病理解剖のススメ

こんにちは、獣医師のねこのてかりたいです。
北海道の端っこの方で保護猫活動をしております。

先日、保護していた猫を肝臓病で亡くし、その猫を病理解剖に出しました。
今回はその時のお話を備忘録的に綴りたいと思います。

その猫は兼ねてより肝臓の値が高く治療中でした。
抗生剤、胃腸薬など一般的な治療をしても中々よくならず、Aという薬剤を使用することにしました。
A剤は端的に言えば「強め」の治療薬でした。
そのため、使用するかどうかしばらくは思案していたのですが、治療が長引いていたこともあり結局は使うことにしました。

結果、一時的に症状は改善方向に向かいました。
ところが、しばらくしてからそれまでとは異なる別の症状を呈し、結局は亡くなってしまいました。

問題は亡くなる直前に示した症状がA剤の副作用でも起こり得るものだった、と言う事です。

薬の副作用で起こったのか?
それとも異なる理由で呈したのか?
残念ながら私には生前診断をつけることが出来ませんでした。

こんな時、普通の家庭で飼われていた子だと殆どの場合そのまま火葬か埋葬かされることでしょう。
このケースでは私が開業獣医師で自分が治療を行っていたこともあり、大学病院の病理学教室に「検死解剖」という形で最終判断を委ねることにしました。

返ってきた結果から判断するに、亡くなる直前に呈した症状は「薬の副作用であった可能性は低い」と言う事でした。

この結果を見て、私は涙をこらえることが出来ませんでした。
猫が亡くなった時には流さなかった涙でしたが、我慢することが出来ずにくしゃくしゃになるまで泣きました。
私は、自分の腕がヘボだったがために使ってはいけない薬を使い副作用を引き起こし、死ななくてもよい命を殺してしまったのではないか、ずっと自責の念に駆られていたのです。

治療が間違っていなかった安堵、結果は伴わなかったにしろ最期まで治療をしてあげられた想い、そして緊張感から感じられなかった悲しみが一度に押し寄せてきた涙でした。

病理解剖は「最後の医療」とも呼ばれています。
死因の解明は次世代の医療技術の発展を齎します。

闘病し、綺麗な顔で眠っているわが子の体に再度メスを入れることへの抵抗感はもちろん理解できることですが、、やってあげたことが間違いではなかった、というのは飼い主様の心と、時に主治医の心までをも癒してくれることがある。
その事実をもっと多くの方に知ってほしいと思いました。

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