは「選択できるようになる」っていうところが、今日の話の一番のポイントと言っていいかもしれません。
だから、まずその自由ではっちゃけた自分というのを否定してきた歴史っていうことを感じながら、その自分にOKを出す。
その自分に許可を出してあげる。
もっと言えば、その自分を愛してあげるっていうことが、すごい必要になってくるってことなんですよ。
そういう自分を愛してあげるからこそ、受け入れられて、「出してもいいよ」っていうふうになります。
で、どうしたら出せますか?って、ノウハウとか、HowToをよく聞かれるんですけども。
その素の自分だと思ってる、自由ではっちゃけた自分っていうのがOKだと。
「そんな自分でも全然いけんじゃん」みたいな、「OKじゃん」っていうふうに思えたら、勝手に出てきます。
だって、抑えるものがないから。
抑えなくて済むから、勝手に出ちゃいます。
だから、大事なのは自分の中でどれくらいその自分を許可するか、許すかってことなんですよ。
そこで許せた分だけ、勝手に出てくるようになります。
だから、出し方って僕そんなにないと思うんですよね。
「こういう場面でこういうふうにして、ああいうふうにして出しましょう」みたいなふうに、コントロールするのもちょっと変だなっていうふうに思いますし。
勝手に出てくるもんだから、まず徹底的に自分の中で、その要素を愛しましょうよと。
許可を出しましょうよと。
そして、もし長いこと抑圧してきたんだったら、その隠してきたと思っている「素の部分」っていうのは、めっちゃ才能を持ってるんですよ。
めっちゃ価値があるんですよ。
磨けば光るダイヤみたいなもんなんですよ。
だから、「そこの恩恵とか魅力とかっていうのを見ていきましょう」っていうふうにして、かつては否定するしかなかったんだけども、大人になったら今は否定しなくていいと。
じゃあ、その否定を止めて、肯定していくことによって、勝手にその素の自分ってのが出てきますよと。
ということで、今日の話も参考になったら幸いでございます。
最後までありがとうございました。
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