人生最大の不可解な男
他の人のnoteで、酒を飲んで知らない駅にたどりつき、路上ライブをしていた人と一緒に歌った話があった。なんだか私も人生の中で出会った面白い話を書いてみようと思った。
28歳で転職したのは社員が30人足らずの小さな外資系生命保険会社だった。その前は、日本の中小生保で働いていたから、外資系なんて聞こえがいいと単純に思った。
入社初日、上司にランチに誘われた。男性の部長と女性の課長と私の三人で一つの部署。近くの寿司屋に連れて行かれ、お座敷のテーブルに部長はひとり、向かい側に私と課長が並んで座った。注文をして、所在なく黙っていると、部長が奇妙なことをしていた。
割りばしをとりだし、箸袋で箸置きを折り始めた。私は黙って、課長の顔を見た。彼女はニコニコ笑っていた。箸置きが出来上がると、割りばしを割り「僕のお箸」と言って、箸置きに割りばしを置いた。
それで終わるかと思ったら、課長の割りばしを取り上げ、同じ行為をし「はい、課長のお箸」と言って課長の目の前に置いた。続いて、私の箸も同じ目にあった。「はい、猫柳さんのお箸できあがり」私は、驚いて声も出なかった。生まれて初めて、他人に割りばしを割られ、気味が悪かった。おかげで食べた寿司の味は全く覚えていない。
お会計で、僕が払うからと自分のJALカードで支払いをした。課長に奢ってもらっていいのか尋ねたら、経費だから大丈夫と言われた。この男は、マイルを稼ぐためにたかだか三千円の支払いもカードでして経費でおとすのかと思ったら、空恐ろしくなった。
フツーの男じゃない、変わってると思って課長に聞いてみた。なんでも課長とは直前に同じ会社で働いていて、部長が先に転職し、部長に誘われて課長職で入社したと言う。本当は医者だが、病院勤務が合わず、保険会社で社医を始めた。
「僕はお医者さんだから、僕のことは先生って呼んで下さい」と言われた。それから延々と自慢話が始まった。実家は都下の○○市で敷地2400坪あり、中高は麻布で、慶応の医学部を出た。母を早く亡くし、再婚した父の妻を継母と呼ぶ。継母と養子縁組させられた。亡くなった母上と嫁いだ姉上を慕うマザコンだった。
そのうえ、営業の○○さんは東大を出てハーバード大に留学したとか、数理の○○さんは京大を出てアクチュアリー(保険数理のプロ)とか高学歴のすごい人の話をされた。どうやら私は不思議の国のアリスになって、場違いな会社に入ってしまったようだ。
金持ちなのに貧乏ゆすりをする、35過ぎて独身の医者を上司に持った私は、途方に暮れた。長期休暇のたびにハワイに出かけ、肌は黒く眼鏡の下はギョロっとした目が光る。前傾姿勢で小走りに社内を動きまくる姿は、異様だった。会社の引出には医学部時代の教科書があり、中はすさまじい書込みがしてあった。専門外の病気に出会うと、知り合いの医師に電話をかけて聞いていた。
ある日右手を包帯でグルグル巻きにして出社した。前夜タクシーで帰宅した際、ドアに手を挟んだ。骨折しているので、指を串刺しにされると言って騒いでいた。「医者のくせに、大げさに騒ぐな」と思っていたら、ひとりで整形外科に行けないから姉上に付添を頼んだと言い出した。開いた口がふさがらなかった。
ある時、私の目の前に座っていた60過ぎの男性が突然立ち上がり、ウオーっと叫び倒れた。脳腫瘍の発作だった。私は突然のことにびっくりして体が固まった。すると先生が聴診器を持って走り出した。医師の使命感からか、普段とは違う真剣な表情で倒れた男性に声をかけ、心臓マッサージを始めた。誰かが隣の病院の救命センターに走り、ストレッチャーと医療チームがやってきた。先生は、症状を説明し、紹介状を書いて渡すと得意げな顔をした。
そして、倒れた現場に偶然医師が居合わせることは滅多にない。○○さんは運がよかったと言い出した。翌日、お礼を言いに来た男性の奥様に「先生は命の恩人です」と言われ、喜んでいた。
私は先生に向かって「ふつう変わっている人は、自分のことを変わっているって言わない。でも、先生は自分のことを変わっているって言う。先生は本当に変わった人なんだなあと思います。」と言ったら「猫柳さんは、おそるべし人だ。」と言われてしまった。
これは実話です。盛ってません。あんな人に「おそるべし」と言われた私は、半年で会社を辞めた。後悔は全くない。