〜生贄論⑦〜「ヨブ記3」

ここで僕の脳裏に思い浮かぶのは、第二次世界大戦中における「アウシュヴィッツ強制収容所」の悲劇です。アウシュヴィッツ強制収容所は、人類史上最も「神の沈黙」「神との断絶」が明らかになった、負のレガシーでしょう。ユダヤ人らに対する"ホロコースト"(大量虐殺)が行われたアウシュヴィッツにおいて、聖書に描かれた様な「神の奇跡」が起こることは遂にありませんでした。帰還者であるユダヤ人のエリ・ヴィーゼルは、少年時代、アウシュヴィッツに収容された初めての夜、人間が「焔」となって煙突から立ち昇るのを目にします。続いて、自分と同じ年端の少年が絞首台に吊るされ、生き絶える様を皆と共に見せられます。そしてヴィーゼルは「ああ、神は何処にいるのだ?」という誰かの声を耳にします。僕がもし、少年ヴィーゼルだったとしたら。その場で「神を呪う言葉」を口にしないでいられたとは思えません。究極のリアリズムを直視してしまった人類が、一体何に希望を見出して生きたか?問うべきはこれに尽きます。

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