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「内実」と、未来


「内実」を外に連れ出してから1年。
不調なときでもすすめられるくらい、
私たちにやさしい果実なのに
私は消化できないりんごを少しずつ溜めている

それは人が離れていくときに得る感情

別れというものは必ずやってくる
私たちはそれをいつからかよく知っている
どんなに解釈を重ねても悲しくなってしまうから
多くの人はそれを知らんふりして生きている

少なくとも今まで生きてきたなかで
学生時代の「卒業」はとても大きな意味がある
それはあとからよくわかる

生活を共にし、会話をして分かりあってきた相手
卒業しても関係は変わらないと信じて疑わない
でもそのときはわからない

少し経ってから会ってみると
「ああ、やはりこの人だ」と思うときと
「なんだか、変わったな」と思うときがある
どちらも悪くない
環境が変われば変わる人もいる、と
ただそれだけのことだ

ただそれだけのことだ、と、わかっている。
でもやるせない気持ちになる。
相手のいる景色が走馬灯のように脳裏をよぎる
確かに楽しかったと
相手と一緒にいる選択をとった自分は正しかったと
肯定したくなるのかもしれない

ここまで考えて、ひとつ思った。
人生のなかで起こる別れとは、
相手と共有した時間の葬式である、と。
生前を振り返っては
もう更新されることのない思い出を惜しみ
ふとしたときに
ああ元気にしているかな、と懐かしむ
そんな行為のすべてであると。

ライフステージが変わる。別れが増えてゆく。
私たちは別れを積み重ねて、
常にそれについて考えるようなことはなくても、
その全部を背負って生きてゆく。

つまり、私は消化されないりんごたちと
うまく付き合っていくしかないのだ。

moca

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