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仕事(看護師)

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仕事(看護師)を通じて感じたことや考えたことについて書いたテキストをこちらにまとめています。
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記事一覧

資格を肩書きにするということ。

「ドクターハリー、ドクターハリー、三階南病棟××号室までお願いします」 明日のオペの準備をしていたら、アナウンスが流れた。 針井という名前のドクターを呼び出しているわけではない。これはハリーコールといって、院内で患者の急変などの緊急事態が起きたときに全館に応援を要請する非常放送である。 胸骨圧迫は数分ごとに交代して行うから人手がいるし、人工呼吸に除細動、点滴ルートの確保、気管挿管や薬剤の準備、モニターの装着、記録係、家族連絡、他患者への対応……とその場のマンパワーでは足りない

子どもに大学に行ってほしい理由

友人が高校三年生の息子のことで頭を抱えている。 進学希望なのに、いまだに志望校の目星もつけていないという。三者面談で興味のある学部も言えず、あきれられたらしい。 「一日中スマホ触ってんのに、どこにどんな大学があるかとかオープンキャンパスの日程とかは調べもしない。もちろん勉強もしてない。どうするつもりやろうって毎日イライラよ」 私だったら、「行く気がないなら就職しなさい!」と言うだろうな。 社会に出てから「やっぱり大学に行っておくんだった」と本気で悔やむことがあったら、社会人

欲しいのはオンとオフ

昨春、病院勤務から訪問看護に移った友人がもう転職を考えているという。 ステーションが二十四時間体制をとっているため、月に五、六回オンコール当番が回ってくる。それが苦痛でたまらないらしい。 「いつ呼ばれるかわからないと思ったら、気が休まらない」 「お酒も飲めないし、遠出もできない。休日が休日にならない」 とこぼすのを聞きながら、そうだろうなあと頷く。 私は看護学生時代、高齢者施設で介護士として夜勤のアルバイトをしていた。 二十時から翌朝八時までスタッフは私一人。入所者が転倒し

カバンの中の「そんなもの」

以前から不思議に思っていた。彼女とは夜勤入りのときにロッカールームでよく会うのだが、いつも「いったい何泊するの?」と訊きたくなるくらい大荷物なのだ。 その日も私のトートバッグの三倍はあるスポーツバッグをかついで病棟に上がろうとしていたので、思わず「すごい量だね……」と声をかけたら、「よく言われるの」と彼女。 そしてその中身を教えてくれたのだけれど、耳栓、アイマッサージャー、むくみを解消する足裏シート、ブランケット、スウェットの上下、ペットボトル加湿器……と休憩時間のためのアイ

大人になって夢を追う

このところ、芸能人が大学や大学院に入学したという話題をネットニュースでよく見かける。 高校を卒業して就職する人より進学する人のほうが圧倒的に多いから、鈴木福くんや本田望結さんがどこそこ大学に入学と聞いてもへえと思うくらいだが(芦田愛菜さんはさすがだ)、すっかり大人になってから「学びたいことができた」と大学生や大学院生になる人たちには感心する。 医師でタレントの西川史子さんが「リハビリの先生になって、自分と同じ病気(脳内出血)の方を治療することが目標」と聖マリアンナ医科大学大学

考え方のクセとメンタルの保ち方

夜勤で午後に出勤したら、待ってましたという感じで仲良しの同僚がやってきた。 「〇〇さん、異動だって」 今朝の朝礼で発表があったらしい。 循環器病棟で退職者が出て、さらにもうすぐ産休に入るスタッフがいるという話は聞いていたから、どこかの病棟から補充されるのだろうとは思っていた。そうか、うちは来月からひとり減か……。 とがっかりしていたら、彼女が小声でつづけた。 「師長、〇〇さんのこと苦手そうだもんね」 〇〇さんははっきりものを言う人で、師長にも意見することがある。そんな〇〇さん

テレビドラマとリアリティ

若い同僚が新ドラマ『夕暮れに、手をつなぐ』の視聴をギブアップしたという。 彼女はヒロインと同じ九州の地方出身なのだが、その方言が聞くに堪えなかったらしい。同じドラマを見ている別の同僚が、 「あなたも地元の友だちとしゃべるときは、自分のことを『おい』って言うの?」 と訊いたら、 「そんな一人称使う子、見たことない。広瀬すずがしゃべってるのは架空の方言だから」 と本気でムッとしていた。 このドラマの方言については、初回の放送後にネットニュースでも話題になっていた。 脚本家による

やらずの後悔

読売新聞の「小町拝見」欄で、タレントの光浦靖子さんのコラムを読んだ。 三十代の頃、「いい歳してみっともない」と思われるのが怖くて恋愛に踏み込めなかったが、四十代になったときに「三十代なんて“いい歳”ではなかった」と気づいた。そして五十代のいま、「四十代も“いい歳”なんかではなかったんだ」とまた後悔している、という内容だ。 やりたいことがあっても周囲の反応が気になって尻込みしてしまう、というのは誰にもあることだ。とくに恋愛事では「イタイ人」と思われるのを恐れるあまり、一歩を踏

これより先はレッドゾーン

仕事が休みの日に家や子どものことで予定が詰まっていると、ひとり暮らしの頃を思い出して、 「二十四時間を自分のためだけに使えるって、なんてぜいたくだったんだろう」 と思うことがあった。 自分だけなら、おなかが空かなければごはんはつくらなくていい。洗濯物は二分で干し終わり、部屋も散らからない。ああ、なんて楽チン。たまには家の用事も子どもの世話もしなくていい、ご褒美みたいな一日がほしいなあ、と。 しかし、本当に二十四時間を自分のためだけに使えるようになったら、それはご褒美なんかじ

天職

夜勤の日は始業の一時間半前には病棟入りする。 勤務開始までに患者の情報収集や点滴準備をしておくためだが、それが済んだら私はその日受け持つ部屋をひと回りする。ひとりひとりに「今夜は私が担当です」を伝えるのだ。 その日もいつものようにあいさつに行ったところ、ある患者が開口一番言った。 「夜、トイレに行きたくなったら連れて行ってもらえる?」 午前中に別の病棟から移ってきた人で、私とは初対面である。いきなりのトイレの予約に驚きつつも、もちろんと答えると、 「でも、何度もお願いするか

夜勤明けの幸福

「えー、来月四回……」 という同僚の声が聞こえてきた。 次月のシフト表が配られたら、まず夜勤の回数を確認する------これは“看護師あるある”のひとつだ。 夜勤は少人数ゆえ「メンバー」も重要であるが、それ以上に気になるのが「何回夜勤があるか」。 身体や家庭の事情で夜勤を免除されている人もいるけれど、私のまわりは「夜勤は多ければ多いほどうれしい」という人たちである。 最大の理由はやっぱりお金だ。 「看護師さんはお給料いいんでしょ」と言われることがあるが、それは夜勤手当があっ

利き手の壁

昼食の配膳中、「お箸ください」と声がかかった。 「出してませんでしたか、すみません」 ふと顔を見ると、初めましての患者さんだ。 言葉がたどたどしく、右半身に麻痺があるよう。そうだ、朝の申し送りで十時入院の患者には脳梗塞の既往があると言っていたっけ。 担当の看護師は右手が使えないなら箸は無理だろうと思い、スプーンとフォークしか用意していなかったのかもしれない。 割り箸を割ってトレイに置くと、その人は慣れた様子で左手に持った。そして、カボチャのいとこ煮の小豆を難なくつまむと、口

青春の後味

私はいま、電車とバスを乗り継いで職場に通っている。そのため、「どうして通勤に小一時間もかかるところに就職したの」と同僚によく不思議がられる。 たしかに、スタッフの多くは車かバイクで通勤しており、自宅から三十分圏内という人がほとんどだ。病院はいくらでもあるから、わざわざ遠くを選ぶ理由が思い浮かばないのだろう。 私は教育体制がしっかりしているところに就職したかったので現在の病院に決めたのであるが、十代の終わりまでその町に住んでいてノスタルジーがあったことも少しは関与している。

大門未知子にはなれないから。

女性患者の四人部屋を訪ねると、カーテン越しに世間話をしていることがよくある。 そんなときは処置をしながら会話に混ぜてもらうことがあるのだけれど、今日はいつもと様子がちがった。部屋の入口で「失礼します」と声をかけた途端、話し声がぴたりとやんだのだ。 看護師の愚痴でも話してたのかなと思いながらAさんに点滴ボトルの交換に来たことを伝えると、バツが悪そうに、 「いまね、空気殺人の話をしてたの。ほら、施設で介護士が患者に注射器で空気を入れて……って事件あったでしょ」 と言った。 その