解放のあとで 十一通目 β

2020年8月26日

えすてるさんへ

先週の書簡、『車輪の下』『知と愛』から見えてくるヘルマン・ヘッセの芸術論ということで、非常に興味深く拝読しました。ロゴス/「精神」とフィシス(自然)/「愛」の対立の中で、双方の融和が得られる芸術品こそが真に崇高であり、この「精神」と「愛」の融和とは、「本来固定化できない無常」を芸術品として残し永遠化すること、「流転する『愛』の世界」を「『精神』の世界に移行させる」こと、ということで、こうした芸術の原動力には「死滅」「無常」に対する恐怖あるいは「人生の無意味さ」に対する挑戦がある、という内容だったかと思いますが、それがどちらかといえば西洋的な考え方ではないか、というえすてるさんの見解も含め大変勉強になりました。ヘッセといえば有名な短編『少年の日の思い出』くらいしかちゃんと読んだことがないのですが、これを機に読んでみようか、と考えております。

さて、私の前回の書簡からちょうど3週間とすこしが経ちましたでしょうか。その前回(αの八通目)は長かった梅雨がようやく明けて大変暑くなりだした頃に書いたものでしたが、今日では夏もある頂点のようなものを踏み越えて、だんだんと秋へと向かい出したような気がします。東京神奈川のあたりでも、暑さは相変わらずですが少しずつ日が短くなっているような気がしますし、昨日まで堀辰雄フィールドワーク旅と称して一泊二日で滞在した軽井沢では避暑地らしい涼しさもあってか、少し気の早いもみじが赤く色づいているのを何か所かで見つけました。宿では堀辰雄の「晩夏」を読んでいたのですが、昼間に一人歩き続けた、林の中の木漏れ日や別荘のある風景に重なって、非常に気持ちの良い読書体験でありました。

では、今回はえすてるさんから、時事的な話よりも個人的な興味関心を、ということを投げかけていただいたので、最近読んだ本から考えたことをいくつか書いていこうかと思います。
軽井沢へ発つ2・3日前あたりに、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(以下『キムジヨン』)を読み終えました。日本語版が発売されたのは2018年の12月、それから2019年のベストセラーとなって、2020年8月のいまでも書店では目立つ棚にいくつもいくつも積まれており、韓国で130万部を突破したのと同様に日本でも大変話題になっている小説ですが、話題になっていることへの逆張りのような気があったのか、これまでどうにも手が伸びずにいたのを友人から強くおすすめされて読んでみました。(この先、内容にもだいぶ踏み込んでいきますのでネタバレ注意と一応記しておきましょう)

『キムジヨン』では、1982年生まれのキム・ジヨンという女性(1982年に韓国で生まれた女性で一番多い名前なのだそう)のこれまでの半生、幼少期、学生時代、社会人、そして結婚・出産といった、彼女のこれまでの人生のいくつかの場面、出来事が順々に語られていくことで、女性がこれまで直面してきた困難や不当・不平等の状況が告発されるような形になっており、やはりそうした内容からフェミニズムについて考えさせられるというのが、まずはじめにあるのですが、『キムジヨン』とフェミニズム、に関する論考は現時点ですでにいくつもあるでしょうし、それよりも今回は個人的に気になったこの『キムジヨン』という作品の構造について、すこしばかり考えていきたいと思います。(そちらもすでに言及されているかもしれませんが)

先ほど、キムジヨンの半生のいくつかの場面が語られていくといいましたが、作品全体としてはただ単にキムジヨンがこれまでの人生における出来事を語っていく、といったものではありません。全6章に分かれているこの作品は、第1章と終章を読めばはっきりとわかるのですが、この作品における語り手は、精神科にかかるようになったキムジヨンの担当医の「私」であり、この医者は作中人物ですから『キムジヨン』は一人称小説なのですが、中心的に描かれていくキムジヨンのことは「キム・ジヨン氏」と三人称で語られていて、つまり第2章から5章までは、キムジヨンが医者に語った話を医者が語っている、という体裁をとっています。『82年生まれ、キム・ジヨン』という簡素な情報が提示された題はまさに医者視点で管理されたキムジヨンという一患者のデータ、ということを表しているのでしょう。また、作中では実際の韓国におけるデータや社会・経済の動きが明示されており、フィクションの小説でありながら、どこまでもノンフィクションらしさが漂っている。つまり現実のデータや情報を基にしながらつくられたノンフィクションらしいフィクションだといえ、だからこそ告発的な小説だということなのでしょうが、その点をふまえた上でも、やはり語り手が第三者かつ男性の医者だということが極めて重要なポイントだったのではないかと思います。というのも、第三者の語りがなければ、キムジヨンの独りよがりな物語になってしまった可能性があるのではないか、とも感じたのです。『キムジヨン』が、キムジヨンではない第三者の、しかも男性側の語り手による語りであることで、また(これは後述しますが)キムジヨン以外の視点をも行き来することで、様々な人物の声が補強され(こういうのをポリフォニーというのでしょうか)、作品としての分析に耐えうる強度、独りよがりではない作品としての信頼性のようなものが出来上がっているのではないか、と思います。

 ここでもう一つ着目したいポイントとして、『キムジヨン』を読んでいくなかで、読者は様々な作中人物の視点を行き来するようになっている、という点を挙げておきます。例えば第一章ではキムジヨンの夫であるチョン・デヒョンから見たキムジヨンについて語られ、そして2章から5章ではキムジヨンの視点でこれまでの人生における出来事が語られていくわけですが、そのなかでキムジヨン視点でキムジヨンの母オ・ミスク氏について語られていくときには、「オ・ミスク氏は」という記述以外に「母は~。」という記述が目立ち、そのほかにも、全編を通して医者が語り手のはずが、どこかキムジヨンの語りを直接そのまま受けとっているような、つまりキムジヨンが直接読者に向けて「母は~。」と語っているように見える箇所がいくつも存在するのです。これはいってしまえば、三人称で「キムジヨン氏は」と語る医者の語りのなかで、医者に向かって語るキムジヨンの語りと読者にむかって語る医者の語りが同化している箇所がちりばめられているということであり、読者はキムジヨンの見ている世界と同化しながらも、ふとした時に「キムジヨン氏は」という語りや第1章と終章の語りを読むことで、キムジヨンの視点から分離されていく、キムジヨンへの同化と分離が使い分けられている、ということではないかと思います。

 こうした小説の作りは谷崎潤一郎『春琴抄』にも見える構造ではなかったでしょうか。これは今年の春に演習で習った内容の受け売りなのですが、『春琴抄』でも物語の中心には春琴と佐助がいる訳ですが、ここでの語り手は春琴と佐助が死んだのちに「鵙屋春琴伝」という佐助が記したとされる書物をよみ、また春琴に仕えていた「鴫沢てる」という女性から話を聴いた、つまり作中世界内の第三者として物語の中心人物についてきいたり読んだりしたことを語る「私」であり、この点がまず『キムジヨン』の語り手である医者の在り方と共通しているのですが、さらにそのなかでも語り手による「鵙屋春琴伝」における春琴に対する過剰な礼賛への疑い等があるため、読者は春琴や佐助の視点と分離されますが、読んでいく中で(特に佐助が針で目をついて自ら盲目になった後の春琴との対話の場面で顕著ですが)、佐助の視点から直接語られているように錯覚する箇所もあり、つまり読者に向かって語りかける第三者の語り手である「私」と、佐助がてるに語り、てるが「私」に語った語りが同化し、あたかも佐助と春琴の世界での出来事が直接佐助の視点から語られているように読めてしまう箇所があるというわけなのです。(このあたりの『春琴抄』分析は、平成3年に刊行された『国文学 解釈と鑑賞』の4月号に掲載された金子明雄「物語る声 声の物語 谷崎潤一郎『春琴抄』と〈私〉」で言及されていて、演習の先生もそのことについて資料に書いてくださっていたのですが、その本をすでに以前古本屋で買っていて、たまたま私の手元にあって驚きました。)
このように、作中世界内の第三者の語りであるという語り方と、分離しつつも同化する作用が、両作品では要となっている、という共通点が、個人的にはたいへん興味深く思われました。

まだまだ勉強不足ではありますが、「語り」というのは文学研究の中でも重要な観点あるいは要素でしょう。だれが語っているのか、どのような語りの構造になっているのか、といった問題は、どの作品を読む時も、最近は高校生の時と比べて新たに意識している点であり、また最近は自分が詩を書く時にも意識しているかもしれません。私が詩を書く時には、自分から発生したものでありながら、ここではないどこかのだれか(それはひとでなくてもいい) の語りになるようにしています。来月にはそのあたりを詳しく書いていこうと思うので、今回は軽くさわりだけにしますが、私の自我は出しすぎずに、しかし私の中から発生したものを使って、ここではないどこかの何者かの声を作る、という意識のもとで詩を書くことがあるようなきがしていまして、来月までにもう少し言語化できるようにしておこうと思います。

今回は私の読書記録の様になってしまいました。ほぼ一作品に関する簡単な言及ですので、狭いところでくるくる頭を動かすような話でしたが、どこかでまとめておきたかったので、個人的には満足しております。

続いては猫歌さんですね、私からも、自由に、時事ではない最近の関心事についてのお話をしていただけたら、と思います。

ではまた、次月が最終月でしょうか。皆さんの書簡を拝読するのを楽しみにしております。

水底燕

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