親を許すためには大人目線が必要だ。

このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。

この話の元記事はこちら!
「10年ほど前に病死した母親への感情と父親への感情について~子ども目線から大人目線への変遷~」

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どうもこんにちは。

カウンセラーの根本でございます。

いつもお聞きくださいましてありがとうございます。

ということで、今日は東京のセミナールームの方にやってまいりました。

東京の方があたたかいですね。

大阪はけっこう寒かったんですけども、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

ということで、今日は「許し」っていうお話をさせていただきたいなと思います。

とくに「親を許す」っていうテーマでお届けしたいと思います。

よかったら最後までお聞きください。

そして、フォローとかチャンネル登録もぜひよろしくお願いします。

カウンセリングというか、セラピーというか、自分の今の問題、人間関係とか、仕事とか、お金とか、もちろんパートナーシップも含まれますけども、そういった問題を解決していくっていう時に、カウンセリング的な見方をすると、子供時代の親子関係っていうのはけっこう影響しているんじゃないかなんていうふうな見方をしていくことが多いんですね。

で、そこでたとえば母親を許せないとか、父親に対して恨みつらみがあるとか、そういったところがもしかしたら今の問題に直結しているかもしれないよねっていう視点でお話を進めていきます。

そうすると、親を手放そうとか、許そうとかっていうような話になったりするんですけども。

これがなかなか難しいよっていうところで、今日はブログの方にそのネタを書かせていただきまして、よかったらそちらもチェックしてみてください。

で、ひとえに親を許したいっていうような思いになる。

たとえば僕のブログとかとかを読んでいただいて、Voicyとかyoutubeを聞いていただいて、「親を許した方がいいのかな」とか「親とちゃんと向き合った方がいいんだろうな」っていうふうに感じられてる方もいらっしゃると思うんですけども。

この「親を許す」っていうのは、じゃあ恨みつみがあるのかとか、罪悪感があるのかっていう話でいくと、自覚がない場合っていうのもけっこうありまして。

自分の中ではもう過去のこと、もう親元を離れて長いし、もう今更そんな影響を受けてねぇよみたいなふうに思いたかったりとかするんですけども、三つ子の魂百までと言いますか、自分の幼い頃の親との関係っていうのが、人間関係のいわゆるベースになっていくので、そうすると自分としてはもう関係ないよとか、あるいは今仲良しだよねって、昔はけっこういろいろあったけど今は仲良くできてるからもういいんじゃない?っていうふうに思うかもしれませんけど、でもそこでいろいろと引っかかりっていうものが出てきてしまうということもよくあるわけでございます。

じゃあどうやって親を許していけばいいのか?っていうところで、今日は「視点・目線」っていうお話をお届けしたいなと思います。

当たり前のことなんですけども、親に対してやっぱり僕らっていうのは子供目線で見てるっていうことが多いんですね。

子供時代、当たり前なんですけども、大人になってもどこか親っていう存在っていうものを見上げてるというか、要は「子供の目線で親を見ている」っていうような状態になってることが多いんですね。

で、とくに親となにかいざこざがあったとか、うちもそうなんですけども、途中でって言い方はあれですけども、子供時代に親を亡くしてるっていうような場合には、そこでなんか時計が止まってしまってるような感覚っていうのを心の中に持っていることっていうのがあります。

で、そうするとたとえばお仕事の問題、お金の問題、パートナーシップの問題等でうまくいかないことがあった時に、やっぱりその原型を作ってる親との関係を見つめ直していった方がいいよねっていうふうに我々は考えるわけですね。

で、どうしてもやっぱりその時に親っていうものを子供からの目線っていうところで見てしまっていると、やっぱり不満とか、文句とか、愚痴とか、「あれをしてくれなかった。これをしてもらえなかった」とか、「こんなことを言われて、あんなことを言われた」っていう、いわゆる受け身言葉、依存心、他人軸っていうような状態で親を見てしまうっていうことがあるんですね。

一方で、僕たちはけっこう賢い部分ていうのがあるので、頭で考えれば「あの時のお母さんの態度はしょうがない」とか、「お父さんなりに家族のことを思ってやってくれたんだろうな」っていうふうに、理屈では理解できるっていうこともよく耳にしますし、実際によくあると思います。

でもなんか心がついてきてない。

心はそれに伴っていないっていう問題って、そこにやっぱりありまして。

自分の心としてはまだ親を求めてる、あるいは「親にこうしてもらいたかった、ああしてもらいたかった」っていう不満が溜まってる。

あるいは怒りとか、あるいは親に対して「もっとこうだったらいいのに」っていう、理想の親を求めてる自分っていうのがいるんですね。

で、当然これは子供として親に見てる部分ですから、仮に自分はもう十分大人な年齢になっていたとしても、社会の中では大人として振る舞っていても、あるいは「〇〇くんって大人だよね」みたいなふうに見られていたとしても、親に対してはやっぱり子供として見上げるような、親というふうな存在を意識してしまってるってことが多いわけですね。

だからよくブログとかでも、「親と対等な関係を目指しましょう」っていうふうに言うわけですね。

これがけっこう難しいというか、意識っていうのを変えるのがけっこう難解で。

とくに怒りとか、そういうニーズ、不満とかっていうのをたくさん抱えてる場合には、やっぱりそれを「いや、だってなんで自分が大人にならなきゃいけないんですか」みたいな感じになってしまうっていうこともよくあるわけですね。

でもそうしているといろんなところの問題が出てくるから、頭でも理解できてるんだし、いよいよ心の方も満たしてあげようよっていうことになっていきます。

具体的には、「親が与えてくれなかったものっていうのは、もともと持ってなかったものだからしゃあないよね」っていうふうな見方をすると同時に、結局親からもらってたものでももらってないものでも、大人になるということは自己充足、「自分でそれを満たしていく」っていうことをはじめる必要があるんですね。

じゃないと、よくこれも話に出てきますけども、親の代わりに恋人にその親役をやらせてしまったりとか、逆に親からもらえなかったものをずっと探して、パートナーも見つからない孤独になってしまうというような問題っていうところも、ここら辺の影響が出てくると思ってるんですね。

なので、やっぱりそこで重要なことっていうのは、「親からの愛を受け取るだとか親を愛するだとかっていうことを、子供目線じゃなくて大人目線でできるようになりたいよね」っていうのが今日のテーマでございます。

大人として改めてお父さん・お母さんっていうのを見つめ直してみる。

要するに、家に帰ると、実家に帰るといるおっちゃんおばちゃんとして、2人を客観的に見る、俯瞰してみるっていう意識っていうことを持ってみようとするわけですね。

で、そうすることによって、親のことを「1人の人間」としてちゃんと認識してあげることができます。

これが人間のいわゆる成長として、心の成長としてものすごく重要なとこでございまして。

親孝行するだとか、親の介護がとかっていう問題につながるとかではなく、やはり自分自身が大人になって、親と対等な目線っていうところを手に入れることによって、子供自体には見えなかった親の側面っていうのがやっぱり見えてくるんですよ。

たとえばお母さんが不満とか愚痴とかを子供にバーって言ってて、自分はそれをずっと聞いてましたと。

で、一生懸命お母さんを励ましてきたとか、元気づけてきたけど、全然お母さんは元気にならなかったと。

で、それはやっぱりすごく自分にとって無力感になってるし、「なんでお母さんもっと元気にならないんだよ。笑わないんだよ」と思って不満に思ってましたと。

ところが、大人になってそのお母さんを冷静に見てみれば、いろんな事情がわかってきた。

たとえばお父さんと結婚する時に全く見知らぬ土地にやってきて、お姑さんもいろいろあって、それで慣れない土地で必死こいて、子供も早くできて若いうちに結婚したし、結局1人でずっと戦ってきたんだよね。

頑張ってたんだよね。

だから、愚痴を言う相手すらいなくて、娘である自分、息子である自分にそういうことを話してきたのか。

まぁそう考えればわからんでもないか、みたいな目線ですね。

この「わからんでもないか」っていうような、「まぁまぁまぁ、そういうこともあり得るか」みたいな。

「理解」ってこれは言います。

「感情的理解」って呼んでるんですけども、そういうふうにすると、親に対する意識っていうのは変わります。

「お父ちゃん仕事ばっかりで、家に全然帰ってけえへん」と、もう本当に遊び歩いてたように見えたと。

その間お母ちゃんはワンオペで、僕たち子供たちを育ててくれてすごい大変だったのに、お父ちゃんはひどい!って思ってましたと。

ところが自分が大人になって、社会人になって周りの人を見たら、けっこうやっぱり仕事を頑張ってやってたと。

「よう考えたらうちのお父ちゃん、けっこう給料稼いできたな」とか、「遊んでると思ってたけど、会社の付き合いがいろいろあったんだな」とか、「家に帰って来たくても帰ってこれないような状況があったんだな」、「お父ちゃんなりに愛してくれてたんだな」っていうことがわかると。

そうするとやっぱり意識って変わっていきますよね。

だから、そういった1人の大人の部分って自分たち持ってるわけですから、それを持って今の両親っていうのを見直すことによって、やっぱりその意識とか気づきとかっていうのが得られて変わっていく。

そしたら親を許しやすくなるんじゃないでしょうかっていうのが、今日のお話でございました。

ということで、最後まで聞いていただきましてありがとうございました。

根本でした。

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