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宇宙論(34)

 僕は激しい躁状態の時、大切な友人を失った。そのことをふと別の友人に話してみたら、「それは本当に大切な友人だったのかなあ?」と言われた。僕は不意打ちをくらったようだった。実際、どうなのだろう?

 僕はその失ってしまった友人のことを大切な友人だと思っていた。けれど、相手からしたらどうだったのかなんてよくわからない。大切なものを交換し合っていたようには思う。それでも友人とは? 考えれば考えるほどに迷路にはまる。

 ユーチューブ動画でも話してみた。でも言葉はなかなか出てこなかった。友人だからこそ起こってしまった問題。僕は危険人物と見做されて、結果、閉鎖病棟にも入ることとなった。

 やりきれない気持ち。やるせない気持ち。どこにも行けない感傷。

 共通の友人から、元気でやっているという話を聞いて心からよかったと思う。僕は一方的にまた会いたいと思っている。けれど、それは叶わない可能性の方が高いように思う。

 二度とこんなことを繰り返さない。そんな誓いを立てて、病気と向き合う。薬を飲んで、心の健康を意識する。

 きっと、僕らは大切な友人同士だった。それが人生の歯車が狂って狂っていまおかしなことになってしまっている。それは悲しくてならない。死ぬまで狂い続けたままなのかもしれない。

 それでも僕は生きていく。ふてぶてしく。反省しながら。祈りながら。

 今日を精一杯、生きていく。少しでも誰かのために生きられたならと、そんなことを願いながら、生きる。

(2024.5.8)

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