人に真似されるのがすごく不快で嫌なんです。

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。

この話の元記事はこちら!
「人に自分のことを真似されるのがすごく不快なんですがどうしたら気にならなくなりますか?」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで、今日も東京はいい天気でございますけども。

皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

ということで、今日は「人に真似されるのが嫌。どうしたら気にならなくなりますか?」というテーマについてお届けしたいと思います。

よかったら最後までお聞きください。

そして、チャンネル登録とかフォローとか、よかったらよろしくお願いします。

シェアも大歓迎でございます。

今回も、ちょっと前に書いたブログのネタを元にお話させていただいておりますが。

「人に真似されるのが嫌」っていうことで、たとえば自分の創作物だったり、SNSの投稿だったり、それからファッションだったりとか、自分の好みのものみたいなもの、そういうのを勝手に真似されるみたいなことっていうのは、意外と相談というか、お話の中に出てくることがあって。

以前もブログで扱って、もしかしたらこちらでもしゃべったかもしれませんけども。

またそのテーマでお届けしたいなと思います。

勝手に真似されて気持ちがいいっていうふうに思う人っていうのは、よほどの人でないとなかなか難しいなと思います。

とくに、ファッションだったりとか、自分の好みとかを真似されるっていうのは、すごく気持ちが悪いって感じる方もいらっしゃると思います。

これは、心理的に「自分の領域に入り込まれてるような感じがする」とか、「すごく奪われてる」とか、そういった感覚っていうのを呼び起こすので、真似されるのがすごく嫌っていう感じになると思うんですね。

で、それが創作物であったりとか、自分が商品としてるものとか、セールスに繋がるようなSNSだったりとかっていうことになってくると、なんか本当に邪魔されてるような感じだったりとか。

ましてや、自分の真似したものがバカ売れしてみたいな感じになったら、超悔しかったりしますし。

ただ、その創作物とか商品とかについては、いわゆる著作権的なものだったりとか、権利関係が発生するので、本当に許せないなっていうことになると、裁判とかになるのかなと思うんですけども。

なかなか日常的な中で、「ファッションを真似されましたって訴えるぞ!」みたいなことにはならないんですが。

こういった時に、どういうふうに対処していくべきか?っていうことをお話していきたいなと思います。

で、対処って言っても、具体的に「やめてよ」って言えるような関係性であれば、まぁいいです。

それはキャラっていうところにもよると思うんですが。

やはり、「なんで嫌なんだろう?」っていうところをやっぱり考えてみるっていうのが、自分の心と向き合う秘訣だったりするんですよね。

先ほど言いましたように、すごく侵略されてるとか、奪われるとか、邪魔されてるとか。

なんかすごく自分が一生懸命作り上げてきたものだから、それをかたちだけ取っていかれるっていうのは、すごくズルイような気がしたりする場合もきっとあると思います。

そういった不快感のようなものっていうのが、やっぱり根っこにどうしても出てきてしまうんだと思うんですね。

ただ、ちょっと見方を変えましょうということであれば、「じゃあなんで真似をするんだろう?」っていうふうに考えてみてほしいんですよね。

なぜその人は、あなたのその創作だったりとか、SNSの文章だったりとか、あるいはそのファッションとか、メイクっていうのを真似するんでしょうか?と。

悪い気はしてないと思うんですよ、その人は。

むしろ、あなたに対してすごくポジティブなイメージを持ってる。

つまり、「価値や魅力を見てる」っていうふうに言えるんじゃないかなって思うわけですね。

「だったら言ってくれよ」とかっていうような気持ちになったりもすると思うんですが。

ただ、そうやってなんらかの事情で言えなかったり、恥ずかしかったり、自信がなかったり、怒られたり、拒否されるのが嫌で言えないのかもしれませんけども。

少なくとも、自分のことっていうのはすごく評価されてるっていうふうに捉えるべきかなと思いますね。

評価されてるとか、認められてるっていうふうにね。

で、これがたとえば創作であったりとか、ビジネスをやってるとかっていう立場だったりとか、ファッションであったりとかしても、ファッションリーダー的なポジション、いわゆる自分がインフルエンサーだと思えば、それは真似されるの当然だよねって思うと思いません?

でも、「別に自分インフルエンサーでもないし・・・」みたいな、「普通の人だし・・・」なんていうふうに思ってるかもしれませんけど、少なくとも自分のことを真似してくる人、自分を真似してる人にとって、あなたはインフルエンサーであったり、師匠みたいな目で見られるっていうことがやはり出てくるわけですね。

で、そういうのを真似されて嫌なのっていうのは、自分が積み上げてきたものを、かたちだけ取られていくっていうのがすごくズルイような気がしてしまったりとか、「それは良くないじゃない。ちゃんと自分で考えて、自分のオリジナルを作りなよ」みたいなふうに思うんですけど。

やはり、どんな創作も、最初はやっぱり真似事から入るわけですよね。

美術にしても、音楽にしてもそうだし、文章だってそうです。

そういった創作物って、やっぱり作る側からしても、かつてはなにかを模倣してきたと思うんですね。

っていうふうに見れば、その自分は「先生」だったとか、すごく「偉大な人」っていうのを、「先人」を模倣したんだけど、その人にとっては、「自分」がそのポジションに当たるっていう、それくらい価値や魅力を見られてるっていうことを受け取れてるだろうか?っていうふうに思うんですよ。

ここの部分で、実は真似されて嫌だなって思うっていうことは、「自分の価値を自分で認めきれてない可能性」っていうのを見ることができるんですね。

しかも、ここからがけっこう深い話になるのかな。

自分が、たとえばファッションであったりとか、創作物っていうのって、それなりにこだわりがあったりとか、時間をかけて研究したりとか、創意工夫があったりとか、そういった「思想」って言いますけど、その成果物に対してのさまざまな思い入れも含めた思想ってありますよね。

とくに創作物であったら、メッセージ性だとか、その裏側にある深みを作る部分が、その思想に当たると思うんですけども。

この思想までをコピーしようとするのは、かなり難しいんですね。

というのも、人それぞれ、人生の土台になってるものというのは違います。

文章に表れるっていう、表現にしても、やっぱり個性であったりとか、その人の生き方とか、それから性格的なキャラみたいな部分とか、その人自身の言葉の使い方だったり、表現の仕方っていうのがあるわけですよね。

そうした歴史に基づいた、あるいはそういった思想に基づいたかたちとしての創作物ですので、そこだけをコピーしたとしても、「思想」ってついてきてないんですよ。

なんか浅い感じがしたりとか、なんか十分じゃない感じっていうところがします。

しかも、それを受け取る側っていうのも面白いもので、「この人が言ってるのは別にいいんだけど、あの人が言うとなんかムカつく」みたいなことっていうのはけっこうあると思うんですけども。

そういった、創作物に対しての込められてる思想みたいなものっていうのが、その反響につながるわけですね。

だから、真似されるとかっていうことは不快に感じるかもしれませんけども、自分の魅力や価値っていうのが示されてるっていう点と、かたちだけ真似されても、「中身までは真似できないでしょ」っていうふうな見方をしておくことによって、その不快感ってのはなくなっていきますし。

そうやって自分の魅力や価値を受け取れば受け取るほど、「そりゃ真似したくなるよね」とか、「あ、自分のこういうのを真似したい人がいるんだな」っていうふうな目でしか見なくなって、そこで不快感っていうか、影響を受けることっていうのが実はなくなっていくんですよ。

たとえば、僕のお仕事なんかにしても、文章であったりとか、話し方であったりとか、そういうのもけっこうやはり模倣されるっていうこともあるんですよね。

以前は、僕のブログの記事をコピペして、自分のブログに貼ってたなんていう人もいたんですけども、それって、やっぱり自分のオリジナルの記事っていうのに自信がないから、そういうことをやっちゃうと思うんですね。

だから、じゃあその後3年後、5年後みたいな、そういうことをやってる人が生き残れるか?っていうと、やっぱり難しいと思うんですよ。

かたちだけ真似してても、中身がついてきてないわけですからね。

また、うちのお弟子さんにも「僕を真似するのは全然オッケーよ」っていうふうに言うんですけども、「必ず1回自分の中に落とし込む」っていうことを伝えてるんですね。

っていうのは、僕のブログは読んでいただけるとわかると思うんですけど、ちょっとボケたりツッコんだりとか、場合によってはちょっとひどいことを言ったりとかっていうのも、文脈の中にあるんですよね。

それを面白いって言ってくださる方が、リピーターさんというか、読者さんになってくれてるわけですけども。

その書き方を、そのまんまコピーすると、単なる失礼なやつっていうふうに思われる可能性が高いわけですよ。

僕がそういう表現をするっていうのは、まぁまぁ許されるんだけども、「いや、あんたがやるのは違うよ」みたいなね。

これも、キャラみたいなものっていうのによるわけですよ。

だから、たとえば他の人がやってることを僕が真似したって、同じことが言えるわけでして。

だから、自分のオリジナルを作っていくまでの間には、そういった真似っていうのは重要なんですけども、そういったところで、どんどん自分でそこに思想をつけていくと、だんだんオリジナリティっていうふうに変わっていくんですね。

っていうふうに見ると、やはりその真似されることに対して、不快感どころか、むしろ「ありがてぇな」ぐらいの気持ちまで持てるんじゃないかなっていうふうに思っております。


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