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念仏返しだ!

 過疎地区に住んでいるため、自治会の仕事に関わらざるをえないわけだが、この2年間はゴミステーションの設備補修を3回行った。最後はゴミネットを手作業で修復したのだが、修復したからといって野鳥の被害がなくなるわけではない。なぜならば、彼らも死活問題だし、何よりも地区外の人が通勤途中に車を止めて適当に捨て逃げするゴミがカラスやトンビの格好の餌食になってしまい、結局近所の住民の方が掃除をせざるをえないという後味の悪いことになってしまうのだ。

 なんとか不法投棄を阻止したい。そういう気持ちでやるせなくなってしまう。カラスが一方的にワルモノになるのも気の毒で仕方ない。カラスはかしこい鳥だ。一度人間で言うと中高生くらいの年頃のカラスの子に話しかけてみたら、こちらに興味を示して飛んできてくれた。が、瞬間、遠くにいた母親らしきカラスが鋭い声で子カラスを呼びつけた。その後、その子カラスは延々と説教をくらっていたように見えた。頭が良い鳥なので、日々にたいくつしてしまい、なんとか工夫して遊ぶ姿もよく見かける。カラスはいわゆる「チョロい餌場」を探して回るので、しっかり対策していれば荒らされることはない。だが、いくら住民がしっかり対策し、ネットをしっかり巻き込んでゴミを捨てても、通りすがりの人がそのネットをめくってそのままにしてしまっては、被害は一向におさらまらない。

「どうしたらいいでしょう」
「やはりきちんとした金属製のものを設置するべきでしょうか」
 などと関係者で頭を悩ませるのだが、自分が何とかする方向ならともかく、他人に行動を変えてくれというのだから実質どうしようもないのだ。
「不法投棄を見かけたら、夜中の2時に墓地の草むしりして頂きます」
 という立て看板を立てたらどうだろうなどと思うけれども、
「不法投棄を見かけたら罰金を払っていただきます」
「不法投棄を見かけたら、行政区とお名前、連絡先を教えていただきます」
 などの働きかけは双方の姿勢を頑なにして何も解決しない。

 ふと安田理深先生と暴走族の逸話を思い出す。暴走族のたてる音のうるささに対して
「あれは彼らの念仏なのだ」
 と安田先生はおっしゃったのだと聞いたことがある。不安が大きな音をたてさせる。その不安の叫びが念仏なのだとしたら、不法投棄のゴミは、自分がつらい生活を送っているからこれくらい許してくれ察してくれという叫びであり、不法投棄する人の念仏なのかもしれない。

 そうか。それならばこちらも念仏で返すのがいいだろう。不法投棄する人を見かけたら拝んで念仏させていただこう。念仏には念仏返しだ。いいんだ。ゴミステーションは浄土宗のお寺さんの向かいにある。だから念仏しても全然不審じゃない。私は浄土真宗の僧侶だから、人に対して合掌念仏しても全く問題ない。念仏は時と場所を選ばないんだから、別にどこでしてもいい。不法投棄する人に対してイラッとしてしまう自分の小ささを気づかせていただきました南無阿弥陀仏とやっても別に全然、いいではないか。たまたま私が念仏した先にいた人が、自分が拝まれていると感じて、何やら自分の中のやましさのあまり気味悪くなって不法投棄をやめてくれるかもとかそんな下心をもっているなんて、そんなことは、ない。


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