見出し画像

「カジュアルEDH」は存在しない(雑記)

 MtG、それも統率者(EDH)をやっていると周期的に流行るのが、レベル分けの話である。
今回も(別に当該記事に真っ向から反対するわけでもないので引用などは避けるのだが)、「俺はカジュアルEDHがやりたいんだよーッ!」という記事がバズって、なんとも微笑ましい気持ちになったところだ。
 他にも、よく「5,6帯なんだから強すぎるカード使うな」「デモコンタッサはカジュアルじゃない」とか、そういう話が定期的に出る。

 以下はすべて持論だが、カジュアルEDHというものは存在しない、と思っている。
 カジュアルEDHのお題目としてよく挙げられる、「全員に見せ場があるゲーム」とか、「負けても楽しいゲーム」とか、そういう『楽しいゲーム』は同卓プレイヤーのデッキやプレイ態度、ゲーム展開、そしてその場のコミュニティによって偶発的に、あるいはプレイヤーの努力によって生まれるものであって、構築とかデッキのレベルとかそういう話とは違うレイヤーのものだからだ。
 だから、「5,6帯だからデモコンタッサは禁止」とか、カードや構築単位でカジュアルEDHを目指そうとすると、おかしなことになる。やるべきなのは自分のやりたいゲームに即したコミュニティを探すこと、あるいは作ることであって、ゲームのルールやレベル分け概念にどうこう言うことではない。
 カジュアルEDHなる理想のゲームを追い求めるならば、その内容や心構えを規定するよりも、たくさんプレイしたり良いコミュニティで遊ぶなどしてその回に巡り合うのを目指すべきで、最高にカジュアルで楽しかったEDHは、その果てに半ば偶然発生するからたまらないのだ。そこにデッキレベルとかは関係ないし、事前のルールや規定で求めていくものではない。

(本稿でいいたいことはほとんど上記内容のため、あとは読み飛ばしてもよい)

デッキを弱くするのも強くするのもプレイヤーの自由、その結果に責任を持て

 確かに、《魔力の墓所》とか《宝石の睡蓮》とか、使えた人間だけが真っ先に展開して有利になり、ゲームが決まってしまう、ということはある。そういうゲームがつまらん、俺は活躍できてない、というのも、わかる。
 だからといって、ルール上許されているプレイや構築をする人間を「カジュアルでない」と非難するのはお門違いだろう。
 それらの強力カードを禁止したとして、例えば1t目に自分以外の3人が土地→《太陽の指輪》→《秘儀の印鑑》とカマしてきたら、一人だけゲームの展開に乗り遅れてしまってつまらん思いをする。逆にどれだけ強いカードをたくさん入れていても、他の3人が土地事故・手札事故を起こしたら自分だけ有利になれるだろう。だから、これはカードプールの問題ではないのだ。
 簡単な話、「入れれば強くなるカード」はデッキに入れればよいのだ。それをしないということは、その意図が「引いちゃったときに一方的に有利になりすぎるから」でも、「お金がないから」でも、デッキを自分で意図的に弱くしていることに変わりはなく、その結果一人だけ序盤出遅れてつまらんとか、強いカード展開されて勝てない事が怒っても、自己責任として受け入れるべきなのだ。
 同様に、デッキをどんどん強くしていって、卓の人間より強くなりすぎてしまったとき、あるいはブン回ってしまった時に素直に謝ったり場をしらけさせないようにすることも自己責任の一面である。
 誤解しないでほしいが、なにもデッキを弱くすることが悪いと言っているわけではない。デッキを弱くした結果を笑って引き受けられるのであれば、いくらでも弱くして良い。そのほうが楽しい場面だってあるだろう。

※とはいえ、「最近強いカード増えすぎて入れ得ばっかじゃねえか!」という批判はわからないでもない。だが、これは別のレイヤーの話だ。

全員に見せ場があるゲームは、意図的に作ることができるか?

 よくカジュアルEDHのお題目として挙げられる「全員に見せ場があるゲーム」が、事前の取り決めで意図的に可能かどうか。自分は難しいと考える。
 なぜなら、すべてのデッキは勝つために作られているからだ。「見せ場」を作った瞬間、他の3人全員の敗北を招く、というのは想像に難くないだろう。
 デッキは勝利に向かうときに一番輝く。それが「見せ場」というなら、勝者が1人しかいないゲームで全員にそれを提供するのは、かなり難しいだろう。
 極端な話、「僕の統率者は《ジェディット・オジャネン/Jedit Ojanen》で、このカードで全員を殴って倒すのが見せ場なので、出るまで待って、出てもブロックとかしないでくださいね」と言われたら、何を悠長な、と思うだろう。もしそういうデッキを組むのであれば、他人より早く、強く、しっかりその「見せ場」を作るために妨害なり加速なりを駆使したデッキにすべきであって、必要なのは構築とプレイングであり、他のプレイヤーに「見せ場」を作って欲しいとお願いすることではない。
 すべてのプレイヤーが、「見せ場」を作るために構築とプレイングを工夫し、それらが拮抗した結果、「全員に見せ場があるゲーム」という最高のゲームが生まれる。それは偶発性に依存するので、事前の取り決めでどうこうすることは現実的でない。

※EDHはパーティゲーム、楽しむためのゲームだから、手加減したり「勝ちに向かう」のを抑えるべきだ、という趣旨には賛同しない。すべてのゲームは勝つためにある。なぜならルールでそう決まっているからで、ゲームはそういうものだからだ。サッカーはゴールにボールを入れる、ダーツは的に矢を当てる、MtGはライフを0にする。それを目的に動けとルールに書いてある。そのうえで、自分で手加減をするのは勝手だし、勝ち負け以外で自己表現をするのもゲーム性のひとつだが、それを他人に押し付けるものではない。誰にも邪魔されずデッキの発表会がしたいなら、試合中でなくともよいはずだ。

同卓してもいない相手の思想を規定しようとしない。一回やってみて、合わなかったら「次」にいけばよい

 デッキレベル分け(公式の1から10のやつとか、晴れる屋のパーティ~ザ・ゲームのやつとか)はもちろん指標として存在するが、あれで完璧なマッチングがされてしかるべき、というほうが違うだろう。どこまでいっても、あれは自認でしかないからだ。
 そのうえで、レベル分けが正常に作用しているかといわれれば、まあこれも疑問を持たざるを得ない。
 晴れる屋のイベントとかに出てみると、だいたいの人が「5,6でバトル帯」を主張している。それだけ層が厚いということかもしれないが、それではレベル分けの意味がない、といわれてもおかしくはない。「5,6」を自称する人だって全員にそう思う理由があり、「ジェネラル強いけど構築が弱いから」とか、その逆とか、「どっちも強いけどコンセプトや色が弱いから7以上ではない」みたいな考え方だって、間違っているわけではないだろう。自認による判断を、自分の自認にあわせてもらおう、という発想自体が筋が悪いのだ。
 だから、1回当たったマッチが、結果的に自分のやりたいものでなかったとして、そしたら「次にいけばいい」。そこでゴネたり、SNSでお気持ちを投げるより、次の試合をする。思っていたより他の人が強いならこっちも強めのデッキを使えばいいし、逆もしかり。人間同士なので話し合ってすりあわせをすればいいし、それ以上に合わないと思ったら卓をたたんで他の人とやればいい。どっちにしろ、「次」だ。完璧なカジュアルEDHは、偶発性に依存する。だからどんどん「次」にいく。

本当に規制を作りたいならバランスまでしっかり考えてコミュニティを作り上げる必要がある

 それでもやはり、現行のEDHのプールなり、レベル分けなり、ルールなりに不満があって、「俺の考える最高のEDH」をやりたいのであれば、相当がんばらなければなるまい。
 身内のなかで禁止カードを作ってもいいし、構築済みそのままで遊んでもいいし、種族王とかパイオニアEDHとかステゴロEDHとか、そういうバリアントもある。

 ただ、バリアントを作るのであれば、ルール整備はしっかりしないといけないし、そのコミュニティを維持する努力もしなければいけない。自分はこのどちらのルールも、面白さに完全に賛同するものではないが、それでもこのバリアントを提案し、もり立てていく彼らの姿勢そのものは高く評価している。なかなかできることではない。
 特にルールの整備は大事だ。ルールはルールなので、お気持ちだけで整備することはできない。「強いマナファクトはだめだけど、くじで引いたやつならOK」みたいなファジーなルールは問題外だ。仮にもカードゲーマーなら、ルールというものをお舐めでないよ。
 そうした努力をしてはじめて、「俺の考えた最高のEDH」を作り上げることができるのだ。そっちの道を歩むなら、それはそれでがんばってほしい。

※ただし、このバリアントのなかでもレベル分けというか、「バリアントの中で最適化された最強デッキ」とか「バリアントの抜け穴を利用したデッキ」とかが存在しうるので、そのあたりは既存のレベル分けによるミスマッチと同じ事が起こるだろうと考えられる。その責任を自分に引き受ける覚悟も、バリアントの整備には必要だろう。

それでもEDHをやって、「最高のカジュアルEDH」に巡り合う

 正直、EDHをやっていて、レベルのミスマッチで卓が冷えたり、他3人のコンセプトを全否定するひどいデッキに当たってクソ萎えたり、なんか全く喋らないネコ着ぐるみパジャマのおっさんと同じ卓になって恐怖したり、そういうことは、ある。晴れる屋のカジュアルコマンダーでたまたまブン回った結果「カジュアルでない」烙印をおされて相当ムカついたこともある。
 ただ、そうやって回数を重ねていくなかで、同じぐらい、めちゃくちゃ楽しかったEDHも生まれうる、というのは、EDHをやっている人間ならわかるだろう。
 ゲラゲラ笑いながら即死コンボで壊滅した回、ライフの削り合いをなんとか通して勝った回、謎の噛み合いで大変な盤面になった回。酸欠になるほど笑ったり、ギリギリの緊張感も味わっただろう。それが「カジュアルEDH」の目指すものだとすれば、やはり偶発的にのみ生まれるものであり、めぐり合わせなのだ。
 だから、他人のデッキやEDHの環境や、もちろんWoCにケチをつけるのではなく、何度も回数を重ねて、あるいはレベル感のあったコミュニティを見つけていくしかない。その中に、思い出に残る回が生まれてくれば上々だろう。偶発性のなかで、たまたま巡り合うから、「カジュアルEDH」は輝いて見えるのだ。

まとめ

  • デッキを弱くしても強くしてもいいが、結果には責任を持とう

  • 全員に見せ場、は偶発的にしかありえないことなので、他人のプレイングを規定しようとするのは筋悪

  • ていうか最初から最高のものを目指さないで卓と環境をガチャしつづけたほうがいい

  • マジでバリアント作るなら真剣に取り組まないとなんにもならん

  • EDHは基本いろいろ悪いことも起こるので、良いコミュニティを見つけるか、たくさんやっていけば「最高のカジュアルEDH」になるときもある

サウナに行きたいです!