「相手を喜ばせてあげたい」という気持ちは「与える」なのか?「自己中・自己満」なのか?

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字お越ししているものです。

「「相手を喜ばせてあげたい」という気持ちは「与える」なのか?「自己中・自己満」なのか?」

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どうもこんにちは。カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで今日も寒い日が続いておりますけど、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

昨日に引き続きですね、「これはどっち」シリーズみたいな感じで、まぁたまたまなんですけどね。

そういうネタを頂きましたので、今日はそんな話をしていきたいと思います。

最後までよかったらお聞きください。

ということで、今日のですね、テーマは「これって与えてることになるの?それとも自己中なの?自己満なの?」みたいなテーマでございます。

けっこうこれもね、難しいと言うか、こだわり始めるとどっちかわかんなくなっちゃうっていうテーマでございます。

頂いたネタというのは、例えば「彼氏にこんなことしてあげたいなあ」と思ってるとか、「誰かの役に立ちたいなー」とかね、「こういうことやああいうことしてあげたい」って思うようになったと。

で、それ自体ってめちゃくちゃ素晴らしいことで、全然問題はないように見えるんですけども、ただこの気持ちっていうのが果たして本当に与えたいから与えるって事になるのか?それとも単に自分を満たしたいだけのね、自己中・自己満足的なものなのか?どっちなんだろう?って悩む。

大変哲学的なテーマでございます。

この話もですね、ちゃんとしようとするとけっこう膨大な量になりそうで、一つの講座になりそうなぐらいのテーマなんですよね。

なので90分・120分ぐらいのですね、ボリュームがあるような内容なんですけど、今日は10分にぎゅっとまとめてお話ししたいなと思うんですが。

まずですね、“与える”ってどういうことかっていうと、もちろご存知の方も多いと思いますけど、細かく定義すると

“自分が相手が喜ぶことをしてあげる。してあげて、それ自体に喜びを感じてる”

っていう事を与えるっていうふうに言います。

だから、相手の反応に関わらずですね、相手を喜ばせてあげたくてしてあげてること自体に喜びを感じてるっていう事が与えるって言う事になるんですね。

ところがですね、これがですね、場合によっては親切の押し売りみたいなってしまったりとか、自分を満足する・自己満足のためにやってしまうなんていうところがあって、

ゆえにですね、このバランスというか、どっちなのって迷うところなんですけども、結論から言うと、善意っていうかね、「相手のことを自分なりに思ってやってるんだったらもうそれは与えるでいいじゃん」みたいなふうに解釈するのがいいかなと。

非常に曖昧なんですよ。

厳密にいうとね、本当にややこしなっちゃうんですけども、与えるって言うこと自体っていうのは「本当に相手を喜ばせてあげたいな」っていう気持ちから出てくるから、それはやっぱり“愛”なんですよね。

ところが、何でそこに迷いが生じるかって言うと、例えば相手に受け取ってもらえる・喜んでもらいたいっていう気持ちで、それはいいんだけども、それによって自分のことを好きになってほしいとか、これ取引って言うんですけどね。

「これあげるからあれしてね」っていう取引だったりとか、あるいは、「本当はしたくないんだけど嫌われたくないからするんだ」みたいな犠牲的なことであったりとか、

それから「これしてあげたらきっと喜んでくれるはず」っていうことを期待が大きくなっちゃうとですね、相手も喜んでくれなかった時になんであんたのためにしてやったのにどういうことよみたいな感じで不満を抱くっていうことになるわけです。

これは与えてるではない。期待っていうことになっちゃうんですけども。

要するにですね、そうやって与えたいという気持ちもそうなんですけど、欲っていうか欲求の強さっていうとこがけっこうポイントになってきて、だからこそ、自分を満たしたいとか、自分もたとえばええかっこしたいとか、よく思われたいっていう気持ちが強ければ、やっぱりそれは与えるっていうふうには言えないんじゃないかなと思うんですね。

ただ単純にいわゆる見返りを求めないとか、無償の愛とかっていうふうにいますけど、それに近い100%無償の愛なんて言うのを目指すととんでもないしんどいことになるので、自分が出来る範囲ですよ、意識出来る範囲で、相手を喜ばしてあげたいなと思ってしてあげる。

「こうしてあげたら喜ぶんじゃないかなと思ってしてあげる」っていうことであれば、それは与えるって言うふうに解釈して全然オッケーかなっていうふうに思います。

まぁ実際のところはですね、その中には喜んで欲しいなーって、喜んでくれなかったら悲しいなぁっていう自分のエゴだったりとか、こういうことをしてあげたらきっと相手の人は喜んでくれると思うんだけども、でもそれで嫌われちゃったらどうしようかなーなんていう不安とか、

きっとこの人はこういうふうにしたら喜ぶに決まってるって言うような計算とか、読みとかみたいなもの、思考的なもんだったりとか、そういった様々なね、やっぱり思いっていうのが交錯すると思うんですよ。

もし嫌われたらどうしようっていう恐れとかあったらなかなかできないですよね。

なので、与えるっていう事にしても、すごく大事になってくるのが“自分軸”っていうことになるんですね。

「私はしてあげたいんだ」と。「良かれと思ってしてあげる」っていうことであれば、仮に相手の気分を害するようなことをしてしまったとしても、「まぁしゃーないよね。それはもう許してあげようぜ」っていう話になるんですよ。

だからで「与えてあげたいな・喜ばしてあげたいな・気分よくさせたいな・笑顔にしてあげたいな」っていう気持ちでしてあげることっていうのは、押し付けにはならないかなと思うんです。

もしそれが心配だったらコミュニケーションしましょう。

「こういうことしてあげたいんだけど、どう?必要?」みたいな感じでね。

サプライズでね、なにも知らせずにちょうどいいところ、まぁかゆいところに手が届くような感じで、スーッと差し上げられる・与えられるっていう人は本当に素晴らしいんですけど、みんながみんなそれを目指しちゃうとやっぱりしんどいし、それをやるためにもですね、やっぱりトライ&エラーが大事かなと。

失敗しながらね、うまくいかないこともあって、「あーこれ駄目だったな。次こうしてみようかな」「あ、これもちょっとイマイチだな。反応がない。どうしてあげようかな」っていうような感じでですね、捉えられたらすごくいいんじゃないかなっていうふうに思います。

そもそもですね、与えるって言うのは“成熟性”であったりとか、すごく必要な成熟していくと出てくるものなんですけども、自己肯定感というのがやっぱりすごく大事で、自己肯定感が低い時っていうのは「不安」や「恐れ」が強いです。

どう思われるか気になりますよね。失敗したらどうしようって考えすぎますよね。

自分なんて価値がないんだから、自分がしてあげても意味がないよなんて考えちゃいますよね。

それってやっぱ無価値感が強い証拠で、それをひっくり返してみるとね、自己肯定感が上がっていくと、与えたい気持ちになっていきます。

この与えるっていうことを、昔から様々な偉人たちが「とにかく与えなさい」って言い続けてますけども、心理学的にというか僕がやっぱり考えるのは、「まず自分に与えてますか?」と。

“自己充足”ってよく言いますけども、自分に与えて初めて人に与えることができるんじゃないかなと。

「自分を愛せない人は人を愛せない」っていう表現もあるようにまず自分に与えてあげる。自分に与えるって事ができて初めて人にも与えるってことが出来るんじゃないかな。

つまり自分を笑顔にしてあげられる人っていうのが与え上手になっていけるんじゃないかなっていうふうに思うんですね。

なので、“自己肯定感あげていく・自分軸でいられるようにする・自己充足をしていく”。

でもそうするとですね、だんだんだんだん自分が満たされてくるので、誰かに与えたくなったりとか、誰かの役に立つっていうことは喜びになったりとか、あるいはそういうのは色々な視野が広がるのでいろいろ気づいてくるよなるんですよね。

いっぱいいっぱいの時ってどうしても自分を見ちゃうじゃないですか。

で、そういう時はしょうがないんですけども、そうじゃなくて余裕ができてくるわけです。

自己肯定感があがってくるとね。そうすると視野が広がって、「あぁあそこに困ってる人がいるなあ」とか、「あの友達を喜ばしてあげたいな」とか、「こんなことしたら彼は喜ぶんじゃないかな」っていうの発想っていうのがどんどんできてくるんですね。

なので自己肯定感をあげるっていうのはやっぱりすごい大事なことだし、それだけ自分のことを認めてあげる。自分と喧嘩するのやめるって事なんですよ。自己肯定感ってね。

だから自分と仲直りしていくようなことができると、どんどんどんどん与えるっていうことに意識が向いてくるし、与え上手にもなっていけるのかなと。

与えてるとき、与えるときのポイントってやっぱり相手を見ないとわかんないでしょ。相手が何を喜ぶかって相手が情報を持っているわけですから、相手を見て、そして自分の手数・手札を見るわけですよ。

「こういうことしてあげたいな」と。それは自分のできる範囲のことですよね。で、こういうことしてあげたら喜ぶんじゃないかなと思ったら、してあげると。

よくですね、私はクライアントさんとかセミナーとかでも、“与える実習”っていうのを普段から意識してみるといいよってお話をしていて。

例えば、電車乗ってる時とか、お茶してる時とか職場でもいいんですけども、道行く人でもいいんですけども、誰か一人をパッと決めてですね、

「あ、この人どうしてあげたら喜ぶのかな?ちょっと疲れてそうだな。マッサージでもしてあげようかな」とか、「何か色々溜まってそうだから話し聞いてあげたら喜ぶかな」とか、「なんかお腹すいてんのかな?甘いものでもどうぞ」みたいな。

実際にやらなくていいですよ。実際にやらなくていいんだけども、そうやって「この人をどうやって喜ばしてあげようかな。どうしたらこの人が笑顔になってくれるかな」っていうことを意識してるだけでも、“与える実習”となりますし、この与えるっていうことができると、“愛”とつながる方法なので、どんどんね、やっぱり胸があたたかくなる。ハートがあたたかくなってくるんですよね。

そうすると、自分も気分は良いですし、その気分をどんどんまた人に与えていきたくなるので、ここで繋がりも生まれるし、様々な変化が起きるんじゃないかなと思っております。

ということで、最後まで聞いていただきましてありがとうございました。

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