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チャップリンとYouTube

チャップリン、いるじゃないですか。ロンドン出身のコメディアン、無声映画の時代の喜劇王の、1889年に生まれて1977年に亡くなった。それで昔ね、10年ちょっと前、あるライブハウスで一時期テレビにも出ていた芸人が話してたんです。「チャップリンとか喋っとらんやんけ、あんなんどこがおもろいねん」みたいな。一字一句同じじゃないけど、まぁだいたいこんなこと。

それを聞いて私は「何言ってんだこの人」と思ってたんだけど、それから10年以上経った今思う。「やっぱり何言ってたんだあの人」。だって言うまでもなく時代が違う。アスリートの記録は年々伸びているというけれど、それで言えば今の最新設備がない半世紀前の記録をバカにしているようなもの。それはまだ記録という指標があるから百歩譲ってよしとしても、コメディに至ってはそもそも映画が映像と音を伝えるものではなかったのだから。その芸人もそれくらい分かって言っていたとは思うけど。というより、チャップリンに萩本欽一が影響を受け、萩本欽一からドリフへ、ドリフからひょうきん族へ、ひょうきん族からダウンタウンへ、という流れで、自分に対する影響を無視できるものではないんじゃない?とは今もなお思いつづけている。

で、えぇと、なんだっけ、そうだそうだ。

そんなチャップリン、前述の通り「音を伝えられるものではなかった」からこその無声映画だった。と、そう思っていたんだけど、調べてみると映画界全体がトーキー(映像と音が同期した映画)への過渡期にありながらもそれでもしばらくは無声映画にこだわっていたらしい。1940年公開の「独裁者」ではトーキーへ完全に移行したらしいが、それまでの彼には「パントマイム芸こそが世界共通語」という信念があったとか(Wikipedia情報ですけど)。書いてるうちに興味が湧いてきたので今度自伝を読んでみようと思います。

そこでふと、「この動画時代にチャップリンがいたらスターになったのかな」と思った。時代が違う、とは最初の方に書いた通りだけど、チャップリン初期の「パントマイム芸こそが世界共通言語」という考えは、それこそ今のインターネットで世界中の誰もが動画が公開でき、そして世界中の誰もが動画を見られる時代にピッタリと噛み合っているのではと思う。事実、俺が見ている海外の動画は音がほとんど入ってなくても楽しめるやつばかりだ。

ただ、チャップリンの場合、大資本の配給会社という存在があったからこそ極東の日本にまで彼の作品は届いたので、そうした前提があってこそ意識できることだったかもしれない。が、それを差し引いても、およそ100年前から言語の壁を意識していただなんて。その先進性には畏敬の念すら感じる。

今、YouTubeは言語別の翻訳機能などが付いていて、その壁を越えられるチャネルをたくさん用意してくれているが、言語が変わればその人が受け取るイメージだって変わる。口調の表現もまた必要な創作行為だ。名前そのものばかりはどうしようもないが、パントマイムでないにしろ、コンテンツそのものに言葉を持たないというのは、100年経った今こそ大切だなと思った。

もちろん、言葉があればそれだけ複雑に組み立てられるおもしろさはある訳で。でもそれを楽しめる人はその言語を知っている人に限定されてしまう訳で。今自分はベトナムを一分でまとめるという動画を撮っていて、それは言語の壁を超える…というより無視することを意識してはいるけれど、内容としては超シンプル。おもしろい、という方向性とはぜんぜん違う。どちらかというと、自分のベトナムの経験を役立てたいという思いからやっている。

その次に動画をやるなら、「言葉を使わずにおもしろいものをつくる」という縛りプレイで挑戦してみたいと思った。なんかあれだな、チャップリンもふくめて、過去の名作映画をもっとちゃんと観ないとな。むかーし兄妹で観た「素晴らしき哉、人生!」はめちゃくちゃおもしろかった。

ぜんぶうまい棒につぎこみます