〜生贄論⑩〜「原爆パイロット」

クロード・イーザリーのことは、三島由紀夫の小説『美しい星』で知りました。イーザリーは、広島に原爆を投下したエノラゲイ号を先導するストレートフラッシュ号の機長であり、後に「発狂」という末路を辿った人物と言われています。三島は作中、イーザリーについて「あの広島における原爆投下者が発狂した理由。それは、みずからが手にかけてしまった者たちの痛みが、露ほども共有されないことを知ったゆえ」「原爆投下の後も、キャンディを舐め続ける平穏な時間が、何者にも犯されることなく流れ続けた。」と書いています。
イーザリーの実像を読み解く一助として、彼が哲学者アンデルスと交わした往復書簡『ヒロシマ・わが罪と罰』が残されています。イーザリーの搭乗するストレートフラッシュ号は、エノラゲイに先立ち、広島上空の気象観測を行い、いわば「ゴーサイン」を出す役割を担った天候観測機でした。
「原爆作戦に加担したゆえ、良心の呵責に耐え切れず、精神に異常をきたした」という原爆パイロット・イーザリーの像。これは、後に自殺未遂や雑貨屋へ強盗に入り逮捕されるなど、複数の問題行動を起こすイーザリーの自己弁護であったとの指摘もなされています。しかし、だからと言って、イーザリーが一切心の痛みを感じなかったと言い切ることも難しいでしょう。彼が見てしまったのは、まさに「神の沈黙」だったに違いありません。相変わらず、ただキャンディを舐めるだけの平穏な時間が続くだけで、大罪を犯したはずの自らを罰するべき神は、どこを探しても不在だったのです。この究極のリアリズムに、人間は果たして耐えられるでしょうか?

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