「自分を知る」ってどういうこと?どうしたら自分を知れるの?

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。

この話の元記事はこちら!
「「自分を知る」とはどういうことなのか?どうすれば「自分を知る」ことができるのか?」

***

どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

雨があがった大阪でございますけども、今日もまた涼しいですね。

皆さんのお住まいの地域はいかがでしょうか。

ということで、今日は「自分を知る」っていう、難しいテーマについて、ちょっと噛み砕いてお話できればなと思っております。

よかったら最後までお聞きください。

そして、チャンネル登録とかフォローも、よかったらよろしくお願いします。

「自分を知ることって、すごく大事ですよ」っていうことを、あちこちでお伝えしておりますし、僕のカウンセリングとか、とか、セミナーとかも、「自分をもっとよく知れるように」という、そういう意図も込めて、書かせていただいたり、お話させていただいたりっていうところなんですが。

じゃあ、いざ「自分を知るってどういうこと?」みたいな。

やっぱり、一番身近でいながら、一番わからない人物っていうのが、自分自身でございまして。

「自分のことは、一番わかっているようで、一番わかってないんだよね」っていうふうによくお話します。

物理的現象で、僕たちは自分の顔も実際に見ることって一生できないですし。

メガネがどっかに行った時に、「えっと・・・俺のメガネ知らんかの?」みたいな。

「そこにあるでしょ。頭の上にあるでしょ」と。

「おー、あった、あった」みたいなね。

こういうのも、すぐ近くにあるんだけど見えないっていうことが、よくあるわけですよね。

だから、一番気をつけなきゃいけないのは、「自分のことは自分がわかっている」と思い込むことでして。

自分のことだから、自分がわかっているっていうことは、意外と間違いのもとということになります。

というのも、やっぱり僕らというのは、「自分の基準」っていうのがあって。

やっぱり自分に厳しすぎたりとか、あるいは「こうありたい、こうなりたい」みたいな、「こうあらねば」っていうのがあるので、やっぱりそういった雑念というか、そういったバグが入って、うまくいかなくなっちゃうっていうことが、よくわからなくなっちゃうっていうことがよくあるわけなんですね。

だから、「自分のことは自分が一番知らない」っていうふうな気持ちでいると、けっこう謙虚な気持ちでいられるんですね。

でも、頭で考えたりとかすると、どうしてもそういう意識というより、「みんなわかってくれない」みたいなふうになるんですけども。

そこでは、「わかってねーのはお前だよ」みたいなね(笑)

「お前自身が一番わかってねーじゃん」っていうツッコミなんかも、本当は成立するんですよね。

また、「自分を知る」っていうことに関しても、やっぱり自分が属しているコミュニティの中での立ち位置・ポジションみたいなところから見ていくことが多くて。

周りの人と比較していくわけですね。

人に比べて、「自分はちょっと仕事ができる方かな」とか。

でも、あの人と比べてみると、「あの人の方がコミュニケーション、コミュ力は上かな」とか。

「あの人の方が友達は多いかな」とか。

「でも、自分は異性にはモテるんじゃないか」みたいなね。

誰かと比べて、自分の立ち位置みたいなのを知ることができるんですけども。

それって、自分と関わりのあるコミュニティの中なんですよね。

で、けっこうそのコミュニティというのは広いようで、意外と狭くて。

やっぱり同じような、似たような空気感、タイプの人とどうしても出会うし、集まりやすいし、居心地も良かったりするんですよね。

だから、そうすると、案外自分の立ち位置みたいなものっていうのを知るっていうことも、一部の狭いエリアであれば可能なんだけど、本当に客観視して「自分がどの辺なのか?」っていうのを見るっていうことは、勉強とかは数値化できるのでわかるんですけども、自分のパーソナリティをそれやろうとすると、けっこう難しかったりするんじゃないかなと。

つまり、「自分を知る」っていうのは、なかなか難しいっていうのは、そういうところからも言えるわけですね。

で、長く生きてくると、そうすると、いろんな体験をしてきますよね。

で、「自分はこういう癖がある」とか、「こういうところでミスがしやすい」とか、「こういうふうにやるとうまくいく」とか、「こういう時って自分でこうしちゃう」みたいな、そういうパターン。

行動パターンとか、思考や感情のパターンっていうのが、なんとなくわかるというか、知れるようになりますよね。

そういうのがわかってくると、それもまた自分を知るっていうことの一つで。

だから、10代20代よりも、30代40代、そして50代60代の方が、自分のことはある程度わかっているんですけど。

それは、自分のパーソナリティっていうよりも、自分の行動とか思考のパターンですよね。

「こういう時にこうしたらうまくいくんじゃないか」とか、「自分はこういう癖がある」っていうことを知るっていうことなんですね。

で、ここで実はさっき、いろんな雑念というか、自分を知るための客観性っていうものを阻害するっていうのが、やっぱりけっこう「思考」というか、「思い込み」というか、そういうのがやっぱり邪魔していて。

で、たとえばなんですけども、ずっといい子をやってきましたと。

周りから期待されて、頑張ってきましたっていう人は、期待されること自体というのは悪いことじゃないんですけども、それに応えようとして、頑張ろうとしたりとか、期待に応えなかったら、周りがガッカリするみたいなことがあると、どうしても他人軸になってしまうわけですよね。

で、そうすると、「こうあらねば」とか、「こういうふうにしなきゃ」とか、「こういうことはしちゃいけない」っていう、周りの空気というか、周りからの期待が作り上げたセルフイメージっていうのができるわけですね。

そうすると、そういう自分というのは、「こういうことはしちゃいけないんだ」とか、「これぐらいできなきゃいけないんだ」みたいなね。

実際、たとえば「帰国子女の人だったら、TOEICで800・900取って当たり前なんだ」と。

「でも、自分は600しか取れなかったんだ」みたいなお客さんが昔いたんですけども。

でも、それって別にその600がいいとか、悪いとか、800がいいとかっていうわけじゃなくて、それは今の自分の実力ですよねと。

でもそれは、本来なら800・900取らなきゃいけないのに、自分は600しか取れなかったっていうことで、自責の念・自分を責めるっていうことに使うのであれば、ちょっとこの比較っていうのは、やっぱり苦しいことになるわけですね。

で、そういうふうに、やっぱり比較しても自分を否定してしまうとすれば、それはただの自分いじめにしかならないですし。

じゃあ、自分を知るっていうふうな意味で言えば、比較していても、まぁまぁコミュニティもそうなんですけども、やっぱり客観視するのは難しいよねっていうことになっていくわけですね。

で、そういった思い込みとか、いい人だとか、期待されてきてきた分だけ、「こうあらねば」みたいな、いわゆるプライドが高くなってしまうみたいなことが起こるわけですけど。

そうやって、「自分をよく見せよう」とか、「よくあらねば」ってなってくると、たとえば自分のネガティブな要素っていうのは否定して、あるいは隠して、あるいは認めたくないっていう抵抗にもなりますし。

自分のダメなところっていうのは、やっぱり隠したい分だけ、認められたくないよねと。

だから、そういうような個人個人の、そういったキャラみたいなものがあると、また本当の自分っていうのは、自分自身を知るっていうことは難しくなっちゃうんですけども。

ただ、もうちょっと引いてみれば、そういった強がってしまうとか、プライドが高いとか、マイナス面を認められないとか、よくあらねばならないとか、人の期待に応えなきゃいけないとか、これは全部やっぱり自分の一部なんですよ。

これもすべて「自分」なんですよ。

たとえば、自分はいつもネガティブに物事を捉えてしまうと。

これも「自分自身」だし。

それから、気分屋さんで、感情の起伏が激しい。

これも「自分」ということになるんですよ。

だから、自分を知るっていうことは、そういう自分が、自分自身が普段動いているというか、普段生きているそのすべてが、やっぱり「自分」なんですよね。

よく見せようとしちゃってるのも自分だし、よく見せようとしている自分に気づいて、そんな自分は嫌だと思っている、しんどいと思っているのも自分だし、それを外したいと、もっと素でいきたいと思っているのも自分だし。

そう生きたいんだけども、なかなか素で生きられないっていうのも自分だし、そこでちょっと悩んでいるのも自分。

って、これ全部「自分自身」。

これを言い換えると、「自己肯定感」っていうことになるんですね。

つまり、「自分を知る」っていうことと、「自己肯定感」っていうのは、けっこう密接な関係があるということなんです。

自己肯定感というのは、良いのも悪いのも、そのありのままに今の自分を受け入れることじゃないですかと。

それが、自分の感情であれ、考え方であれ、「今の自分というのは、そういうふうに思ってるんだね」とか、「そういうふうに感じちゃうよね。まぁそれはしゃあないよね」っていうふうに言っていくのが自己肯定感なんですけど。

つまり、自分を知るっていうことは、そのすべて、自分自身の今自分が見えている範囲でしかわからないっていう前提の上に立って、そしてその自分が感じている自分というのは、すべて受け入れていこうということになるんです。

だから、良いも悪いもなく、ただただ受け入れると。

それが「自己肯定感」であり、「自分を知る」っていうことになるのかなと。

でも、もう少し具体的に自分を知る方法ってないのか?っていうと、僕は「投影の法則」を使うっていうことをおすすめしています。

もちろん、人に聞くというのもありなんですよ。

なんですけど、自分で探そうと思ったら、投影の法則を使う。

つまり、自分の心の中、自分自身のマインドっていうのが、目に見えるものに投影されているわけですから、それを逆算して、「周りに見えるものから自分を知る」ということをおすすめしています。

たとえば、皆さんの周りにはどんな人がいるか?

それは、あなたのパーソナリティ、自分自身というものを映し出している鏡なんですよね。

最近、どんな人によく会いますか?

どういう人を見かけますか?

それも、あなたの心の一部なんですよ。

だから、そうやって自分が投影しているものを見る。

外側に見えているものっていうのは、これが自分のマインドなんだなっていうふうにすると、自分のことをより深く知ることができるし、意外な自分っていうのに出会うこともあるでしょうと。

でも、そういうふうにして自分を知ろうとすること、これは自己肯定感をあげようとするっていうことになりますし、自分を客観的に俯瞰してみるということになりますので、生き方に非常に大きな影響を与える、とても大切な意識の置き方だと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?