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注意の凝り固まり

 健康な人には、感覚的にわかりにくい話かもしれない。
 まあ、そういう人もいるのだというくらいに聞いていてほしい。

 どこかで書いたので繰り返しになるかもしれないが、病気になったあと、私は、注意の振り向け方とか、物の見え方が変わってしまった。
 病気と言うのは、私は、極端な疼痛を抱えているのだが、それ以外にも、感覚が変わってしまった部分があって、それは、例えば、ものの見え方だ。
壁を見ても、模様が細かく見えるとか。
 目がいいとか、そういう意味ではなく、無理やりレンズで細かいものを見させられているという感じだろうか。細かく見えるけど、振り向けられている注意の範囲は、とても狭い。だから、全体のバランスをつかむのが難しいというか。過剰な一点集中のような感じ。

 細かい作業をしているのでなければ、注意力というものも、ある程度全体を見渡して、重要そうな所だけ気がつけばいいのであって、そんな細かい情報を絶えず拾っていたら疲れてしまう。
 注意とか感じ取るものが、非常にバランスが悪い。
 病気が非常に悪くなったときに、痛み以外の感覚の違和感がたくさんあって、それが、何なのか、確かめていったのだが、その一つが、この注意の向ける力と範囲のアンバランスさだった。病気になる前は、注意の配分なんて自動的にできていたものが、なんかできないし、どんどんバランスが、悪くなっていった。体が凝り固まるだけでなく、注意も凝り固まるのだ。
 自分の意志でコントロールしにくい注意が凝り固まる現象も、生活がしにくくなるし(どこかに注意がロックオンされると、無理やり剥がさざるを得ない。ネガティブな内容から注意を逸らせないのも困るのだが、ネガティブでないものでもも、考えている事が、ぎゅうっ、何かの拍子に、そのことに過剰に注意が行ってしまって、そこから注意を動かしにくくて、脳みそが締め付けられるように苦痛だった。いろいろ調べていると、ある種の脳の障害の人にも、どうも起こるらしい。ただ、もっと、強烈に起こるらしい。画像検査では、脳に何かダメージを受けている感じではないらしいのだが。

 病気が最高潮で痛くてたまらない毎日。病院に通っていたとき、乗っていた電車が高架橋を端って遠くの景色が見えた。景色に意識を向けることはあまりなかったのだが、遠くの景色を意識して見ていると、なぜか楽だった。
なぜか考えてみると、遠い景色というのは、注意を集中しようがないというか……目立つタワーがあるとか、そういうことでもない限りは……電車の遠い景色は移り変っていき、注意も自然に移り変わり固定されないのだ。

 もう一つ不思議なことも経験した。冬、加湿器を使っていたのだが、その湯気を見ていた。湯気は、似たパターンだが、それでも二度と同じ形ではないものが次々噴き出している。
 雲を見ていても、そんな感じだった。似たようでいて、同じものは二つとなく、凝視しようがない。
 意識して見ているのに、注意が凝り固まらないものがある。これも少しヒントになった。

 体と心(注意)をガチガチにしないで、動かすためには、どうしたらいいか。注意が変に凝り固まってしまったりするので、なんか、ばらけさせることができないかと思った。
 たぶん、外、しかも、遠くまで見えるような場所を、移動するのがいい。電車の高架橋で、それを感じた。でも電車では、お金がかかってしまう。幸か不幸か、私が住んでいる所は田舎だ。自然はいっぱいある。
 それで、スマホの地図アプリなどを使って、車が少なく、高低差も少なく(坂があると辛い)見通しがよいルートを探した。
 長距離歩くのは無理だが、プールのリハビリで自転車くらいは乗れるようになっていた。そして、自然がいっぱいというのは、植物がたくさんあるということでもある。植物も、同じ種類のものも多いが、一つとして同じではない。一本一本が成長度合いも、色も、全部違い無数に生えている。そして、日々成長して変化している。葉も茎も花も、一つ一つ違ったものが無数にあって、それの印象が柔らかいのだ。複雑なもの、例えば、複雑な機械を見ていると頭が痛くなったりするが、植物を見て、そんなことを、少なくとも私は感じなかった。
 滅茶苦茶に多様性があるのに、自然は柔らかい存在なのだ。

 やってみて、これは当たった。家でじっとしていたら、体の血流も良くない状態だし、その悩ましい注意の凝り固まりもほぐすことができない。でも、外で見通しがよかったり、植物がたくさんある所では、体のリハビリだけでなく、注意障害のリハビリにもなった。
 それを最近忘れてて、散歩がおざなりになるようになっていた。何か、最近調子が悪いなと思ったら、それが原因の一つだと感じた。
散歩はしていたが、慣れてしまって、多様な景色を見なくなっていたのだ。頭の中では、また、注意の凝り固まりが生まれていた。
それに気付けて、今日、意識して、風景を見ていた。少し違う。そういえば、ある脳科学者が、毎日、できるだけ違うルートで散歩していると言っていたっけ。何か関係あるかもしれない。

 そして、ふと気がついたのだ。意味が多様にありそうだが、パターン化、抽象化されていて、非常にのっぺりとしているもの。私にとって、注意が凝り固まるのが非常に助長される行動。
 無目的で気晴らし的な長時間の画面作業、パソコン、SNS……



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