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パーフェクトブルーを観て

パーフェクトブルーを観て。

作品自体は何年も前に視聴済みでした。
私の記憶では事の顛末を割と覚えていたので、犯人視点で今回は内容を追って見ていました。

純粋にその見方で楽しんでおりましたが、私がパーフェクトブルーを見て新しく得た感想としては、
映画のラストで未麻が「私は本物だよ」と言って終わるシーン。
このシーンでちゃんとぞくっとした感情と鳥肌がたった事に私自身は感動しました。
意図した終わり方でしっかり心動かされた。
この終わり方を映画館で体感出来た事はもの凄く良かったです。

フィクションにおける演出ってやはり意図して作られているが故に、万人にウケがいいものとか狙いも狙った演出というのに振ってしまい、時にちゃっちくなりがち。
「ここ、感動する所だよ」って指定されたシーンというのは与えられたものをそのままありがたがって食べるご飯みたいなもので、くどい事もありますよね。
もちろんそれが相応しい作品もあるし私もそういうの好きですが。
ここで泣いてください!ってベタなので泣いてしまうくらいにはそう言う演出好きなんです。
でもパーフェクトブルーはバリバリのサイコホラー。
この作品をそのまま楽しむべき所は、作中の謎とか犯人との追い駆けっことかだと思います。人によるかもしれないですが。

私的な解釈での、「ここ一番見てほしい所だよ」と提示された部分はラストシーンのセリフだと思っています。
この一言の為に積み上げた映画でもあったからこそ、緻密に気付かせない様に最後に仕込まれたあのセリフが好きでたまらない。
下手したらアレ言わせたかっただけの映画でしょって言われて終わりですから。
あのセリフをどう捉えるか、の余白がありとても好きなのです。


この作品のキモは時系列が入り乱れた演出や、少しづつ未麻がおかしくなってゆく描写など挙げたら枚挙がないですが、そういった所ですよね。
だからこの作品自体の終わりは普通に犯人死んで終わりでも良い。
事件が解決して、お終い。
そんな終わり方をしたとしてもこの作品は今でも密やかに支持を得ていたと思います。それだけの内容でした。
ですがこの作品が今でもカルト的支持を得ているの、やはりこの終わり方に刺された人も多くいたからなのでは無いかなと思います。

私は以前ににパーフェクトブルーを視聴済みとは言いましたが、正直覚えていたのは犯人と、こんなシーンあったなって感じの少し朧げなもの。
最後まで観終わった感想の一つに、私はこの作品の内容が朧げなのにも関わらず、犯人が誰であるとかここの演出好きだなとかちゃんと覚えてるなって事でした。

ドラマとかでもそうなのですが、推理ものとか犯人が誰かってやつ私は大概内容忘れてしまいます。
何回も見ないからかもしれないですが。
サスペンス系って事件が起きて解決ってパターンしか無いですもんね。そこにストーリーはあれどパターンが決まってる。
(まあパーフェクトブルーはアニメーションと演出全振りで犯人も意外な人で…とそれだけで記憶に残りそうな作品ですが。

今回映画館に行って良かった一つに、私的には内容を詳しく覚えてないにも関わらずこの作品が何故心に刺さっていたかを気づけた事と、それを知れた嬉しさがありました。
自分が好きと感じる気持ちの土壌にこの作品もあったんだなと、気付けた事が嬉しかったのです。
作品を愛する行為は、何度も何度も作品を観る事や好きだと声を大にする事だったりと沢山ありますね。そのどれもが好きの証であるかもしれません。
ですが、心にひっそりと置いたり飾っておく好きもある。
私もこの作品の事「好き」だったんだなって。
だからこそ、以前に初めて観た感情を思い出しながらラストシーンのセリフでゾクっと出来た事に一層感動がありました。あの時の感性まだ残っていたんだなって。

近年の私はアニメもゲームも沢山追えなくなって久しく、昔好きだったものを消費する様な低燃費な楽しみばかりでした。
でも純粋に好きなものを好きでいられる事も大事だと感じます。
とうのも、何事も最初に味わった時の体験を忘れられない物だから、既に観たことのあるようなパターンだと心動かされなくなってしまう。
私は既に観てきた過去の作品に縋って新しいものを新しく、楽しく観れないのです。(この感性はとても寂しくてどうしたら良いかまだ見つけられてないのもなんだか悲しい。

そういった意味で、パーフェクトブルーも過去に経験した作品であるからこそ既に経験済みの体験だったから再度感動出来た、というのもあるかもしれません。
でも今回私がこの作品から受け取れたものは、
「自分が好きな作品を初めて観た時の心動かされた気持ち」と、歳を重ねてから観た事による感想の変化でした。

この歳を重ねたからこその作品の見方がある。と言うのはどの作品にも言える事ですが、視野が狭まったばかりに批判的であったり穿った意見になってしまう事もありますよね。好きだからこそ、よりのめり込もうとしてアンチみたいになっちゃうような。
幸い今までそんな事にはなっていないつもりですが、「歳を重ねたからこそ〜」とかが「昔からこの作品追いかけてきた古参です。だからこそ発言できる」みたいなアピになったり捉えられたり、拗らせ過ぎたりするのがなんだか嫌で好きな作品に対する私の愛は、「文章にする事」ではありませんでした。

でも気持ちを書き連ねていたらこんなにも文字にできた事が久しぶりで、何かを言葉にする気持ちって凄いなって思い出しました。これも歳を重ねたからかも?
純粋に新しい作品を気持ちよく楽しむ事はなかなか出来ていないけど、私はこのパターンが好きなんだ、今の私が気持ちを持っていかれたのはここなんだ、というのを純粋にすんなりと文字にする事が出来たのもいい発見でした。



ここからは個人的な感想になります。

「あなた誰なの?」

単純に未麻が役者として喋るだけの一言。

このセリフを繰り返し、繰り返し呟く事は心の中で皆さんやってきた事かもしれません。
貴方も何者かになれるかもしれないと希望を抱いて生きる幼少期。
夢を好きに描いて貴方は何者にもなれるんだよってみんな横並びに教わる子供時代。それって少し穿った見方すると気持ち悪い。
そこから少し成長したら急に、現実考えて生きてね、とか夢が叶う人や好きな事できる人はそうはいないんだってどこかで現実見せられる。
急に現実と夢のすり合わせに直面させられる。

好きな事に進んでも、諦めても、どちらにせよ選んだのは自分なんだからって悩んだり妥協したりして生きるよね。
他愛のない子供の頃の夢だって叶えられなくて、私は何になりたかったんだろうとか考えたりした事ないかな?
そこまで深く考えた事ないよって人もいるよね。それは単純に羨ましいです。私は考え込むタイプでした。


少し逸れましたが、物語の趣旨的にはこの「あなた誰なの?」はただのセリフだったのに、誰かに見られている?から、自分を語る正体不明の人が一人歩きしている?それは本当は私かもしれない?それすら分からなくなってくる……私はいったい誰なの?という現実と幻想の境目がキーのかなと思っています。
今回の私は、この流れをなんとなく自分に置き換えながら観ている所がありました。

大体は主人公に感情移入する事が多いと思いますが、私は未麻を主人公がこの先何が起こるのか分からなくて怖い可哀想…みたいな感情移入ではなく、何かしらの意図を持った人に見られている部分、それは崇拝だったり欲望だったり様々でしたが常に何かしらの目で見られることの立場の境遇に気持ちを持っていかれて観てました。

それは、私が観られる側になったからかもしれません。
自発的にですが配信者という観られる側に、しかもVtuberのねるねるという実体のないもの。ねるねるの一面も、私自身という一面もあるから、なんとなくそっち目線でみてた。
ちなみにVtuberしててこんな悩み方した事は無いのでご安心ください。

アイドルになれた未麻。その為に頑張ってきたのに女優になれと辞めさせられて、その果てにはキラキラしたものとは真逆の汚れた事ばかりさせられる。
選んだのは自分だけど、やるせないとか悔しいとか様々なものが混ざったあの部屋で叫ぶシーンが好きです。
こういった人間的な心の動きの描写やストーカーの明らかに気持ち悪い造形とかルミちゃんのイカれっぷりの振り切れ具合が素晴らしかった。素晴らしいしか言えない語彙力になってきた。
実写でもよさそうなストーリーをあえてアニメで。そしてアニメでしか出来ない演出をここぞとばかりに。セルアニメというのも好きです。
薄暗いセルアニメでふわふわ浮かぶ未麻が逃げたり追いかけてくるシーンは唯一無二の演出ですね。

ラストのチェイスシーン。ルミちゃんがサイコパス過ぎたおかしすぎる状況なのに、その姿はアイドルの未麻で。
未麻にはちゃんとルミちゃんに見えてたのかな。
血塗れになりながら笑うアイドルの未麻が作中で一番可愛かったと思えるくらい印象的で好き。やっていることは犯罪なのに、それでも「アイドル」であろうとしたルミちゃんの美麻は何故か綺麗であると感じる。美麻とは対照的に不純物がない無垢な笑みを表しているここの微笑みが美しく、印象的でした。

ここからの展開はもうエンディングまであと少しといったところで、この後のラストシーンはなんとなくしか覚えてなかったですね。

未だ「アイドルの未麻」であるルミちゃんを見舞う、歳を重ね女優として成功したであろう未麻。
波瀾万丈過ぎたのに、あの人が居たからこそ今の私があるんです。と言える人になれたミマを純粋に尊敬します。
どんな人生を送ったのでしょうか。


そして最後のシーン。
ミラー越しに大人になった声のトーンで、


「私は本物だよ」

って言って終わるラスト。その一言だけ。

それだけですが、全くもって忘れていたこのセリフを全編視聴後の最後に聴いた時の私の気持ちは、それはもう素敵な視聴体験だったと言えました。
エンドロールの余韻もたっぷりです。

ここのセリフに詰まっているものを読み取るのが楽しいよね。 

作中頻繁に現実と幻想が交錯して何が本当がわからない演出。
ダブルバインドの内容が犯人は多重人格者だった。事件後の多重人格から戻る事が少なくなってしまったルミちゃんを見ると、もしかしたら未麻も多重人格になってしまい、女優として生きている美麻はもう別の人格の人なのかもしれない。もしかしてそうなのかな?と思わせる解釈と受け取る事も出来ますよね。


でも個人的には、
あなたは誰なの?から私は誰なの?になる程に、肉体的にも精神的にも追い詰められた美麻。
アイドルとしての未麻に固執してきた攻撃的な人達や、業界の闇的な汚い大人の欲望の餌にされたりと、夢見る少女がそんな目に合うなんてと目を背けたいような現実に晒され続けた。
事件終わってもそれがトラウマになって女優としての道も壊れてしまう事があったかもしれない。
それでも事件を乗り越え、それすらも糧に生きてきたのでしょうか。
そこから人としても女優としても大成したからこそ、自分を見る様々な目から何と思われようが純粋に「私は本物だよ」といったセリフが現れてきた。そう言う感じ、と思いました。
私なりに受け取るならこう受け取りたいなも思います。

あえて語られないからこその余韻だったり想像の余地が人それぞれ出てくるのがこの作品の素晴らしさでもありますよね。


映画を見て何日から落ち着いてからこの文章を書いていますが、ここまで一気に書く事が出来ました。
その止まらない筆で思った事として、めちゃくちゃ綺麗事として表現するならば、
自分の生き方として誰かに求められたり何者にもならなくても良いんだって事。
自分が生きたい様に選択していって、それが結果的に後悔したり苦しくても、そういうものなんだって学びながら生きていくんですね。
そして段々とこうなりたいとかこうしたいって思いが生まれて、結果的にでもその選択を受け入れたり甘んじたりしながらも生きる。
そこで出会った酸いも甘いも自分の物にして、何かしらのに縁に感謝したり気づけたのならそれは幸せなことなのかもしれません。

私も自分の気持ちが本物だよって胸張って言える経験が出来たらいいなと思いながら、この長い感想文をようやく終える事が出来そうです。


こんなに長い文章にお付き合い下さった方、どうもありがとう。
映画のBGMも素晴らしくて大変好みです。
これを聞きながら眠るのが心地いいって事はあまりないでしょうね。
気持ちよくこの世界に浸れました。


良い作品を浴びて幸せでした。
それではごきげんよう。

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