常に最悪の状況を想定することが癖になって幸せな未来が描けなくなってしまった件。

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。

この話の元記事はこちら!
「常に最悪のことを想定してしまうので幸せな未来が全然描けなくなってしまった~自己肯定感の低さと罪悪感~」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで、だいぶ涼しくなってきた大阪でございますけども。

皆さまいかがお過ごしでしょうか。

今日は、「常に最悪なことを想定してしまう癖があるんだけど」という話について、お話したいと思いますので、よかったら最後までお聞きください。

そして、チャンネル登録・フォローも、よかったらよろしくお願いします。

この「常に最悪な状況を想定して動く」っていうのは、よくビジネスの上では大切っていうふうにされてますけども。

これを、人間関係とか、パートナーシップとか、仕事っていうところであっても、けっこう問題になりやすいというか、「最悪なことを想定しすぎて、良い未来が描けない」なんていう問題になったりしませんか?

というところなんですよ。

で、これはビジネスにおいて、そういうのがなんで大事か?っていうと、もちろん経営をするためなんですけど、「客観的な視線」で見ることが大事なんですね。

最悪な状況を想定する。

「こういうこともある、こういうリスクもある、ああいうリスクもある」ということを考えて、先に手を打っておくっていうことは、経営者としてもすごく大事なことだと思うんですけども。

これって、けっこう冷静というか、客観的というか、理論的・論理的と言いますか、そういうかたちで行われるものだと思うわけですね。

ところが、彼との未来みたいなことを考えると、そこはだいぶ「感情」が入ってきてしまいませんか?っていうところで、問題になるわけです。

で、これはけっこう子供の頃から、なんか辛いことがあったり、嫌なことがあった時に、最悪の状態を想定しておくと、そうじゃなかった時に「あぁ良かった」って思えるっていうことね。

これはけっこうやってる人多いかなと思います。

僕もそういうふうにしちゃうこと、することだって、ないことはないです。

これは、最悪の状況を想定していることによって、「それよりはまだマシ」っていう、「マシだよね」っていう状態で、心の準備をしておくし、現実はそこまで悪くならなかったっていうところで、ホッとできるしっていうふうになるんですね。

ところが、これがたまにだったらいいんですけども、継続的に起きてしまうと、けっこう辛いですよねっていうね。

で、こういう話って、やっぱりカウンセリングとかでもちょいちょい出てきてて。

最悪の状況って、いっぱい考えられるわけじゃないですか。

しかも、それがパートナーシップとか、人間関係とかだったりすると、ものすごく無限にあると言ってもいいぐらい、想定できることっていうのはね。

で、一つ一つについても、いろいろ考えてしまうし、そこに「感情」っていうのが入ってきて、不安になったりとか、怖くなったりとか、すごく焦ってきたりとか、緊張してきたりとか、あるいは「どうせダメだよね」みたいな無価値感が出てきたりとか。

いろんな、劣等感も含めて、いろんなネガティブな感情が出てきて、今度はその感情に飲み込まれてしまって、「うわぁ・・・それは現実的になったらどないしよう・・・」みたいなふうに、ますます悪い方に考えていくみたいな。

っていう、妄想っちゃ妄想なんですけども、癖っちゃ癖でね。

だから、どっちかっていうと、「リスク回避の方法」としてやっているというよりは、むしろ「自分をネガティブな気持ちにするため」とか、「自分をいじめるため」にやっているというか。

たしかに、防衛的な要素としてやっている分にはまだいいのかもしれないんですけども、そこに感情が入ってくるとちょっと大変だし、そういうことが癖になると、ポジティブな未来ってやっぱり描けないんですよね。

たとえば、ネガティブなそういう最悪な状況っていうのを、10個・20個と想定している時に、1個だけポジティブな未来みたいなのがもし描けたとしても、数の論理で負けちゃうわけですよ。

感情的にも、我々ってネガティブな感情の方が、ポジティブな感情よりも強いですから、そっちにどうしても引っ張られていくってことがありますよね。

ってことになると、やっぱり最悪な状況を想定すると、そこに捕らわれてしまうし、引き寄せの法則なんてのも起きちゃうしっていうところがあって。

そこで、無理やりポジティブな未来を描けばいいか?っていうと、必ずしもそうではないわけですよ。

ネガティブなことを想像しているにも関わらず、「そうじゃいけない、いけない」って言って、ポジティブなものを描こう描こうとすると、ネガティブな上にポジティブを乗っけて、結局ネガティブに引っ張られていくというか、足を引っ張られるっていうことになっちゃうわけですから、まぁそれはちょっと違うというか、しんどいよねっていうふうになると思うんですよね。

これは、周りの影響とか、親がそうだったとかっていうことも、かなり影響していくんですけども。

やはり、「自分自身の問題」ということに置き換えると、一つは「罪悪感」っていう感情ね。

「自分は幸せになっちゃいけない」っていう感情。

二つ目は、やはり「自信のなさ」っていうのの影響っていうふうに見て取れるのかなと思います。

「自信がない」っていうことですね。

だから、そこに自信が持てないので、どうしてもネガティブにネガティブに物事を見てしまう、考えてしまうっていうことが癖になるっていうこと。

「どうせダメなんだろうなぁ」とか、「前もダメだったしなぁ」とか、「一生懸命やってたのに報われんしなぁ」とか。

「最初はいいんだけど、結局うまくいかなくなるよね」みたいな、けっこう過去に引っ張られるっていうことも多いんですよね。

過去のデータに引っ張られるみたいなね。

で、けっこう「過去は過去として線引きしたいよね」っていうのが、手放しっていうことになるんですけれども。

過去を手放すっていうこと以前に、やっぱり自分自身が自分っていうものに対して、ネガティブになってしまうというか、否定的な見方をしているもんですから、「こんな自分が幸せになれるわけがねぇ」みたいなふうな思い込みを、知らんうちに持っていることってたくさんあるんですよ。

だから、たとえばあるお客さんに、「“幸せになってもいいよ”って、自分に言ってあげてください」みたいな、そんなシンプルな実習をしたりとかするんですけども。

「幸せになっていい」って言ってみたと。

「おぉ」みたいな、「そんな言葉は自分の中になかったぜ」みたいなふうに感じられる方も、実際いらっしゃるわけですよ。

だから、そういう意味では、自分自身のそういった自己肯定感の低さっていうところにつながるんですけども。

未来だけじゃなくて、今の自分の良いところ・ポジティブな部分をたくさん見てあげようよって。

「頑張ってんじゃん、一生懸命やってんじゃん」っていう、そういうところっていうのも、ぜひ注目していただきたいなっていうのがまず一つありますし。

それから、やっぱり罪悪感っていうのは、「自分が幸せになっちゃいけない」っていうふうな思いを作る感情で。

今日のネタ元さんも、お父さんに対して強い罪悪感があって、それがどれくらい残ってるかは文面からはちょっとわからなかったんですけども。

お父さんに罪悪感を持っているっていうことは、やっぱりパートナーシップとか、仕事上に影響が出やすいですし、その罪悪感からハードワークをしたりとか、抱え込み症候群が起きたりとか。

パートナーシップでいえば、親密感の怖れが出てきたりとかっていう、さまざまなところで波及するから、やっぱりそこは向き合っておきたいよねっていうふうに思うんですよ。

よくあるのは、お父さんに対して強い罪悪感を持っていると、恋愛で付き合う彼氏に対しても罪悪感を持ちやすくなって、どんどんどんどん雪だるま式に膨らんでいったりもしますから。

だから、このネガティブな、幸せじゃない未来ばっかり考えてしまうとかっていう場合には、この「罪悪感」っていう感情に注目するっていうことは、すごく大事なことだと思います。

要は、「自分を許していきましょうね」とか。

「自分をもっと愛してあげようね」っていうところなんですよ。

だから、簡単に言えば「お父さんごめんなさい」って言ってみる。

本人じゃなくていいです。

自分の中でつぶやいてみる。

「お父さんごめんなさい、お父さんごめんなさい」って言ってみる。

「お父さんのこと、本当大好きだった。お父さんのことを本当は仲良くしたかった。そういうお父さんのこと、大好きだった。お父さんのことが大好き」みたいな、ぶつぶつぶつぶつ言ってみたりとか。

「お父さんに会えなくて寂しかった」とか、そういう「寂しい」っていう感情もけっこう重要なので、そういう言葉をぶつぶつ言ってみたりとかっていうふうにしてみると、一つ罪悪感っていうところを解消することもできますし。

あと、手はいっぱいありますよ。

それから、逆にお父さんに罪悪感があるんだったら、お父さんからの「愛を受け取る」っていうことも、見逃してることが多いですから、「お父さんに愛された証拠っていうのを探してみる」みたいな感じで、罪悪感っていうものを癒していく。

もういろんな層があります。

いろんな段階があります。

ただ、そうやってネガティブな、不幸な未来は描けるんだけど、明るい未来が描けないっていうのは、やはりポイントとしては、どっかでそういった罪悪感とか、それから自己肯定感っていうところも大事だし、もう一つ、やっぱり「お気楽さ」というか、「アホさ」というか、「おバカさ」みたいなのも大事なんですよ。

ちょっと頭の線を2,3本抜くみたいなね。

だから、そういうふうな、それにもやっぱり罪悪感ってけっこう重要なポイントを示すので、ちょっと思い当たる方がいらっしゃいましたら、自分の中の「罪悪感」とか、それから「自己肯定感」っていうところを、改めて見つめ直してみてはいかがでしょうか?というお話でございました。


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