自立すればするほどアンダーグラウンドが必要になる理由
このnoteは下のブログを元にvoicy / youtubeでお話しした内容を文字起こししているものです。
この話の元記事はこちら!
「応用心理学講座「自立すればするほどアンダーグラウンドが必要となる理由~なぜ、経営者はお姉ちゃんのいる店に行くのか?~」」
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どうもこんにちは。
カウンセラーの根本でございます。
いつもお聞きくださいましてありがとうございます。
ということで、今日2本目の収録でございますけども。
この前に撮りました、「夫もいるけど彼氏がいる問題」と、ちょっと系統は似たお話なんですけども。
再び「自立」っていうお話について、紹介していきたいと思います。
よかったら最後までお聞きください。
そして、チャンネル登録とかフォローとかも、よかったらよろしくお願いします。
今日のお話は、「アンダーグラウンド」っていうところのテーマでお届けしたいなと思います。
こちらも、ブログとかYoutube・Voicyの方でも何度かお話をしていますけども、講座形式でちょっとまとめていこうかなというところで、改めて記事を書かせてもらいました。
アンダーグランドっていうのは、よく「アングラアングラ」って言われますけども。
ちょっと僕が、ある心の状態っていうものを表すために作った言葉でして。
一般的な、アンダーグラウンドという意味とは、似てるようでちょっと違うようで、でもまぁ似てるかなっていうようなニュアンスで、いつも使っております。
で、鍵となるのが「自立」っていうもので、「自立しすぎるほどに、アンダーグラウンドが必要となってくる」っていうお話でございます。
となると、まず自立っていうお話を最初にしていきたいんですけども。
「依存」時代があって、「自立」っていうステージに入っていって、そのあと「相互依存」っていうステージに、僕たちのマインドっていうのは移行していくっていうふうに言われる。
そういう見方があるんですけども。
その中での自立っていうのは、いわゆる「1人で頑張る」っていう状態なんですね。
依存時代に傷ついた分だけ、自立は強くなります。
で、その自立は強くなるっていう過程で、なにが起こるか?っていうと、依存時代っていうのはいっぱい感情を感じるんですね。
辛いとか、寂しいとか、もちろん嬉しい、楽しみも感じるけれども、やっぱりそういった苦しいようなネガティブな感情っていうのを、いっぱい味わう時代ではあるんですね。
で、そうやって辛い気持ちとか、苦しい気持ちっていうのを感じるのは嫌だから、僕たちはそこでその感情を切って、心理学的に言うと「抑圧」っていうことをして、自立していくわけですね。
依存時代というのは、誰かに頼ろうとする、誰かに依存しようとするっていう態度なんですけど、それでうまくいかなかったので、「自立して1人でうまくやろう」っていうのが、そもそもの発想・根拠ということになっていくんです。
で、その自立も、どんどんどんどん強まっていくと、感情を次々に抑圧して、感じないようになり、そして思考的、頭でどんどん考える。
まるでロボットのような感じで、感情を消していこうとするわけですね。
もちろん、そんなことしても感情を麻痺させる、感じないようにする、感じないふりをすることっていうのはできるんですけども、感情をなくすっていうことは難しいんですね。
そうすると、僕たちのそのマインド・心の中の状態っていうのは、非常にこの思考的で、いわばロボットのようなと言いますか、論理的と言いますか、システマティックなルールに縛られた頑固な、そういう状態のパーソナリティになっていく一方で、その心の中には、抑圧された感情がどんどんどんどん溜まっていくっていう状態になっていくんですね。
それで、「感情はうんこと一緒」っていうふうによく言います。
うんこね。
なので、便秘って苦しいじゃないですか。
で、自然現象として、うんこってやっぱり出たくなるわけです。
だいたい出たくないタイミングで出ちゃうこともあるわけですけど。
そうすると、思考的になって感情を抑圧していって、こっちは理性的に振る舞っている一方で、その抑圧して溜まってる感情を処理するための方法っていうか、場所が必要になってくるんですね。
ところが、表のいわゆる思考的な自立的な自分っていうのは、感情を麻痺させて、いわばシステマティックに動いているわけですから、そこには感情を出していく場っていうのはないわけです。
そこで、その普段のいわゆる表の生活、普段の生活とはちょっと違う場所を作って、そこで感情を処理しようっていう動きっていうのが出てくるんですね。
で、当然ながら、それは「表の普段の生活から離れた場所」っていうことで、「アンダーグラウンド」っていうふうな呼び方を僕はするようになったんですが。
そうすると、どういう場所なのか?っていうと、たとえば会社員だったりとか、ビジネスマンであったりすると、お仕事の場っていうのは、「表の自分」っていうのがけっこう出てるわけですね。
で、そうすると、そこには「アンダーグラウンド」が入らない。
じゃあ、どこに出てくるか?っていうと、お姉ちゃんがいるお店だったりとか、競艇場とか競馬場だったり、パチンコ屋さんだったりとか、あるいは飲み屋さんだったりとか。
あるいは、なんかショッピングモールだったりとか、あるいは飯の方に依存するっていうこともあったりとか。
あるいは、この辺はちょっと事件になってくるんですけども、DVであったりとか、そういった感情的・精神的なDVを、家族に対してやってしまったりみたいなところで、補うというか、満たすというか、バランスを取り合うっていうのが、正式なところなんですね。
つまり、自立して感情を抑圧して感じないようにして、どんどんどんどん思考的になっていく。
ところが、その間にどんどん別のネガティブな感情も溜まっていくから、それを処理する場として、そういったアンダーグラウンド的な場所が必要になってくるんですよっていうことが言えるわけです。
だから、普段真面目できちんとしたお父さんが、実は酒を飲むと大暴れしているっていう場合もありますし。
経営者としてバリバリバリバリ仕事をして、めっちゃ稼いでる人が、実は風俗通いとか、女の子を何人も抱えてるみたいな状態だったりとか。
そんな人がお金を使いすぎちゃうとか、ギャンブルにお金を使いすぎちゃうみたいなところで、バランスを取っていくわけですね。
そういったものは、今ちょっと男性基準にお話をしましたけど、女性でももちろんやっぱり少なからずあって。
ただ、女性の方がもともと感情が豊かなので、なかなかそこまで抑圧するっていうことは難しいので、罪悪感だったりとか、孤独感だったりとか、そういった生い立ちから来る感情の強さから、その部分を麻痺させて、アンダーグラウンドに行くみたいなところっていうのがよくあります。
つまり、感情全体を抑圧するのではなくて、とくにきつい感情を抑圧していく。
だから、パッと本当に普通の人に見えるし、別になんの問題もなさそうに見えるんだけども、「実は・・・」みたいな、そういうテーマっていうのもカウンセリングの中では非常によく出てくるわけです。
で、そうやって、表の社会普段の生活の中で、処理できない感情を出すことができない部分、出せない感情を所有するのはアンダーグラウンドなので、やがて僕たちはそのマインドの分離していくわけですね。
で、自立すればするほど、この分離っていうのは激しくなっていくわけです。
で、当然ながら、1人で2人の人生を生きるような感じになりますから、バランスを取るためにそういう行動に出てるんですけども、当然それぞれに矛盾しかないわけですから、メンタルがもうけっこうやられるようになってしまいます。
それで、実に本当に精神的なものにきたりとか、体に症状として出てしまったりとか。
あるいは、全部をシャットダウンする。
もうこの状況の中から全てをシャットダウンして逃げるみたいなね。
でも、「また同じことを繰り返しちゃうんですけど・・・」みたいなことっていうのがよく起こるんですね。
なので、いろんな解決方法がある中でよく提案するのが、自立の問題なので、1人で頑張るっていうのはもう違うよっていうことで、「誰かに助けを求めましょう」と。
たとえば、それはカウンセラーというところが、僕としては手前味噌なんですけどおすすめだよっていうふうにいつもお話をしています。
カウンセリングっていうのは、表の社会・普段の生活から言うと、非日常的なものなんだけど、でもアンダーグラウンド、知られて困る、もちろん恥ずかしいとかあるけど、悪いことしてるわけじゃないですよねっていうことで、ちょうど「表と裏の中間層的な場所」にあるのかなっていうふうに認識をしてるんですね。
なので、カウンセラーに相談して、溜め込んできた、麻痺させてきた感情っていうのを、たとえば吐き出していくとか。
もちろんそこから、才能とかヴィジョンとかを見ていくこともできますけども。
そうやって、表と裏の社会っていうのを統合していく。
1つにまとめていくように、中間的な層、カウンセリングだけではないかもしれませんけども、そういった場を利用して、抑圧して麻痺させた感情を吐き出させていったり、解放していくっていうことをしたりとか。
「女性性」っていうのがもう1つ鍵になるんですね。
自立に対しては、けっこう女性性っていうのがすごく必要になってくるので、受け取るであったりとか、サレンダーするであったりとか。
感情表現っていうところにもつながるんですけども、そういったところをしていって、徐々にそのギャップを減らしていって、自分らしくなる、表裏がない人生にしていきましょうっていう話でした。
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