ああなりたくない!は、ああなってしまう法則

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。

この話の元記事はこちら!
「気が付けばあれほど嫌だったおかんと同じことを旦那にしていることに気付いた話と、誤解しやすい男性心理について。」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで、今日は東京のホテルにて収録をさせていただいております。

皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さぁ今日は、「ああなりたくないは、ああなってしまう法則」というところをお届けしたいなと思っております。

気になる方は、ぜひ最後までお聞きください。

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「あんなふうになりたくないな」って思うことってよくあると思うんですけども、気が付いてみれば、「あんなふうになっちまってた」っていうような、心当たりないでしょうか?というか。

これはけっこう、とくに「あんなふう」っていうのが自分の両親だったりすると、もう幼い頃から潜在意識に埋め込まれてきてる習慣的なものがあるので、なかなか自分で気づくのは難しいっていう面もあって、意外と気づきにくいというか、わかりにくいところがあるのが、この法則なんですね。

今両親っていうふうに言いましたけども、具体的に言うと、お母さんが過干渉で、あれこれ口出ししてきて、心配性で、すごくもう嫌だったと。

「もうほっといてよ」と。

「もっと自分を信頼してよ」っていうふうに思ってましたと。

ところが、気が付いてみれば、自分が結婚して旦那様に同じようなことをしてた。

それに気づきましたと。

今日の元ネタにいただいたお話が、そんなお話だったんですけども。

けっこうこれは、親子関係だけでなく、兄弟の間であったりとか、それから先生だったりとか、それから仕事してたら上司みたいなところっていうのも、けっこう似たようなお話・経験っていうのは出てくるんですね。

で、「ああなりたくないな」と、「あんな上司になりたくないな」と思ってるのに、そんな上司に気が付けばなっちゃったっていうのは、けっこうショックで、すごく嫌な気分になるわけでございますけども。

世に「反面教師」っていう言葉がありますよね。

「お父さんみたいになりたくない」と思った時に、お父さんを基準にして、「お父さんとは違う方向に向かおう」っていう心理です。

たとえば、お父さんが商売をやって、すごく苦労して、家族みんながしんどい思いをしたっていうことであれば、逆振りして、安定した公務員だったり、サラリーマンという職を目指すみたいな生き方のことですね。

これが、そういった今の就職みたいな面じゃなくて、僕たちの心理的な行動全般に対して、こういう傾向っていうのが出てくるっていうのは、よくあるわけですね。

なので、僕たちとしては、反面教師にするっていうふうに意識したときには、実は基準っていうのは「お父さん」なんですよ。

今の話でいくとね。

そうすると、お父さんをじっと観察しておかないといかんわけですよね。

「この時はお父ちゃんどっち行くか・・・あ、右に行ったな。じゃあ、俺は左に行こう」みたいな。

そういうふうに、結局お父さんとは逆に行こうとしてる分だけ、お父さん基準でお父さんのことをよく見てることになるので、お父さんの行動パターンとか、感情・価値観っていうものをそのまま自分がインストールしてると。

つまり、真似してるっていう状態なんです。

これを言い替えると、「お父さんがすごく素敵な人だから、お父さんみたいになりたい」と思ってお父さんの真似事してるのと、心理的には全く同じ状態っていうことになるんですね。

で、これがいわゆる「ああなりたくないが、ああなってしまう」っていう法則になるんですけども。

親子関係で言えば、もう少しまた別の見方というか、同じことなんですけども、違う角度からお話できることがあって。

親っていうのは、やっぱり僕たちにとっての見本なんですよね。

お母さんっていうのは、女性代表、大人の女性だし、妻であり、母の代表ですし、お父さんっていうのは父親であり、男であり、大人であり、大人の男性であり、夫でありっていうモデルになるわけですよ。

そうすると、ここはちょっと深い話になるんですけども、お父さんがたとえば自分にすごくいわゆるモラハラ的な態度をとったとするじゃないですか。

で、これは大人になると、「すごくひどいことだな」とか、「やばいことだな」と。

「うちの親父、ちょっとおかしいわ」っていうことに気づきます。

だいたい思春期以降ぐらいから気づき始めるっていうことが多いんですけども。

でも、子供の頃っていうのは、そういうお父さんしか知らないから、「世の中のお父ちゃんって、みんなそんなもんだ」っていうふうに思うわけですね。

そして、ここがわかりにくくて、理解しづらくて、抵抗あるところかもしれませんけど、そんなお父ちゃんだけど、「嫌いにならなかった時代」っていうのがあって、むしろ「大好きだった時代」があるんですね。

そうすると、自分が大好きな人が行うことであるので、そのやり方っていうのを学んでいくんですよ。

つまり、「モラハラ的な態度」っていうことを無意識にインプットしていくんですね。

で、そうすると、自分がそれは嫌だったんだけども、「そういうやり方しかある意味知らない」っていうことになりますから、大人になって自分が子供を持った時に、お父ちゃんが自分に接したように自分が自分の子供に接してしまうとか、自分が部下を持った時に、部下に対してモラハラ的な言動をしてしまうとかっていうようなことにつながっていくんですね。

で、これがとくに親子関係の場合っていうのは、もう子供の頃からずっと積み重ねてきた蓄積っていうか、データ量があるので、自分としてはもうそれが当たり前になっちゃって、「なにも感じない、なにも思わない」っていう状態になりやすいんですね。

ここがけっこうポイントになるところで。

これがあるがゆえに、自分がそういうモラハラ的なことをしてるっていうことに気づけないっていうことが大きな問題になるし、誰かに指摘されても、「いや、普通のことじゃないの」って、「自分が普通に受けてきたからね」っていう感覚として捉えてしまうっていうところが、非常にちょっと問題というか、ややこしいところではあるわけですね。

そんなふうに、親がやってたことだけじゃなくて、先生だったりとか、上司だったりとか、先輩とかっていうところから、やっぱり僕らは無意識のうちにそのやり方を踏襲していきます。

社会人としてデビューした時に、なにも右も左もわからないところに、上司の指導方法、上司の接し方、「上司ってこういうもんなんだな」っていうところから学び始めるので、それが潜在意識の中に蓄積されると、自分が上司になった時に、部下に対して同じことをしてしまいがちっていうことですね。

「がち」っていうところがポイントなんですけども。

で、そういうふうに、知らず知らずのうちに、たとえば反発して反面教師をやってたとしても、基準がその人であるがゆえにそうなってしまう。

最初にちょこっと説明したお話をまた振り返りますけども、その人を基準にずっと見てるから、やっぱりその人を真似してるのと同じような状態っていうことに、やっぱりなりやすいっていうことなんですね。

なので、まずそれに「気づく」っていうところが、1つ目のポイントなんですけども。

じゃあどうしたらいいのか?っていうところからいくと、ここでは「許し」っていう言葉が出てくるんですけども。

反発、反面教師にしてた場合はすごくわかりやすいんですけども、そうじゃなかったとして、「別に嫌いじゃないよ。怒ってないよ」っていう時であっても、実はその両親であったり、上司であったりとか、自分がモデルとした人のやり方を引き継いでる子供の部分っていうのが、自分の中にあるんですね。

つまり、「そういうもんだ」と思い込んでる自分があって、やっぱりそんな親に対して反発があったり、葛藤があったりとかするってなってくると、「その親を許していきましょうね」っていうことが、1つの大きなテーマになっていきます。

で、なんでここで許しが出てくるかって言うと、つまりこのやり方、たとえば反面教師なんかしてる場合、お父ちゃんに反抗して、お父ちゃんっていうのがやっぱり基準になってるのは、許せない分だけ基準が強くなるんですね。

つまり、お父ちゃん以外のやり方っていうのは、自分の中で認められなくなってしまってる状態なんですよ。

この辺はちょっとややこしいんですけどね。

で、そうすると、お父ちゃんを許すことによってどうなるか?っていうと、まずお父ちゃんの束縛から解放されますよね。

自分が束縛してたんですけども、そこから解放されて、自由になりますよね。

自由になるっていうことは余裕ができますよね。

余裕ができるってことは、視野が広がりますよね。

視野が広がるっていうことは、お父ちゃん以外のやり方っていうものも気づけるようになる。

お父ちゃんのやり方も受け入れた上で、違うやり方っていうのを選択できるというか、まずは学びに行くことができるわけです。

そうすると、モラハラしてしまう気持ちも、「まぁわからんでもないわな」と。

「でも、そのやり方はやっぱり辛いから、僕はこっちで行くよ」っていう選択ができるようになりますね。

で、これが反面教師と違うっていうのは、場合によっては、「お父ちゃんのこの部分は良いから、自分に取り入れてみよう」とか。

「お父ちゃんのこの部分はやりすぎだっただけで、方向性は間違ってないと思うんだよね。だから、お父ちゃんが10やってたところはキツイけども、自分は2とか3ぐらいだったら程よいかな」みたいな感じで、お父ちゃんを全面的に否定するのではなくて、そのモデルとなった人の良いところは受け入れつつ、自分に合わないところは変えていくっていうことが選択できるようになるっていうところが、この許しっていうところだったりするわけでございます。

いろいろ「ああなりたくないのに、ああなってしまう」みたいなことっていうのは、日常で実はたくさん起きてるんですけども、気づいた時は今日のお話を思い出していただければ幸いです。

ということで、ありがとうございました。

根本でした。

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