感情をコピーする!?〜親から子へ、パートナー同士で〜
このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。
この話の元記事はこちら!
「「自分は邪魔者である」という罪悪感とどう向き合えばいいのか?~母への愛からその罪悪感を溶かしてみる【許しの物語】~」
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どうもこんにちは。
カウンセラーの根本でございます。
いつもお聞きくださいましてありがとうございます。
ということで、今日も東京のセミナールームの方にやってまいりました。
いい天気ですね、東京はね。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
さて、今日は「感情はコピーされる」っていうお話をお伝えしたいと思います。
「え!どういうこと?」って思われる方は、ぜひ最後までお聞きください。
そして、チャンネル登録フォローとか、よかったらよろしくお願いします。
「感情はコピーされる」っていう表現を、カウンセリング界隈というか、心理学界隈では、よくされるんですけども。
親子関係を例えにしますと、親が持っている、たとえば「罪悪感」っていうのがあった時に、その親を見て育つ子供も、その親が持ってる罪悪感を自分が引き受けていくと。
自分が引き受けて、あたかも自分が作り出した罪悪感のように、その後の人生を生きていくなんていうパターンっていうのがあるんですね。
これは、実は罪悪感本の中に7種類の罪悪感を紹介してるんですけども、そのうちの1つとして、「親からコピーしてきた罪悪感」っていうのを紹介してたりします。
で、どういうこと?っていうふうに思われるかと思うんですけども、これは身近な関係というか、親密な関係において起こりがちな、さまざまな説明の仕方ができるんですね。
感情って共鳴をすると。
だから、楽しそうな人のそばにいると楽しくなる。
悲しそうな人と一緒にいると、なんか自分も泣きたくなってくるみたいな経験、皆さんもあると思うんですけども。
そういうかたちで、感情って共鳴してくるので、身近な人がたとえばそういう罪悪感で苦しんでいるとすると、「その罪悪感を共鳴して、自分の中に取り込んでいく」っていうことをやってしまうっていうことが、一つの説明としては挙げられます。
ただ、もう少し深い話をさせてもらうと、やはり子供って、親っていうのを「助けたい」って気持ちを強く持っています。
もちろん、それは自覚するっていうよりも、単に大好きだから、助けてあげたい、笑顔になってほしい、元気になってほしい。
だから、一生懸命親を助けようとするっていうのが、子供心の中にあるんですね。
で、その時に、たとえばちょっと想像してほしいんですけども、親がめちゃくちゃ重たい荷物を背負って、はぁはぁ言いながら歩いてると。
で、自分は手ぶらで自由に歩き回れると。
その時、自分はその親のことが大好きだったら、「なんか自分ばっかり元気で申し訳ないな・・・」っていう気持ちがしてくるっていうのを想像できるでしょうか。
そうすると、どうするかっていうと、その親の荷物を自分も持とうとするんですね。
で、親から荷物をもらって、自分が背負って、自分もはぁはぁ言いながら苦しんで、そして親を助けようとする。
そしてもう1つ、「親とのつながりを感じようとする」っていう行動があるんですね。
ところが、実は親から荷物を引き受けるっていうと、その分親が軽くなってるっていうふうに感じやすいんですけども、実はそれは引き受けるっていう部分もたしかにないことはないんですけども、むしろ親の真似をして、自分もなんらかの荷物を背負おうとするっていうような行動で起こるんですね。
つまり、親が罪悪感を持ってたら、自分を罪悪感を持とうとする。
親が、たとえばすごい劣等感の塊で、自己肯定感が低ければ、自分も劣等感を持って、自己肯定感を下げようとするんですね。
「親の真似をする」というとわかりやすいんですけども、そこの裏側にあるのは、やはり「親を助けたい」とか、「親に笑顔になってほしい」っていう愛なんですね。
そして、そのつながり、「親とのつながりを感じたい」っていう、やはりこれも愛だったりするんですよ。
そうした愛の行動から、僕たちっていうのは、無意識のうちに「親の問題を引き受ける」っていうことをやります。
で、それが大人になってから、大人になる過程でも出てきますけども、さまざまな問題っていうのが出てくると。
たとえば、罪悪感を親からコピーしてきたら、やはり罪悪感にもとづいて、自分が幸せにならないような、あるいは自分が傷つくような、自分を罰するような、そういった行動パターンっていうのを持ったりします。
自分としては、自意識としては幸せになりたいなと思ってるし、幸せになれるようにいろいろやろうとするんだけども、なぜかうまくいかないと。
そうすると、「なんか話を聞いてると、罪悪感がめちゃくちゃあるような気がするんだけど」って。
でも、そんなふうな、なんかあるわけじゃないんですよ。
でも、その時の考え方の1つとして、「もしかして、あなたのお父さんお母さん、どんな人だった?」っていう話から、「あ、もしかしてそれって、親がすごい罪悪感が強い人だから、あなたは親を助けようとして、その罪悪感を引き受けたのかもしれないよね」なんていうふうな話をしていくこともあるんですね。
で、ここをどう見分けるか?っていうのは、けっこう専門的っちゃ専門的、感覚的っちゃ感覚的なんですけども。
なんか話を聞いてると、「ん・・・?それって自分のもんなんかな?」みたいなふうに感じるっていうことが、カウンセラー側としてはやっぱりあって。
で、その親子関係を聞いていったり、両親の性格を聞いていったりとかする中で、「もしかして、それ親の感情を引き受けてない?」みたいな、そういう考え方、そういう見方っていうのをしていきます。
で、たとえば、それが罪悪感を例に話をしてますけども、他にも劣等感とか、そういった感情、無価値感、自己肯定感が低いとかもそうだし、寂しさ、悲しみとかっていうのもそうです。
逆に言えば、ポジティブな親がすごく明るくて、元気な人だったら、それをコピーしてくる部分っていうのも当然ありまして。
これは、けっこうポジティブに人生に作用するので、全然問題ないよっていうことになるんでですけども。
ネガティブな感情を、親を助けたくて、親のことを愛してるから引き受けるっていうことになると、やっぱりそれは「なんとかしなきゃいけないな、なんとかしたいな」っていう思いに変わるわけですね。
で、そこでどういうことが起こるか?どういうふうになっていくか?っていうと、ここでのポイントっていうのが、「感情を返す」っていう表現をします。
「親に感情を返す」
どういうこと!?みたいな。
コピーをしてきて、自分で引き受けた感情を親に返す。
そんなことできるの!?っていうふうに思われるかもしれませんけども。
これは、いろいろ象徴的な表現ではあるんですけども。
たとえば、今のお話の流れで言えば、「この罪悪感って、自分のものじゃないと思ってください」と。
「これは私のものじゃない」と。
「この罪悪感っていうのは私のものじゃなくて、親からもらったものなんだ」っていうふうに、まずは思ってみてくださいと。
そして、イメージの力を使って親に返すっていうことをやってもいいですし、「これは自分のものじゃないから、親に返せばいいんだよ」っていうふうに、ただそういう意識を持つだけでも構いません。
かたちを整えようと思ったら、神社に行ってやってみてもいいですし。
「これは自分の感情じゃないんだぞ」っていう認識から、親に返すっていうことを意識すればいいわけですね。
「え、でもそんなことをしたら、親の負担が増えませんか?」っていうことになるんですけども。
それは「自分軸」っていう立場からすれば、「親のもんだから、親が自分で処理するべきだし、処理できるから抱えてるんだよ」っていう信頼から、「大丈夫だよ」っていうことは言えたりします。
そうやって、「これは私のものではないんだ」と、「自分のものではないから、親に返しても大丈夫なんだ」っていうふうな意識。
これは、子供の頃から抱えてる罪悪感なのに、こういうふうに思うことで、フっとなんか憑き物が落ちたような感覚っていうのを得られる人もいますし、なんか今までのパターンが急に変わるみたいなこともあるので、僕たちの心の世界っていうのはすごく不思議だなと思うんですが。
そういうふうにして、感情を親からコピーしてきたなと思ったら、それは親に返しましょうっていう意識を持つことで、こういった親からコピーしてきた感情っていうのも処理していけるんですよっていうことなんですね。
もちろん、これは今親子関係でずっとお話をしてきましたけども、パートナー同士でも当然ながら起こることでございまして。
パートナーが、たとえばなんかの感情で苦しんでるとすると、自分はそれを「助けたい」って思った分だけ、「その感情を引き受ける」っていうことになります。
ところが、引き受けた感情っていうのを自分の中で処理すればいいんですけども、それが自分のパターンとして根付いてしまうと、仮にその人と別れた後にも、そのパターンが残るっていうこともよくあります。
これが、恋人同士でもないことはないんですけど、やはり夫婦ぐらいになってくるとけっこうよくあって。
「それって旦那さんの感情じゃね?」みたいな。
そういうところまで掘り下げていくと、見えてくることがよくあったりします。
この部分って、親子関係でもパートナーシップでも、表面的な部分っていうよりは、けっこう根の深いというか、心の深いところなので、ちょっと意識っていうことを変えていく。
そこまで掘り下げていかないと気づけないですし、なかなか納得もしづらいという、不思議な心の世界の話なんですけども。
そうやって、「愛する人から辛い気持ちを自分が引き受けてでも助けたい」っていう、そういう「愛の人なんだ」っていうこと。
これだけは、今日は覚えていただければなと思っております。
最後までありがとうございました。
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