「寂しいと言うとあなたが困るから言わないようにしてきました。」


「寂しい」と言うと、とてもいい人である彼が困った顔をするとしたら、あなたは正直にその言葉が言えなくなりますね。

それは相手を傷つけないための思いやりでもあるのですが、一方では犠牲になってしまうのです。

今日の話は「あるある」でしょうか?それともマニアックなネタに当てはまるでしょうか。

ある方のカウンセリングでタイトルのようなお話が出てきました。

彼女は今、彼氏との別れを考えていて、でも、迷いもあってどうしたらいいのかを相談しに来てくださったんですね。

彼との関係で「我慢してきた」という認識は彼女はあまりないそうです。

比較的言いたいことを言ってきたそうで、彼氏からも「お前、けっこうきついよな」なんて言われたこともあるそうです。

ただ、「寂しい」という言葉だけはなぜか伝えられなかったそうで。

例によって「どうしてなの???」って尋問(!?)開始です。

「寂しいって言うと彼、困ると思うんですよね。仕事やプライベートやら色々忙しい中で私との時間を作ってくれてるので、その上でそんなこと言っちゃったら追いつめちゃうと思うんですよね」

「昔の恋愛でもちょっとそんなところはあったかもしれません。でも、はっきりと意識したのは今回の彼だけです。ただ、ほんとに結婚まで考えたのも彼だけですけれど。そこに何かあるんでしょうか。」

「うちは共働き家庭だったので、いわゆる鍵っ子で、いつもがらんとした家に帰ってくるのが当たり前でしたね。兄がいますが、私の方が帰りがずっと早かったので。」

「お母さんもお父さんもとても優しく、真面目で、いい人たちだと思います。よくブログなどで子ども時代のトラウマが・・・ってお話が出てくるのですが、私には思い当たらないんですよね。」

私のブログを愛読して下さってる方にとっては「ははーん、そういうことだな?」と思い当たる節があるかと思いますが・・・(笑)

優しい親、真面目な親、いい人な親・・・。

ブログではそれと反対の親ばかりがけっこう出現するわけですが、逆にそんな「いい親」だからって問題を抱えないわけではないんです。

彼女、鍵っ子でした。家に帰ると誰もおらず、お兄ちゃんが返って来るか、あるいは仕事を終えたお母さんが返って来るかをずっと1人で遊びながら待ってる他ありませんでした。(もちろん、時には友達と遊んでてたと思いますが)

当然、寂しさもいっぱいありますよね。

でも、仕事を終えて家に帰ってきたお母さんやお父さんに「寂しかった。一人ぼっちは嫌だ」って伝えたら、彼らはどう答えると思います???

「バカ野郎、俺らはお前らのために仕事してんだろ。そのくらい我慢しろよ」って切れられるのもある意味嫌ですが、「ごめんね。寂しい思いをさせて。でも、仕事があって一緒にいられないの。本当にごめんね」ってすごく申し訳なさそうな顔して謝られるのも・・・嫌じゃないでしょうか?

そんな優しいお母さんを自分が追いつめているような、自分のわがままでお母さんを苦しめているような、、、、。

だから、きっと「ううん。大丈夫。大丈夫。ごめんね。大したことじゃないの」って強がるしかなくなりますよね。

そして、寂しさは心の中に蓄積されていくことになり、心のどこかに寂しさを感じながら成長していくんです。

さらには「自分の寂しさは誰かを傷つけるもの」という定義が生まれます。

これは彼女の優しさから生まれたものです。

お母さんを苦しめたくない、頑張ってるお母さんに嫌な思いをさせたくない、という。

そこには愛情がありますよね。

だから、余計に彼女はそのルールに縛られるようになるのです。

そして、それを彼にもまた適用していきます。

自分の寂しさは彼を傷つけるのでは?と思い、言えなくなるんです。

その彼がいい人であればあるほど。

それが愛から生まれたルールであることに気付く必要があります。

しかし、それ故にそのルールを破ることには強い抵抗があります。

誰かを守るために作ったルールだからです。

だから、まずは「気付く」だけに留めるのがいいですね。

自分はそういう風に人を守ってきたんだ・・・と今まで当たり前にしてきたことの認識を変えるのです。

過去の恋人にはどうだった?

友達とかにはどう?

職場の人とかにもそういう配慮してなかった?

すると「そういえば・・・」と色々とネタが出て来るんです。

それをまずは気付くこと。そして、その実例と共に受け入れること。

そうすると「あんたは偉いなあ」と自分自身に言いやすくなりますね。

たくさん褒めてあげるんですよ。自分で自分を。

そうして、そういう風にして誰かを傷つけないようにしてきた自分を承認してあげます。

その上で・・・、犠牲をやめていきましょう。

愛と犠牲の違い。

やっていることは同じでも、我慢してやっているのであれば、それは愛ではありません。

犠牲と言います。

彼のために、としていることが、自分の喜びであれば愛です。

でも、我慢していることがあるのならば犠牲です。

もちろん、100%の犠牲も無いでしょう。

愛があって、そして、犠牲もあります。その比率を変えていくのが新しい目標です。

そして、時には他人だけでなく、自分を守るために、自分を傷つけないために「寂しい」と伝えることを自分に許してあげるのです。

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