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ケア日記ーケアする母 6月23日

5月半ば、別に暮らす妹がケガをしました 交通事故で骨折です はじめは手術しない保存療法を考えましたが、結局、入院・手術・退院してリハビリのコースになりました いまは、自宅でリハビリ生活をはじめた妹をリモートでサポートしています

事故が起きたころは、ちょうど母がだいぶ調子がよく、ひとりで杖なし散歩にでかけるようになり、ひと安心していました

「ママね、このごろ調子いいのよ」と妹に報告し、「ふうん、よかったじゃない」と返事を聞いたばかりのある夕方、妹から半分泣き声で電話がかかってきました

「いま病院にいる。運ばれたの。車のタイヤにひかれちゃった」ふだんは茶目っ気たっぷりの妹が、声に力がはいらず、電話の向こうで崩れおちそうでした

それからひと月くらい経ちました 術後、オペをしてくれた整形外科の先生と話したり、入院中のリモートケア、差し入れに退院準備、入院先に出向かなくても、毎日追われるように過ごしました

ケガをした妹の人生観も変わったかもしれませんが、変わったのは目の前の母です 妹のこれからを考え、自分が世話しなければと思ったようです

年を重ねると段取りや計画を立ててなにかをすることがだんだん苦手になると聞きます たしかに、母と暮らして、わたしが段取りなんかをいうと、だいたい母はすまし顔でスルー、「どっちでもいいのよ」でおわりです

母と事前にいろいろ相談して進めようとしてもほとんどうまくいきません 目の前の「いま・ここ」以外はとんと気にしていない様子です めんどくさくなると母は決まって「わたし認知症だから、もうわからないのよ」といってすましています 

その母が、妹の一報からガラリと変わりました 妙に真顔で、退院後は妹の世話をしたいというのです 

病院では、退院先が母とわたしが暮らす家でも、妹の自宅でもおんなじ自宅退院です とりあえず自分の自宅に戻るという妹のリモートサポートをしているあいだじゅう、母は見事に不機嫌でした 「ここへ帰ってくればいいのよ」 

食事をしても、お茶をいれても、退院後に必要な福祉用具をAmazonで注文しても届いても、すべてがすべて気に入らないのです わたしに向かって何度言い放ったかしれません「あの子はここへ帰ってきなさい あんたがそういいなさい!」

わたしは板挟み状態のまま退院の準備をし、肋間神経痛で胸をおさえる日が続きました 待ちに待った退院の日、介護タクシーにのった妹は実家に立ち寄りました ピンポーン!

玄関先に出てみると、車いすに乗った妹が笑っていました レンタル車いす、松葉杖、シャワーチェア、作り置きの冷凍フチャハンバーグにフチャシウマイ、作りたてのポテトサラダ、海苔巻き混ぜおにぎり、出したばかりのぬか漬け、ゴマいわしにありあけのハーバー、長野千曲の干しあんず(とても美味しい)、お米にパンに切り餅、思いつくかぎり準備したいろいろを介護タクシーに積み込み、妹は自宅へ向かいました

妹の顔をみて母もひと安心したかと思ったら、どうも様子がおかしい 落ち着かないのか、むずかしげな顔いろでまたはじまりました

「あの子はここへ帰ってくればよかったのよ あんた、あの子にそういいなさい!」

何度も繰り返す母を、わたしは胸の疼痛をてのひらでおさえながら聞いていました 翌朝も朝食のコーヒーをいれながら、母の繰り返しは続きました お気に入りのオーブントースターでパンを焼き、一緒に食べても、母のキツイ言葉はやみません お昼もおなじでした

「あの子の世話をしたいのよ できないなら、ここにいたくないわ パパいてくれればいいのに寂しいし、ここにいたって役に立たないもの 施設でもどこへでもやってちょうだい!」

父が他界して3年 わたしと暮らしても母は寂しい 元気になるほど寂しい お昼を片付けながら、わたしは母にいいました

「妹の様子をみてくるわ」

レンタル介護ベッドが置かれた妹の部屋でひとしきり妹と話しました ゆっくり話すのは久しぶりでした まあその間、一体何回母に電話をかけ、かかってきたことでしょう(笑)。。 

窓の外、梅雨まえの夏空が暗くなってきたころ「そろそろ帰るわね」といってわたしは妹のところを出ました 遅い時間に電車に乗るのはずいぶん久しぶり 乗客はだれも話すひともなく、みな一様に押し黙り疲れているように見えました

帰宅すると、母は機嫌をなおしていました 「ゆっくりしてきて、よかったじゃない?」「いろいろ話してきたわ、すぐじゃないけどこちらでもリハビリできるようにしておきましょうね 妹が来たらほんとに忙しくなるわよ」

母の転倒予防だのお風呂サポートだのと母のケアで頭いっぱいのわたしは、母にとってつまらない娘です 母にはあれこれわがままいって世話を焼かせる家族が必要でした 父がいなければ、その家族はもう一人の娘、わたしの妹なのです もともと妹は幼いころからこのお得な役回りを心得ているのかもしれません

いつでも待っていて、世話を焼きまくる母親がいる実家があるとは、妹は幸せ者です わたしの役どころは、母が妹を世話し、妹が母に世話してもらえる環境づくりをやっていく黒衣です 父の在宅ケアのときとおなじ役です

父の在宅ケアのあいだ、母が汗を流して張り切る一世一代の姿をたくさん見ました 母と父には生きがいにあふれた時間だったのかもしれません 今度もおなじでよいなら話はカンタン、2人のあいだに入って肋間神経痛になるほど悩むことなどありません

母はスマホの電話口で妹にいいます「早く一緒にあそびましょう」 そして笑いながらわたしの方を向いていいます 「あんたが年をとったら、世話してあげるわよ」

母と妹とわたし、3人のうち一番年下の妹が一番世話が焼ける日々がもうはじまっています

ここまでお読みいただきありがとうございました☆


 


 


 

 




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