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ケア日記ーアメリカンケーキ 4月13日

コロナ禍で2度目の春 母と二人の横浜田舎暮らし 庭はいつもの春 毎朝一年で一番いい季節ねといいあっています 

母は如月の2月生まれです 誕生日を去年よりも顔色良く嬉し気に迎え、ほっとしています ひとりひとりみんなちがうので、いまの母をともだちや知り合いのお母さん方と比べていろいろ言うことはできません 3年前家でのんびり暮らし蝉と鳥の声を聞きながら夏の真っ盛りに亡くなった父と比べていろいろ言うこともできません

なんといっても母は家事が大好きです お料理縫い物着るものの手入れに庭仕事なんでも大好き一家の主婦として自分のやりたいようにやってきました 父は昔風といいますか家事全般を母にまかせきりでしたから、母は思いのままに家を仕切ってきました

わたしが実家に住んでいた10代のころ、母は横浜山手の外国人のお宅に洋菓子を習いにいっていました そこで教わったアメリカ製の泡だて器やらなんやらアメリカのテレビ番組に出てきそうな大ぶりの製菓道具をウチの手狭な台所いっぱいに並べ、母は材料の分量や混ぜ加減焼き加減について仕入れたての薀蓄を披露しながら素敵なケーキを作ってくれました 細かいことを言うだけあってさすがに美味しかったです 先生のレシピを細かく書いたノート、どこかにあるんじゃないかしら? 

習い事が好きなのはおそらく若い頃からの母の美点で、和洋問わずよく習い事をしてきたひとです 母が幼いころは祖母が趣味で習わせたのでしょうか 道具を揃えたり、先生と生徒さんでワイワイおしゃべりするのが楽しいのでしょうね いまも覚えていたら、アメリカの大きなケーキのコツを教えてほしいとおもうくらいです

母は娘のわたしにああしなさいこうしなさいとうるさく言って手伝わせることがあまりなかったので、わたしはちょっと不安になってひとりで料理や季節の大掃除の実用本や家事がよく出て来る小説を探しては日本の家の暮らしを知ろうと想像力をたくましくしていました 学生時代、大学の近くにひろがる東京の下町に部屋を借りて下宿したのも、小説に出てくる下町のつましいけれど豊かな暮らしの知恵を身につけたいとおもってのことでした 

下町で最初に飛び込んだ不動産やさんがいいひとで、「このまちは銭湯がたくさるあるから女の子でも風呂なし部屋でだいじょうぶだよ」といってくれたことばにそのまま乗って風呂なしの部屋を借り、銭湯通いをしました 銭湯のおかげでともだちができ、江戸時代のころの通りの名前やら古い通りの名がついた祭りの仕来りやら界隈の歴史を聞き覚えました

何年か後にユニットバス付きのワンルームマンションに引っ越しましたが、その後も銭湯通いで足掛け20年くらい続いたでしょうか コロナで馴染みの銭湯が閉めたというニュースに寂しい気持ちになりました 生活の場だった銭湯の思い出はかけがえのない宝物です

この春、めでたく元気になった母は、手間のかかる洋菓子はともかく家事に精を出して張り切っています 調子に乗ると50代か60代くらいの要領で動こうとするので、なかなかどうしてうまくいかないことが多々あるようです それでも自分の身体が好きなように動くというのはほんとうに自由でウレシイことなのだろうなあと感心します

そして、ひとつ。どうしても書いておきたいことがひとつだけあります 若く力自慢だった頃の母の生活になかったもの、それはセルフケアです いそいそと家事に精出すほど元気になっても、昔の生活を取り戻すだけでは足りません 体調が不安定だった頃に娘のわたしが手探りしたホームケアをすこしずつ母自身のセルフケアに変えていってもらうことです

母がセルフケアを身につけてくれれば、わたしは24時間ヘルパーさん状態から解放され、肩の荷が少し軽くなります わたしがたまに野暮用で不在のときも母がセルフケアできればお互いに心強くなります

年を重ねてしょっちゅう時間はまるくなり、新しい工夫をシニアライフに取り入れて、忘れないように維持するのは、本人とってはあんまり歓迎したくないことかもしれません 母にすれば「いまさらめんどくさいわ、アンタやってよ」ですませたいところでしょう 毎朝自分でバイタルチェックをするといったいままでにない手間暇を母に求めるのは遠慮して、同居の娘は24時間そばにいるヘルパーさんに徹するのが正解だよという考え方もあるかもしれません

でもやっぱりわたしは、母にひとつでもセルフケアを身につけていってほしいのです 家族のケアは、家族の生活の一部ですから、プロの看護師さんやさまざまな職種の方が仕事としてなさるのとは本質的にちがいます 家族のワンオペケアには休暇、有給、それにけっこう大事なことでローテーションもありません なにしろワンオペはひとりで24時間コンビニ状態で回しているもので複数の人がローテーションで回している病院や施設と大きくちがうところです

訪問のケアはコロナが始まった頃に契約を終了したままになっています とすればケアを受ける側とケアをする側は、旅の荷物を振り分けて背負うやじろべえのように振れながら、お互いの状態に応じて少しずつ背負いあっていくのが長続きの秘訣かなあとひそかにおもうのです

家族のなかでは、面倒をかける側とかけられる側がきれいに線引きされるものではありません 長年かけて相手をよく知っている親子であり、ともに暮らす関係は一筋縄ではいかないデリケートなものとおもいます 春の庭にやってくる鳥の声を聞きながら少しずつセルフケアを振り分けあい、試しながら、あきらめずにコツコツと繭をつむぎ、まだまだ続くおうちライフをつくっていきたいです

「静かに暮らしたら終わりよ」事もなげに母はいいます おそらくわたしよりもずっと活動的で好奇心に満ちているのです 精神年齢の若々しさは母が生来誇るべきものなのでしょう 気持ちの若さは父がいた頃には気づかなかった母の性格らしく、いつもまず気にしていた連れ合いがいなくなり、少女のころから持ち前の自由闊達さが戻ったようです

年を重ね、気持ちの若い母とうまくやっていく秘策は一体なんでしょう 意気盛んな母に振り回されながら明け暮れしいつのまにか四季がめぐっていくのがゴールなのではなく、うまくうまくなんとかなんとか背中の荷を振り分けながら一日ごと生の実感がともにあることかと、つくづくおもいめぐらせています

ここまで書いたケア日記を母にみせてみました これを読んでちょっとは考えてくれるかしら?と淡い期待を寄せながら、年季の入った柱にひっかけてある老眼鏡をしながら母が記事を読む姿をじっとみつめていました 

しばらく黙って読んでいた母が顔をあげていった第一声は「素敵なお母さんね」でした あら残念そう来ましたか笑 アメリカンケーキを山手のお宅にいそいそと習いにいっていた昔を思い出して嬉しくなったらしいです 読みおえた母の頭にやじろべえが残るかどうかすっかりあやしくなりました そう簡単には問屋が卸しません

このケア日記のメインはアメリカンケーキと思うのが、やはり母なのだと妙に納得した次第です 日暮れて道遠しやじろべえを力説しても東海道を旅する犬の遠吠えのごとく母の胸には届かないようです そういうわけで今回のケア日記作戦はあえなく娘の完敗に終わりました これからもすべってころんでわが家のケアライフは続きます 

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