〜生贄論16〜「原爆パイロット⑦」

「ユダの自死」は、聖書最大の悲劇であり、謎であるとされます。イエスはなぜ、ユダの「裏切り」と「破滅」の運命を知りながら、彼を弟子に加えたのでしょう?イエスは全てを知っていたはずです。
『ヨブへの答え』の中での、ユングの指摘が想起されます。神は、一見"不完全"に見える人間の中に、神が未だ獲得し得ない"聖性"を見出し、それを獲得するためには、人間に受肉することも厭いませんでした。
ユダという人物に課せられた、特別な意味があったと考えるのは、僕の飛躍でしょうか。イエスは、裏切り者ユダの中に、聖性を見出した。それはつまり、一度踏ドブに棄てた大切なものを再び拾い直し、ゴシゴシと磨き上げるという様な、一見愚かしくも愛おしい、人間ゆえの習性のことだったに違いありません。師を銀貨30枚でローマ兵に売り渡し、その償いに首を吊ることを選んだ人物。その姿は、メシアとしての確信に満ちたイエスには、ある種眩しいものとして映ったと察せられます。そして、ユダの"それ"を手に入れるために、イエスはクロード•イーザリーとしてこの世に受肉したとしたら。いや、ユングの『ヨブへの答え』を踏襲するなら、イーザリーに限らず、全ての「ヨブ的」人間が、等しく神の"一分子"であると解釈を広げることができます。

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