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二俣川古道を歩くー宮沢遺跡

二俣川駅から本宿の大池へ 

いつも買い出しに出かける地元スーパーは、相鉄線二俣川駅南口から登っていく坂道に沿って建っている。坂道は昭和の宅地開発のときに整備され、幅広でまっすぐ。この坂をのぼり切った丘の上は平らな商店街通り。商店街がおわると、下り坂の坂道がまっすぐ自然公園に続く。

こども自然公園というのは新しい名前で、もともとは大池公園という。本宿の大池といわれた大きなため池があり、北条義時が畠山重忠を討伐するために鎌倉から数万騎の大群を率いてやってきたときに大池のあたりに陣を敷き、池の水で炊き出しをしたと伝わる。 

畠山重忠イヤーと宮沢遺跡

そろそろ大河ドラマでも武蔵国の支配をめぐる不穏なやりとりが出てきて、重忠ファンは日曜の晩に息詰まる思いをしている。重忠が討たれる二俣川合戦が近づいている。さまざまに語り継がれる重忠軍134騎はドラマのなかで一体どんな風に描かれるのか気になって仕方がない。 

ふだんは静かな界隈が今年はすっかり畠山重忠イヤーだが(地元の重忠ファンには古戦場の盛り上げに物足りない思いをこらえている人もいる。三浦一族の衣笠の盛り上げぶりを見習ってほしい)、二俣川駅近スーパーの裏手にある古道の話をしたい。裏手に一歩入ると縄文時代の宮沢遺跡がある。遺跡らしいものはないが遺跡のあったところが宮沢公園と名付けられ、縄文中期の竪穴式住居があったと書いた立て看板が立っている。

この丘陵地帯は、縄文時代から人が住むムラだった。800年前の畠山重忠どころではない古い歴史がある。細い道といえば下町の路地を思い浮かべるが、ここいらへんの古道はちがう趣、山の緑のなかの細い道である。 

昭和の新興住宅地と古い土地柄

わたしは、この丘の上に昭和期に開発された住宅地で生まれ育った。住宅地内に昔のよすがはなく、昔から人の匂いが染みついている下町の路地に憧れて東京の谷根千に長く暮らした。下町暮らしは20年以上だろうか。帰って来ないかという父の言葉を思い出し、地元にリターン。それではじめて地元スーパーの裏に古い歴史が眠ると知った。父は古道を知っていただろうか。

住宅地以外の地域は、みな一様に古い。神明社という名をもつ、由来がわからないほど古い神社があちこちに点在する。

郷土史にない遺跡

手元にある横浜市旭区の郷土史の本に宮沢遺跡は載っていない。写真をとろうにも遺跡の痕跡ひとつないのだから仕方ががない。ほかの本を探せば宮沢遺跡の発掘調査の話くらいは書いてあるかもしれない。

夕暮れの宮沢公園をみわたす、小さなジャングルジムがぽつんとあるだけ。宮沢遺跡と書かれた立看をちらとみて通り過ぎてしまえばそれまでである、

立看によると、発掘調査を行って丘一帯に広がっていた縄文時代のムラは3000㎡の広さ、かなり広い集落だった。遥か昔からこの地に人々が住み、この地で採れるものを食べ、この地で生き、葬られてきた。帷子川・二俣川の名がいつからそう呼ばれたのか不案内だが、人々は川で採れる魚を食べ、湧き水を飲んだことだろう。

相鉄線はジャガイモ電車?

もうずいぶんまえの話。鉄道の歴史にやけに詳しい知人がいた。地元の電車は相鉄線だと知人にいったら、あの電車はただの田舎電車ではない、なにしろ出来たときはジャガイモを運んでいて、人間を運んでいなかったという。相鉄線ができたのは大正年間。その頃、相鉄線の沿線は畑ばかりでほとんど人が住んでいなかったのではないか、そんなことも知らないでよく乗っていられるなと知人は半分笑いながらいった。

ジャガイモ電車という言葉ははじめて聞いた。港の方にある女子中学校への通学以来、毎日乗ってきた電車だ。返す言葉もなくうなだれ、それ以来、知人の顔をみるとジャガイモ電車の言葉が浮かんで、あまり話さなくなった。悪気はなかったのだろうが、あまりいい思い出ではない

しかしどうだろう、いまこの土地に眠る歴史の蓋をあけてみれば、縄文中期から広い集落がある。鉄道の歴史に宮沢遺跡は登場しない、相鉄の開発の陰に隠れた歴史である。余談だが、他人のふるさとを生半可な知識で攻撃しないほうがいい。鉄道史を知れば全部知った気になり、滔々としゃべりたおす人の視界には入っていないとんでもない歴史が大木の向こうにひっそりと隠れている。

こんな風に書くからといって、その筋では名を知られるその人にマウントをとりたいわけではない。歴史は思いがけないことに満ちていると返す返す思うきっかけを教えてくれたのだ。

地元スーパーの裏手は、太古の昔から人が住んできた。奈良時代にも平安時代にも鎌倉時代にも江戸時代にも人々はこの地に住んでいた。

昔語りは500年タイムスリップする

古くから代々この地に住む人の話を聞き始めると、昔話が長い。何時間でも話している。昔といっても一体いつの時代かわかるまでが大変だと、人々は異口同音にいう。

鎌倉時代か江戸時代か、語りだした人の話を辛抱強く聞いていないと、昔話といってもいまどの時代にポイントをあてて話をしているかわからないんですよ。ああそうだと言いながら話の途中で500年くらい平気で行ったり来たりするんだからすごいですよね。

緑の大木に囲まれた宮沢公園をひとまわり歩いてみて、500年くらい平気で話が行ったり来たりする感覚が腑に落ちる気がした。4500年も前の縄文中期の遺跡があるのだから、500年くらいわけはない。

歴史ある土は生きている

地元の古い人にとっては、この地は先祖が耕してきた土地、先祖が守り育ててきた大切な宝だ。敷地の隅々をコンクリートで覆った最近の戸建ての家が増え、悔しいと泣いている地元の人がいるという話もうなずける。

この数十年、宅地開発や相続などで次々と手放したいまとなっては、今更、土の息の根を止めないでくれとはいえないが、先祖から受け継いできた黒土をセメントで固められるのはやっぱり切ないね。

リターン組から見えるまちの景色

東京での研究や仕事を離れ、生まれ育ったまちに舞い戻ってはじめて地元の歴史に触れた。大河ドラマで畠山重忠がたくさん登場するというので、畠山重忠公遺烈碑のそばで畠山重忠公壁芝居なるものをやってみたら、地元の歴史が向こうからやってきた。構想企画から足かけ半年、準備をしながらいろいろな人と出会い、地元の歴史にまみれた。

いままで知らなかったまちの歴史あれこれを知ると、まちの景色が一変してみえる。すれ違う人さえ歴史の一部にみえる。 

二俣川は糸のように細い流れがどこまでも続く川。二俣川古道は深い緑のなかを糸のように続く細い道である。

いま、二俣川駅の近くでは、古道を壊して、新しい道路をつくる工事中である。相鉄線は今年創立105年を迎え、都心に直通する新しい路線の宣伝に余念がない。

超がつくほどの高齢者過疎地域といわれてきた丘の上に若い住民が増えるかもしれない。これからやってくる住民の目に、二ホンリスが遊ぶ緑深き二俣川古道はどう映るのだろう⭐︎


   

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