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甘いパンが食べたい

甘いパンが食べたいって、本当に甘いパンが食べたいわけじゃない。
もちろん甘いパンは好きだし、ホイップロールもメロンパンもいつだって食べたいけど、そういうわけじゃない。
自分の教室に居づらいから隣のクラスの友達に会いたいとか、特に怪我したわけじゃないけどちょっと心配されたくて絆創膏を貼りたいとか、そういう気持ちに近いと思う。

先月、大阪の今里にあるJITSUZAISEIというギャラリーさんで個展を開催させていただきました。
個展のタイトルを『甘いパンが食べたい』にしたためか、お客さんから「個展タイトルが可愛らしい感じだったのでほのぼのした展覧会かと思ったら、ちょっと怖い作品が多いから意外だった」とのコメントをたびたびいただきました。

モチーフやシチュエーションから受け取る意味って何なんだろうなって思う。

甘いパン→やさしい、かわいい、身近な印象、かるい
食べたい→ほしい、取り込み
みたいなイメージがある。
だから、甘いパンが食べたい→ちょっとした優しさに触れたい→優しさが不足してる(涙涙涙涙涙)、みたいなイメージで個展タイトルを付けました。

別に、優しさ=甘いパン、というように記号的な考えで付けたわけではないけど。
『甘いパンが食べたい』は大学生の時の心の口癖で、『甘いパンが食べたい』にはどんな見えない気持ちが象徴されているのか…ってやんわり分析して、分析結果の解釈にピンときたから個展タイトルに採用した…という感じ。
(涙涙涙涙涙)なニュアンスは絵で補ってると思う。

言葉って、あるイメージの意味の範囲を限定するための道具であるから、どうしても言葉の柵からあぶれた情緒が消えてしまうけど、そこを絵で補えたら良いと思う。絵は言葉で指定すると消えてしまうような曖昧な情緒を拾えて面白い。

抽象的なイメージを絵に置き換えるのが画家で、言葉に置き換えるのが詩人で、
反対に何気なく作った創作物や日常の所作から無意識を抽出するのが分析家だとしたら、私は画家&詩人と分析家の中間みたいな位置付けに憧れているかもしれない。

無意識の気持ちと表現の関係って本当に面白い。
それはそうとして、甘いパンはおいしい。

JITSUZAISEIさんでの個展。
甘いパンが登場する作品は個展のDM用にわざわざ描いた1枚しかなかった。

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