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キナリ杯とあとがきに感謝をこめて

最大の感謝を。
素敵な企画をしてくださりありがとうございます。

今回キナリ杯に応募するにあたり、ひさびさに一応文章とよべる長さのテキストをかいた気がする。
岸田奈美さんの主催するコンテストじゃなかったら、わたしは応募していないし、アカウントだけ作っていたnoteをそのままにしていたと思う。

岸田奈美さんを知ったきっかけは、たしか幡野さんのtwitter。
幡野さんの写真と文章が好きで、幡野さんが岸田さんのnoteを紹介していて読んだのが出会い。

あまりのおもしろさと、愛のつまった文章を読んで、いやむしろ読むというよりは岸田さんが隣にきてまるで一緒におしゃべりしてくれているような気分になって、勝手に大好きになった。

だから、今回のキナリ杯でわたしから岸田さんにおしゃべりできる!って思って思いきって応募した。

岸田さんに話すとしたら....おもしろいトーク....なるべく考えずに笑える話がいいな....と思って真っ先に思いついたことをかいた。ずっとこの思い出をどこかに書き留めたいと思っていたので良い機会だった。

https://note.com/nekoyanag/n/nd384926d1665

応募作品をいくつか読んだら、みなさんちゃんとひとに読まれる意味のある文章を書いていて(コンテストなので当たり前....素敵な文章をたくさん読めて幸せ!)、わたしってば的外れなことかいたけどまあいいかと思った。

そして書き終わって、真っ先に読んでもらいたい友人たちに連絡した。
それなりの頻度で会っているし、わたしたちの間では相当な頻度で話す鉄板ネタだったけど、読んでもらいたくて。何年も時を越えた交換日記、はたまた面と向かってはなかなか渡せないラブレターというべきか。感想をくれて、ああだったね、こうだったよねとそれぞれが記憶の糸をたどって旅行を思い返した。なんて贅沢な時間なんだろう。

流れた時間の分だけ、思い出があるのを実感した。
いいことも、悪いことも。

ひとに打ち明けたり、おもしろく話せるまで物事を消化するのにはわたしの場合本当に時間がかかる。
消化不良の思い出があるから....自分のことを話すのが苦手。

でもいっしょに笑って支えてくれるひとのおかげで今を大切に時計を進めていくことができている。

どう解釈するか、決めるのはわたしだ。

いつの間にかやっと、そう思えるようになった。
そのきっかけたちも、鍵アカtwitterにひとこと日記として残していたけれど、また自分が迷子にならないように自分のために文章として書き留めておこうと思った。もがいていたらとても時間がかかってしまったけれど、大好きな音楽や幡野さんや齋藤陽道さんの本、自分の好きなことにも救われやっとここまできた。もしあのどん底が今だったら、きっと幡野さんに相談をしていたに違いない・・・。

そばにいるみなさま、たのしい時間をいっしょにつくってくれて過ごしてくれてありがとう、何年たっても日々の些細かもしれないけれどたのしかった思い出逹がわたしを支えてくれています。
ことあるごとに感謝は伝えているつもりだけど、うまく伝えられていない気もしているので何度でもお伝えしていきます。

あらためて、たのしかった思い出を文章として書き留める機会をくださった岸田さん、ありがとうございました。キナリフェス、最高でした。来年も楽しみにしています。

そして、この場をかりてやり場のない感情や記憶を、書くことによって消化するきっかけをいちばんはじめに下さった坂口恭平さんにもあらためて感謝をお伝えしたいです。あの文章を公開することはおそらくこれから先もないけれど、自分の気持ちを整理するためにあのときの自分がいちばん必要としていた文章でした。仕事もサボって会議もサボってあのときあの文章を書きあげなかったら、たぶん今もあのときから変われていなかったと思います。


ひとつ、最近よく考えているのはインターネットの光と影について。キナリ杯というお祭りにどこにいても気軽に参加できて、リモートで会ったりすることのできる世の中だけど....良い面も悪い面もあって当然ですが、あくまでツールであることを忘れてはいけないな、と背筋がしゃんとした。

包丁が自分や大切な人を喜ばせるおいしい料理を作る道具でも、人を刺してしまうこともできる道具でもあるように、どのようにそしてなんのために自分は使うのかこれからも考えていく。

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