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ヘドロ

私の心の奥底にはヘドロがある。
善悪も何も関係なく、私が捨ててきたものが堆積してヘドロとなっている。

ありのままの自分でいるのをやめたのは幼稚園児のころ。
当時いじめにあったり、上級生に因縁つけられたりしていた。
自分の気持ちと表情をリンクさせることができなくなったのはそこから。
いじめにあわないように、因縁つけられないように、対処法として、意識して笑顔を作る愛想笑いをして、意識して目だけを動かさずに体から相手のほうを向くようにした。
いじめはなくなり、因縁もつけられなくなり、周りに人が集まるようになった。

だけどそれはありのままの私ではなく、意識して作った私の話。
ありのままの私は、きっと誰にも好かれず、孤独だと思い込んでいた。
だから周りの希望に沿った都合のいい人間であるために努力した。
孤独を恐れたからだ。
子供のころは、学校や幼稚園が世界のすべてのように感じる。だからなおのこと一人ぼっちになることが怖かった。
唯一心を許せた幼馴染は学年が違ったことと、小学2年生の時に我が家が火事で燃えて引っ越したため、交流が少なくなってますますありのままでいられる時間が無くなった。
幼いころのいじめと火事は、ありのままの私を捨てるきっかけとなってしまった。

周りの希望に沿った都合のいい人間であることが考え方の癖になってしまうには幼稚園から高校を卒業するまでの狭い世界にいる時間は長く十分だった。
もはやありのままの自分がそれなのだと思い込むほどだった。だから、なぜストレスで自律神経失調症になったのかわからなかった。
ありのままでいないことが日常の生活を続けていたら、ありのままの自分のことはすっかり忘れてしまっていて、なにを無理しているのかさえ分からず、つい最近まで、いや、今でもありのままの自分が良くわからない。

大人になってから、周りからもっと自信もってと言われることが多くなった。
きっと目標を設定したりそれに向かったりしている自分ではなく、ただそこにいる自分、それがありのままの自分なのだろう。
ただそこにいるだけの自分に自信を持つってことなのだろう。

それがずっとできなかった。

ありのままの自分は、私自身からヘドロの中に追いやられていた。
今サルベージの最中。
少しずつありのままの自分を取り戻す。



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