〜生贄論⑥〜「ヨブ記2」

ヨブ記の冒頭を見てみましょう。
かつて、ウツの地に、ヨブと呼ばれる男がいました。ヨブは、神への信仰に厚く、多くの富をもち、人々の尊敬を集める、非の打ち所のない人物でした。天に住む神もまた、ヨブを誇りに思っていました。しかし、神の傍らにいたサタンが、神にこう耳打ちします。「ヨブが信仰を捧げているのも、貴方が見返りとして彼に祝福を授けているからこそ」。「試しにヨブから祝福の全てを取り上げてみたらいかが?」「たちまち信仰を捨て、天に向かって唾を吐くことでしょう」。
このサタンの申し出に対し、神は驚くべきことに「一理ある」と耳を傾けます。そしてヨブは、災難によって全ての財産を失うのみならず、息子や娘たちまで不慮の事故で次々と亡くします。しかしヨブは「主は与え、主は奪う」「神の名はほむべきかな」と、神の意に沿う言葉を口にし、恨みの言葉を口にすることはありませんでした。しかし、サタンの奸計はまだ続きます。サタンは神に耳打ちします。「ならば、次は彼の骨と肉を撃ってごらんなさい」「彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたを呪うに違いありません」。するとまたしても、神は「一理ある」と頷きます。やがてヨブの肉体を皮膚病が覆います。ヨブはたまらず、陶器の破片で自らの身体を掻きむしります。そして妻の「神を呪って死になさい」という言葉に対し、「私たちは神から幸いを受けるのだから、等しく災いをも受けるべきではないか」と答え、語り手いわく、この際もなお「その唇でもって罪を犯すこと」はしませんでした。
まるで、サタンの代行者のごとく振る舞う、父なる神。主人公ヨブと「ヨブ記」の読者は、これを直視しなければなりません。ここに描かれているのは、「神の沈黙」から更に一歩踏み込んだ、いわば「神の悪意」とも名づけ得るものでした。「悪を成す」神を、今まで通り信じられるか否か。

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