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100%をさらけ出すと嬉しさ1000倍

昨日のnoteをちーやんが読んでくれてツイートしてくれて他の人も読んでくれて初めてサポートもらったことも嬉しかった。すごく嬉しかった。
嬉しさが最近の嬉しさを著しく超えていた。
なんでだろうって思って考えた。

ねこぜん100%だったからではないか?
幽☆遊☆白書で戸愚呂弟が100%を浦飯幽助に出した感じ。
昨日のnoteはいつも以上に考えずに思ったことを書いた気がする。
自分がこう思っている。っていうことを文章にしたと思う。

いつも読んでくれる人のことは考えず、頭の中で思ったことをダーっと書いちゃうし、途中でタイピングもめんどくさくなって、もっと思うこともあるのに止めることが多い。多分昨日もそうだった。

いつもと違うのは知ってる人がいいねって言ってくれたからだと思うし、自分の思っていることを書いて相手に伝わったと感じることができたからなんだと思う。

5期生の打ち上げの時、にこっちにコミュニケーションのめんどくささを話した。
関門が3つあって

①自分の思っていることを100%にする関門(自分の頭の中で相手にどうやって伝えるかを考えて、生み出す作業)
②相手に伝える関門(生み出した内容を言葉、声、仕草、目線、ハンドサイン、振る舞いなど、相手にわかるように伝える作業)
③自分が伝えたことが相手にどれくらい伝わっているかを確認する関門(自分が100伝えたと思っても、20だったり、−100とかだったりする)

僕は②が不安だから③も不安でめんどくさくなることが多い。
でも話をすることが嫌いなわけではなくて、特に重要なことをいつも話しているわけではないのだけど勘違いされて嫌われることを恐れているし、それを解消するのがめんどくさくてうまく伝える方法を探している気がする。

小さい頃は言われたことを守ることが正しいと思っていて
中学校は周りとのズレを感じて、とにかく時間が早く過ぎて欲しかった
高校は周りに合わせる能力が上がって楽しかったけど自分じゃなかった
大学生は音楽を通じて自我を感じてわがままになっていった
社会人になって人生に諦めと妥協を感じて、その中で幸せに暮らす方法を探した
今はもっとやりたいことをやって、ありのままの自分をさらけ出して
それを受け入れてもらえる形で発信したい。

これがねこぜん120%だあ!

って伝えた時に

120%丸々受けてもらえたら最高に嬉しいんだろうなって思う。

戸愚呂弟もきっとそうだったと思うし。


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