私って普通の人だから、、、と感じてるみなさんへ。

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。

この話の元記事はこちら!
「私は昔から「普通」で「可もなく不可もない」ので、人の印象に残らない人生を歩んできました。~殻を破ってほんとうの自分と出会うには?~」

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どうもおはようございます、こんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで、今日は「普通の自分がつまんない」みたいなお話をさせていただきたいと思います。

普通ってそもそもなんやねん、みたいなところがありまして。

これはけっこうカウンセリングとかでも、「いや、私はとくにめっちゃ普通な人で、なんの取り柄もないんです」みたいなことを言ってたりとか、それから「自分はとく特徴がない、個性がそんなないので、目立たないというか人の印象に残りにくいんです」とか。

たとえば、「お仕事をしてても相手に顔とか名前とかを覚えられにくいんですよね」みたいなお話をされたりとか。

「可もなく不可もなくというところで、平穏に暮らしてるのはいいんですけども、なんか普通な自分っていうのが嫌なんです」というようなお話をされたりとか。

いろいろと聞いております。

で、「普通ってなによ?」っていうところが1つのポイントでして。

たとえば自分は取り柄がないとか、目立たない、個性がない、それから可もなく不可もないから印象に残りにくいっていうような、そういうセルフイメージ、自分自身に対してそういうイメージを持ってるっていう場合をやっぱりよくお聞きするんですね、カウンセリングでも。

その人の所属しているコミュニティーの中で、けっこう自分は平均値ぐらいかなっていう判断なんですよね、これね。

だから本当に世界的に見てとか、日本の中でとか、大阪府の中で普通なんですみたいな、そういう基準っていうよりは、自分が接してる人たちの世界の中で自分は普通なんじゃないかな、なんていうふうに思ってたりするので。

だから、ちょっといわゆるちょっと一歩離れたコミュニティーというか、別の角度から見ると、「いやいや、あんためっちゃ目立ってるよ」とか、「めちゃくちゃ個性的だよ」みたいな、そういう印象を与える方も実は多いんですね。

だから「私って普通なんです」っていうふうに思ってしまうのは仕方ないことなんですけども、必ずしもそれがほんまにそうなのか?っていうふうに言われると、若干微妙なところがあるのかなっていうふうに思うんですね。

ただ、自分がそう思ってしまってるっていうことは真実なので、じゃあそこからどうしていこうかっていうところを今日はお話していきたいなと思います。

で、客観的に見てどうのこうのよりも、主観的に私は普通でつまんない人間だみたいなふうに思い込んでる方ってけっこう多くて。

結局それってなにかっていうと、1つは「自分の長所とか価値っていうものを受け取れていない問題」ですね。

自分の長所や価値を受け取れていない。

かつ、受け取っていたとしても、その価値をそんなに認めてないというか、価値そのものを低く見積もってるっていう場合があります。

たとえば「すごく優しいね」っていう長所っていうのがあったとするんだけど、でも「みんな優しいじゃん」って、「優しいっていうのは別に取り柄じゃないよ」みたいな感じで、その優しさっていう長所を低く見積もってるっていう場合ですね。

で、3つ目っていうのが、これは今日の話の主題的なテーマになるのかなと思うんですけど、現状に退屈してるというか、つまんないというか、今のその生活っていうか、今のお仕事でも恋愛でもいいんですけど、「今の生活自体っていうものがつまんない」っていうところが3つ目に挙げられていて。

で、これはなにかっていうと、要するに「どこか小さくまとまりすぎてませんか?」っていう、そういう問いかけが可能な分野かなと思ってるんですね。

小さくまとまってるつもりっていうのはもちろんないかもしれませんけども、そしてそれが悪いわけではもちろんないんですけども。

ただ、自分はもっとできることがあるとか、やりたいことがあるとか、もっと刺激的な毎日を送りたいっていうふうに思ってるんだけども、でもそれがなぜかなんかの理由でできなくなってしまってる。

そして、そのできなくなってしまってるっていうのは外的要因もあるんですけども、ほとんどがもう内的な要因で。

自分で制限を自分につけてしまってるとか、自分ってこんなもんだっていう決めつけがあって、そこから出ないようにしてしまってるとか。

さらに言えば、ここで自分自身が変化することとか、成長することとか、チャレンジするっていうことに怖れっていうものがあったりとか罪悪感があって、自分の足に鉄球をくくりつけて牢屋にぶち込んでるとか。

そこはいろんなケースが考えられるんですけども。

なんか自分自身が「もっと自分を発揮しなさいよ」と。

もっともっとあなたは自分を出せる。

出すっていうのはちょっと表現が難しいんですけども、「もっともっと自分を出していいんじゃないの?」っていうことで、結局これっていうのは「殻を破る」とか、「鎧を脱ぐ」とか、そういう表現としてここら辺は表されるのかなっていう感じなんですよ。

つまり、現状今の自分っていうものに対して、どこか不完全燃焼感みたいなものを感じてるから「いや普通なんですよね。つまんないんですよね、こんな私は」っていうふうに感じちゃうのかなと。

だからそこでなにをするかっていうと、「もう一歩深める」っていう表現は僕はするんですけども。

たとえばもう一歩深く自分自身とつながるとか、もう一段深く降りて自分の本音を探るとか、そういったちょっと一段深く、もしくは一歩奥へみたいな感じのイメージでここをとらえてみるといいんじゃないかなと思うんですね。

で、ここの一歩先へとか、一段深くみたいな意識っていうのは、実はけっこう恐ろしいんですね。

それはなにかっていうと、もし自分の本音に気づいてしまったら変わらなきゃいけないですよね。

たとえば、今は普通に会社員をしていて生活も安定してるし、職場の人間関係も悪くないですと。

そんな環境の中にいて、ある程度の満足感はありますよねと。

ところが、そこで自分の本音を探っていったら、「いや、自分はもっと別の仕事をしたいんだ」とか、「独立・開業したいんだ」みたいな、もし本音っていうのに気づいてしまったらヤバいわけですよ。これ、めっちゃね。

だから、そうするとそこに気づかないように蓋をして、そして「このままでいいんだよ」と。

「自分ってこんな人間なんだよ。自分で取り柄がないからね。自分って普通の人間だからね、そのままでいいんだよ」みたいなふうに思い込もうとしてるっていう可能性が意外とあったりするんですね。

で、今お仕事の話をしましたけど、パートナーシップでもやっぱり同じようなことが言えて。

たとえばもっとパートナーと親密になりたいんだけども、でもそれが怖くて「今うまくいってるし、仲いいし、これでいっか」っていうふうに思ってたりとか。

あるいは恐ろしいことに、「いやちょっと・・・ほんとは別の人にいきたいんだよね」みたいな、そういう気持ちに気付くのが怖かったり。

だから自分でそうやって蓋をして、自分の情熱であったりとか、変化したい意欲だったりとか、成長欲求だとか、もっと言えば刺激が欲しいみたいな思いを蓋をして隠してしまってると、「つまんねぇな」って感じたりとか、それが自己評価に転じると、「まぁ私って普通の人でなんの取り柄もないし、可も不可もないし」っていうところになるのかなと。

で、こういったアプローチというか、こういう問題っていうのはどう見ていくのかっていうお話を今からしますけども。

もう一段深く自分とつながろうねっていうことで、「本音の本音を探っていく」っていうアプローチっていうのが一つあります。

これはどっちかっていうと、思考的な人というか、自立的な人におすすめなんですけども。

これは自分に「なぜ?なぜ?なぜ?」っていうのを問いかけていくんですね。

たとえば今お仕事をしていると。

で、この仕事を自分の中では、自分っていうのは普通に振る舞ってると。

だから問いかけとしては、「なぜあなたはこの会社に居続けるの?」っていう問いをするわけですよね。

そうすると「生活が安定してる」とか「人間関係が悪くないから」っていう答えが出てくると思うんですけど。

「なぜその人間関係が悪くなくて、そして安定してるっていうところにあなたはこだわるの?」とか、「あなたはそこがいいと思うの?」みたいな感じで、二段階目のなぜ?を問う。

「なぜ安定性を求めてるのか?なぜその人間関係が悪くないっていうところに価値を見てるの?」っていうふうに掘り下げていくわけですね。

で、そうするとたとえば「やっぱり安定してると不安がないじゃないですか。安心感があるじゃないですか」っていうふうな答えが出てくるとすると。

「なぜあなたはそんなに安心感を求めるの?」って、これが三段目の中に入っていく。

「なぜ安心感をそんなに重視してるんだろう?」って見ていくと、「いや、実は昔、子供時代にけっこう不安な時代が長くてね」とか、「思春期の時に学校で居場所がなくてね」みたいな感じで、そこでなにかトラウマのようなものが出てくるかもしれないし。

「やっぱり自分はその安心感の中で、安定した生活を送るっていうのが自分が好きなんだ」と、「それを求めてるんだ」みたいなことに気づいてくるっていうのが、この「なぜ?なぜ?」攻撃なわけですね。

で、2つ目はもっと感覚的・感情的にやるっていうこともあって。

よりもう一歩近づいてみるイメージだったりとか、自分の鎧を脱ぐようなイメージをしていったりとか、殻を破っていくようなイメージをしたりとか。

なにかちょっと高い部分に感情的なリスクを犯すって言うんですけど、感情的にリスクを犯してみると、「いや、本当は私もっと刺激的な生活が欲しいわ」みたいな本音に気づいていくこともあったりします。

ということで、今日は「私は普通の人」と感じてしまう方に向けて、ちょっとしたお話をさせていただきました。

最後まで聞いていただきましてありがとうございました。

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