通勤文字#2 傘パク

始めたばかりで大変恐縮だが通勤文学という名前を通勤文字に変更した。

理由は、なんか格好つけてる感じがして逆にだせぇ、と思ったからである。

完全に悪い癖が出た。もう少しまともな文章を書けるようになったとしたらまた変更されるかもしれない。もしくは、もっといい名前が思いついたら。

本日はあいにくの、誰かにとっては恵みの、雨である。私は雨があまり好きではない。それは、傘の持ち歩きが面倒とか、雨によって行動が制限されたりだとか、シンプルな理由もあるのだが。でも雨そのものが嫌いというよりか、雨の日に起こりうる、ある出来事が嫌すぎて雨の日が嫌いなのだ。それは、


傘パクである。


本当にありえない。多分みんなが想像しているより20度くらい高い沸点でキレてる。

私は今までの何本の自分の傘をパクられたのだろうか。今これを書いていて過去にパクられたことを思い出すだけでも怒りで雨を晴らしてしまいそうである。

きっと他の人々も一度や二度どころじゃない回数、経験があるのではないだろうか。それともこんなにたくさん盗まれてるのは私だけなのだろうか。私は前世で傘とそんなに悪い関係を築いてしまい、現世で傘から悪質な嫌がらせを受ける呪いにかかっているのだろうか。なにをしたのだろうか。「傘君って雨の日だとすっごいはしゃぐよね(笑)」みたいに自分の得意ジャンルについて捲し立てて喋るオタクに対しての煽りみたいなのを入れてしまい怒りを買ってしまったのだろうか。

今ゼブラ柄のワンピースにヒョウ柄のトートバッグを抱えたお姉さんが前を通った。サバンナ?

お店などに入る時に傘立てに傘を入れ、出る時に、えっと、俺の傘は…と傘立てを探す時間。探している間に薄々とあれ?これもしかして…?と察する瞬間。自分の傘がパクられたことが確定した時の虚無感。でも私の傘をパクった犯人はその時にはもう既にそこにいないのだ。悠々と私の傘を使って雨に濡れるのを回避して、まるで最初からその傘の所有者である顔をして過ごしているのだ。

どうしてこんな悲劇が起こるのだろう。なぜか雨の日は泥棒してもいいと思っているのだろうか。僕が知らないだけで日本の憲法では雨の日は泥棒あり!みたいなクソ条文があるのか?くそである。

罪悪感とか、全く感じていないんだろうな、多分。傘くらいいいだろ、もらいま〜すみたいな。そんなもんなのだろう。てか買えよ。

シチュエーションとして、家を出る時は雨が降っていなかったが、途中から雨が降ってきた場合は気持ちはわからんでもない。いや、わからない。私は絶対にしないから。でもまあ行動原理としては理解できる。その場合、外出者数とその日の活動傘数(持ち歩かれて既に活用されている傘の数)が異なり、外出者の傘需要が増えるわけだから。しかも雨の降り始めに急速に増える。その時傘を持っていなかった者が、急に傘を必要として、傘立てを見た時に既に活動している傘がある。濡れたくない。他人の傘だが、私は濡れたくないので、誰の傘か分からないがこれを奪って雨を防ごう。いや、それでも買えよ普通に。もしくは濡れてけよ。なんで盗む発想になるんだよ。

でも、1日の始めから雨が降っている場合、外出者数と活動傘数の数はほとんど変わらないわけなので傘パクは起こりにくい。とでも、お思いだろうか。非常に軽率である。そんな日であっても、主にビニール傘だが、自分が元々使用していた傘よりも綺麗な傘にアップグレード泥棒をする輩もいる。むしろこっちの方が悪質な可能性まである。

そんな時、傘をパクられた人によっては自分の綺麗な傘がパクられたので、仕方がないからこの傘立ての中でマシなやつを私もパクろう、となる。その次の人も。その次の人も、同じことを考えて負の傘連鎖、傘輪廻である。後になればなるほどダウングレードしたきったねーぼろぼろの傘を使うことになる。

私はその場合でも、絶対に他の人の傘を持ち帰らない。その輪廻をもし終わらせることができるなら、ずぶ濡れになったって構わない。と思っている。

まだまだあるが、この辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?