女として目覚めようとすると、過去に封印した女としての痛みがよみがえってくるもの。

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。

「女として目覚めようとすると、過去に封印した女としての痛みがよみがえってくるもの。」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで、最近あんまり収録ができなかったので、ちょっと今日は二本撮りにチャレンジしております。

もうちょっと撮ってもいいんですけどね。

とりあえず今日はですね、今回は「事実」っていうことと「真実」っていうことの違いっていうものについてお話をさせていただきたいかなーと思いますね。

心理学の格言で、「事実は変えられないけど真実は変えられる」っていう言葉があるんですね。

どう違うのっていうところと、その影響についてお話しさせて頂きたいんですが。

これけっこうですね、言葉だけっていうよりはむしろですね、「事実と真実」っていうことを、まぁその違いを理解することによって、様々なですね、見方・意識っていうものを変えていくことができるっていうところなので、ちょっと心理学講座っぽいお話になりますけども、よかったら最後まで聞いていただければと思っております。

ということで、「事実」っていうのは、“実際に起きた出来事”を指します。

そして「真実」っていうのは“その出来事をどのように解釈したか”“どのように受け止めたか”っていうことを指します。

これが違いなんですね。

で、ポイントなのはですね、“我々の人生において影響を与えるのは事実ではなくて真実だ”っていうところなんですね、実は。

これいろんな説明ができますし、なるべく分かりやすくね、ややこしくないようにお話ししたいなと思うんですけども。

基本的に言葉として、心理学用語としてちょっと聞いて頂きたいんですけども。

事実っていうものは、実際起きた出来事。

例えば、試験に失敗しましたとかね、取引がうまくいったとか、採用試験に落ちたとか、彼にフラれたとかですね、どこどこ高校の出身です、大学の出身です、みたいな感じで、現実に起きた出来事っていうのを事実っていうふうに言うんですよね。

これはまぁよくお分かりだと思うんです。

ただ、ここの世界、心理学的な世界から見るとですね、起きた出来事っていうのはすべて「ニュートラル」っていう表現をするんですね。

どういうことかっていうと、ちょっとこれね、言葉の解釈は非常に難しいんですけども、「起きたこと」っていうものは全てニュートラル、つまり意味とか目的だとか、ポジティブだとかネガティブっていうものは実はないんですね。

「ただそれが起きただけ」っていうことなんですね。

それを“自分自身がどう受け止めるのか”っていうのが、これ真実っていますけど、それによってですね、その出来事が様々な意味合いを持ってくる。

つまりですね、事実を自分自身が観察してるわけですね。

その観察して、自分っていうものは当然ながら様々なフィルター・色眼鏡をかけて見ているのわけですね。

そこで例えば、赤いサングラスかけて白いものを見ると赤く見えますよね。青いサングラスをかけて白いものを見ると青く見えますよね。

事実は白なんですけど、そこに僕たちは自分自身の様々な経験・考え・価値観・周りからの影響・思考などによって色付けして見ている。

で、色付けして見ている真実っていうものを、僕達は影響を受けるんです。

なのでまぁこれを“真実”っていうふうに言います。

白い紙なんだけども、自分は赤く見えてますとしたら、自分はそれは赤い紙だと思って、それを真実として受け止めてます。

青いサングラスをかけていたら青く見えるので、青が真実だっていうふうに見てます。

そしてそれはあらゆる物事っていうものに共通するお話なんですね。

もう少し具体的な話をしましょうね。

で、これはよくライフワーク絡みの話なんかでさせていただく、ちょっと事実を元にしたお話なんですけど。

ある方がですね、男性の方なんですけども、当時勤めていた会社はですね、業績が悪くなかったんですけども、人員整理っていうものが入りましたと。

なので、彼はまあけっこう成績良かったみたいなんですけど、ちょっと上司に呼び出されてですね、人事の人と2人で並んでるわけですね。

そこで「申し訳ないんだけど、もしかしたら君がリストラ対象になるかもしれない」っていう話を聞かされるんですね。

彼の同年代の人がおるから、まぁとにかくなんか理由がわかんないんですけども、リストラ対象になってしまったんですね。

で、彼は実は結婚して、まだ幼い子供がいるんですよ。

その時にリストラの話がやってきましたと。

それを彼はどう受け止めたのかっていうことなんですけども、「いやいやいやいや、ちっちゃい子供がいるんで、そんな今リストラなんてめっちゃ困りますよ」と。

「そんなん言わんといてください」っていうふうにネガティブな問題としてその出来事を受け取る事っていうのはもちろん可能ですよね。

ところが彼は、実は密かですよ、起業したかったんですよ。

独立して起業したかったんだけど、きっかけっていうのがなくて密かに準備をしてたんで、起業準備もして。

で、奥さんにもそれとなく話をしてて、でもまだ先になると思うけどなぁなんてそんな感じの状況の時に、リストラ対象になってるんだ、リストラになるかもしれないっていう話を聞いた時に、彼は「ラッキー」って思ったんです。

「これは神様が背中を押してくれたに違いない」って思わず彼は思ってですね、

「あ、そうですか、分かりました。じゃあなるべく・・・。はい、分かりました。早く・・・」ってその時は神妙な顔をしてたんですけど、彼はその会議室を出た後に、「神様ってもしかしたらいるのかもしれないなぁ」って。

なかなか自分では勇気がでなかった、できなかったのに、これめちゃくちゃチャンスじゃないかっていうふうに受け止めたんですね。

何が違うか、この話は皆さん中である程度「あーなるほどなぁ」って理解いただけたんじゃないかと思って話してるんですけども。

リストラの対象になるかもしれない、まぁリストラの打診でもいいんですけども、っていう現実が起きてますよね。事実なんですよ。

“彼がリストラ対象者なるかもしれない”っていうのは「事実」なんですね。

ところがそれ自体は実は「ニュートラル」なんですよ。

で、それを彼はですよ、彼の状況でつまり彼自身がそこのその現実・事実を見た時に、「ラッキー」って彼は思いました。

でも、もし彼が今の会社に執着してるというか、いろいろな状況で辞めたくないと思ってるならば、「ガーン!めっちゃショックっす・・・!」っていう話になります。分かりますよね。

その人の状況によって、リストラ宣告がポジティブにもなるしネガティブにもなるっていうことは、今のこの「事実と真実の違い」っていうことなんですよね。

「真実」っていうのは“その人がどう受け止めたのか”っていうことを語ってるんです。

「事実」っていうのは“起きた出来事そのもの”っていうの指してるわけですね。

なので、我々は真実の方で物事を見て、そして行動をしていくので、真実に影響を受けますよっていうのがこの話の一番の核なんですけども。

そこで言えることは、つまりリストラ対象になった・なるかもしれないっていう話自体は事実で動かせないですよね。基本的には。

でもそれを「どう受け取るか」の“真実”っていうのはいかようにも変えられるって言うことがわかります。

ネガティブな受け取り方もできるしポジティブの受け取り方もできる。

もちろんそんな起業準備なんかしてない人がすごくショックを受けるでしょう。

で、ショックを受けた後に「いやいや、この状況を自分はどう解釈するんだ?これをどういう真実にするんだ?」っていう選択は僕ら自身、“自分自身でできる”っていうことなんですね。

ここがこの「真実と事実」っていうところのポイントで、だから事実は変えられない、まぁ確かにそうですよ。

でもそれをどのように解釈するのか、ネガティブな物語と解釈するのか、ポジティブな物語として前向きな理解・解釈をしていくのかっていうことは“自分自身で選択できる”っていうことなんです。

ところが僕たちは、過去のデータ・経験・価値観・考え方・思い込みなんだかの様々なものの影響でこうに決まってるっていうふうに決めつけてしまってるものもたくさんあるんですね。

そうすると「この出来事はネガティブに決まってる」っていうあらかじめ思い込みで決めてしまうこともよくあるんです。

これがね、けっこう危険で、これがいわゆる「習慣」ってやつなんですね。

だからそこで「ちょっと待て」と。「それって果たして本当にネガティブなことなのか?最悪なことなのか?それってわかんないじゃないか」と。

自分自身の解釈を変える、つまり“真実を変える”っていうことができれば、違う真実を作ることができれば、人生って変わるよねって。

その出来事の解釈も意味もポジティブに変えられるよね。

つまりそれは、自分が人生を決めることができるし、この人生は自作自演っていう話だっていうことになってきますね。

ということで、最後まで聞いていただきましてありがとうございました。

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