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プレゼントーク翻訳ーちょっと一服

プレゼントーク原稿の英訳企画、原稿作りが終盤にさしかかりました

下訳は文章ごとにひとまず英語に直しました 翻訳の専門家に下訳チェックをお願いしていたあいだも、文章ごとにどう英語に置き換えるかがテーマでした ふたつの文章をまとめてはどうかというはなしがでたところが何か所かありましたが、基本は置き換えです

チェックが完了してしばらくは、和文と訳文を横にならべて見比べました それがどこでどう変わったのか、いまは訳文ばかりながめています

この数日は暇をみては気になるところをロングマン英英で調べたり、下手な発音で音読してみたり 和文からの置き換えというより、なにかちがう感じがします

どう直しても和文を書いた自分に血相変えて叱られる心配はないのでこの際手前勝手もいいところ かといってふざけているわけではなく、いたって真面目にやっているうちになぜだか和文を見なくなってしまった次第です。。

はたしてこのまま突き進んでよいやらわるいやら 翻訳学の知識も技法もありませんからあぶなっかしく手探りするのみです

そんなこんなでちょっと立ち止まってnoteでも書いてみようかとおもいついたのがいまここです noteでもなんて言ってはいけませんが、ひとりで妙にスピードがついて止まらないときや、反対にがんじがらめで動けないときは、noteを書いてみるとふしぎに落ち着きます おまけにはっと気づくことだってあります

ひとりで落書きしてるのとどこがちがうのかわかりません ちょっとひとやすみ、お茶の一杯でもいれて一息ついてみようかという感じです

この三連休明けには印刷の見積もりの連絡がきます さあそろそろというときにおよんで、わたしはなにを英語でゴソゴソやっているのだろう 夏バテがしぶとく居座る体調でなにを気にして訳文をああかこうかといじっているのだろう 煮ても焼いても食えない自分の変人ぶりに手を焼きます

自分の深層心理、inner voice を考えてみれば、そもそも元の和文はあのときいいたかったことを言い尽くせていたかというはなしです 和文をいかに咀嚼して英文に置き換えるかよりも、和文ではあのような表現になっているけれど、英文ならもっともっと別の言い方があるのではないか 

それからもうひとつ たとえていえば和文では言いたいことの6割くらい言えたけれど、残りの4割くらいは言語化されていない 英文ではその6割のうち英語化できないところがあったとしても、言葉にならなかった4割のなかからひとすくいでも英語にできないだろうか 

めんどうなはなしで、翻訳というより、こんどは下手を忘れて英文で書いてみようです 

はるか大昔の学生時代、大学のカフェでみんなでわいわいしゃべっているときに、バイリンの友人が日本語でしゃべると、すぐニコっとして留学生にいまのはなしはこうよと英語でしゃべるのでした ふたつのはなしはたいてい微妙に違うけれどやっぱりおんなじことを言っていて、どちらも彼女らしいはなしでした とくに留学生には親切に日本の豆知識を早口で足しながら話すのでした 

わたしは彼女の達者な話術がおもしろく、どちらもあなたらしくて好きよと言ったのを覚えています いつもカッコよく日焼けし、ラテンぽいお洒落が似合った彼女は慣れた顔で何語でも自分語なのよとわらっていました

ラテンといえば彼女はポルトガル語もできるひとで、スペイン語の人がカフェのおしゃべりに混じっていたときはやってみるわと果敢にもポルトガル語で会話に挑戦していたのはさすがに驚きでした

彼女はポル語はスペイン語にとって古語とおもえばいいのよといいながらポル語でがんばって話すので、わたしは横からああ平安時代の源氏物語でしゃべっているとおもえばなんとなくいいのねといったら彼女はまたわらっていました

家族の仕事柄と持ち前の旺盛な好奇心でいろんな国を旅したそうで、彼女は大学生といっても年齢が少し上で社会人みたいな雰囲気がありました 世界中どこにいてもどんな相手にたいしても、とにかく伝えたいわかってほしいという意思が太陽のように明るくストレートでした

明るい国際派の彼女はいまどこでどうしているでしょう そんなことをときどき思いながら訳文をながめています

今日は秋晴れ 庭の柿をひとつもいでみようかしら ウチの柿の木は去年実をお休みしていました ことしはどんな味で楽しませてくれるでしょう

そういえばこのごろ、製造物責任の言葉をあちこちで見聞きするようになりました PL法の仕事やら研究やらをはじめてから、こんなにいろんな方が製造物責任という言葉を口にするのをみるのははじめて、目を見張るおもいです

翻訳中のプレゼントークは、社会的責任としての製造物責任からカネミ油症を考えてみようというものです もともとPL法の立法思想には社会規範としての製造物責任という考え方があり、そこから社会的責任としての製造物責任のはなしをしています 

和文原稿を準備していたころは、まさか一年後に製造物責任という言葉をとりまく世の中の環境が日を追うごとに様変わりしていくとは思いもよりませんでした 

PL法の仕事をしたり、思い切って本を出したときも、「せいぞうぶつせきにん? なあにそれ?」ってたいてい怪訝な顔をされ、つぎの言葉をぐっと飲み込むのが年中行事でした 

時は移り、いま、製造物責任という言葉が法律の柵をとびこえて社会のいろんなところにでかけ、いろんな方の思考や想像力を刺激し、そこで言葉自身が新しい経験をしているようにみえます

可愛い子には旅をさせよの気分になっているのはちょっとした親バカでしょうかw(実のところはわたしが製造物責任法に育てられたというべきですが、最近わたしも大人になり、世に言う親バカ気分がわかるようになりました)

冗談はさておき、1994年のPL立法から今年で27年になります 年月を経て、製造物責任法とは深い法律だと感嘆するコメントを目にするのは、背中をつかれるような驚きです 

プレゼントークでおはなししているとおり、製造物責任法は「生ける法」であり、その立法思想からして裁判と社会のなかで発展すると考えています

いうまでもなく法概念は裁判所と法律家の専売特許ではありません 法概念は社会の構成物であり、命をもって社会のなかで生成発展する生きた言葉なのです  

もともとが哲学・法哲学研究の出身で法解釈から離れたはなしをつい書きたくなります キリがないのでこの辺でやめますが、きっとまたどこかでムクムクと書きたくなるのでしょうねw

長すぎる夏バテ中のいまは限られた時間のなか、つたない訳文を仕上げるためマイペースでいきましょう

ここまで読んでいただきましてありがとうごいました☆








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