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アニソンの「嘘だからこそ寄せられる信頼」

歳を重ねるほど、アニメソングへの思い入れが増している。

加齢に伴い趣味を移り変わる時代は、趣味に「卒業」があった時代は日本では既に幕を閉じているように思える。成人しようがゴルフも車も興味を示さなかったし、公道マグナムトルネードをぶちかましていた子供達はRCカーに見向きもせず今もミニ四駆を愛している。「子供向け」、「大人向け」というラベルそのものすら時にはアホらしく感じることもある。

だからこそ、この感情のあり方には違和感がある。「変わらず愛している」ではなく「年々益々好きになっている」。加齢に伴う変化が存在している。

……とは言ったが、既に僕のなかで答えは出ている。アニソンが「虚構」を歌ったジャンルだからだ。

種々あるフィクションのなかでも、アニメや漫画は特に虚構であることに重きを置いた分野で。虚構だからこそ、現実と乖離した舞台だとわかっているからこそ、自然と扱えている手管がある。「強い言葉を放つ」ことだ。

強い言葉——具体例をひとつ挙げれば「絶対」が、アニメでは存在が許されている。現実には存在しえない。現実の人間が「絶対」とか言い出したら基本的に信じないほうがいいが、アニメのなかなら強く信頼できる。虚構だから、もともとありえない世界だから、ありえないものが当然にいられる。信じられる。代表的なものは木之本桜の「絶対大丈夫だよ」だろうか。

その虚構に基くアニソンも、同じ性質を宿している。しかもこちらは歌曲という手法を用い、聴覚で短時間で人間の情動を揺さぶるよう設計されたコンテンツだ。「強い言葉」との相性があまりに良すぎる。

絶対先に未来があるはずなんだ
愛は信じること いいえ もっと強く
果てなく与え 永遠に奪うこと

愛は守ることか 違う もっと熱く
命と一瞬(いま)を 引き替えることさ
神サマに今日もありがとう この世で最上のおせっかい
愛でみんなの背中を そっとひと押し
何でもおしゃべりしてきた 一番目の友だち
顔をあげて笑えば 心細くないんだ
世界が君を必要とする時が来たんだ ヒーロー
ほら二人で確かめよう もうなんでもできちゃう このエナジーを
アースグランナー 地球を救う準備はどんなだい?

見てくれよこの強い言葉の濁流。歳を取るほど現実に打ちのめされて、スレて達観していく人間にこのまっすぐさは劇薬だ。私小説的なJ-POPが同じ内容を吟じていたらきっと鼻で笑っていたであろう言葉たちが、「虚構故の説得力」を連れて鼓膜を殴ってくる。よしてくれただでさえ歳のせいか涙脆くなってるんだ。泣くぞ。……えっ泣いてる……

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というわけで、アニソンは強いね、というお話でした。

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